カテゴリー別アーカイブ: 連載「公共を創る」

連載「公共を創る」第171回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第171回「政府の役割の再定義ーその変化を巡る考察」が、発行されました。前回から、成熟社会での官僚のあり方を議論しています。まずは、官僚に求められる能力の変化です。

これまでの官僚の役割は、日本を豊かにするために産業を振興し、行政サービスを充実させることでした。そのために、新しい政策や制度を導入し、必要な資源を配分してそれらを実現させることでした。その手法として、欧米の制度を理解し、日本の実情に合うように加工すること、それを関係者に訴えて実現することでした。
これらを遂行するための能力は特別なものではなく、理解力と説明力です。しかし、これまで求められた理解力には、偏りがあったようです。官僚の多くは、技官などを除くと東大をはじめとする法学部出身者が占めてきました。

そして、新しい政策を考える際に情報源を外国に取ったので、外国語の能力が重要でした。また、関係業界からの情報も重要で、それらとの付き合いも必要でした。

官僚は各省に採用され、その分野の専門家として育成されました。しかし、その専門性にも問題がありました。省内では、短い期間で移動を繰り返し、例えば局単位での専門家としては育てられませんでした。他方で、関係業界や学会は身内ですが、省外とは排他的な所管争いをしました。

連載「公共を創る」第170回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第170回「政府の役割の再定義ー官僚の人事政策─その現状」が、発行されました。

日本社会の変化を背景に、第157回から官僚の役割について議論してきました。根底には、発展期から成熟期へという社会の大きな変化に、政府も官僚も対応できていないという問題意識があります。しかし、これからの官僚はどうあるべきかについては、十分に議論されてきませんでした。今回からは、行政と官僚の役割の変化に応じて、官僚の仕事をどのように変えればよいか、また官僚をどのように育成すべきなのかについて検討します。

官僚をどのように採用して、どのように育成し、選抜するのか。これについて、制度はもちろんありますが、雇い主である政府の考えを明らかにした人事政策は、最近までなかったように思います。役所の仕事はどうあるべきかについても、共通した方針が示されていたとは思えません。
その原因は、それを考える人事管理部門が重視されなかったせいですが、さらに言えば、人事政策を考える必要がなかったことにあると考えます。
採用後の人事は各省に委ねられ、そして各省には人事政策の専門家がいなかったのです。

連載「公共を創る」目次7

目次6」から続く。「目次1」「目次2」「目次3「目次4」目次5
全体の構成」「執筆の趣旨」『地方行政』「日誌のページへ

12月7日 170政府の役割の再定義ー官僚の人事政策─その現状
12月14日 171政府の役割の再定義ー官僚に求められる能力─その変化を巡る考察
12月21日 172政府の役割の再定義ー官僚に求められる「交渉能力」とは
(2024年)
1月11日 173政府の役割の再定義ー成熟社会において官僚に求められる能力とは
1月18日 174政府の役割の再定義ー課題解決型思考と構想力
1月25日 175政府の役割の再定義ー官僚の職場を巡る課題─その解決に向けて
2月1日 176政府の役割の再定義ー官僚の長時間労働を減らす三つの方法
2月8日 177政府の役割の再定義ー官僚の「やりがい」を巡る考察
2月15日 178政府の役割の再定義ー職員育成の見直しに向けて
3月7日 179政府の役割の再定義ー公務員の「身分」を巡る考察
3月14日 180政府の役割の再定義ー管理職、どう育てるか?
3月21日 181政府の役割の再定義ー管理職が果たすべき「役割」とは?
4月4日 182政府の役割の再定義ー幹部官僚の職責
4月18日 183政府の役割の再定義ー「蟻と鷹の目」で見た幹部官僚の職責
4月25日 184政府の役割の再定義ー戦後日本の転換点を巡る思索
5月9日 185政府の役割の再定義ー広く日本の在り方を考える必要性
5月16日 186政府の役割の再定義ー幹部官僚としての心構え
5月23日 187政府の役割の再定義ー
6月13日 188政府の役割の再定義ー
6月20日 189政府の役割の再定義ー
6月27日 190政府の役割の再定義ー
7月4日 191政府の役割の再定義ー
7月11日 192政府の役割の再定義ー
7月18日 193政府の役割の再定義ー

校閲さんの驚異

連載「公共を創る」の執筆裏事情です。毎回難儀しながら書き上げていること、そして右筆が内容を精査するとともに文章を磨いてくれていることは、「連載「公共を創る」執筆状況」でしばしば紹介しているところです。

もう二人、お世話になっている人がいます。一人は編集長です。私の原稿を適当な長さに切って1回分に収め、3本目の表題を作ってくださいます。
もう一人は、校閲さんです。文章の間違いを正すとともに、読みやすいように加筆してくださいます。それが、神業なのです。
毎回、鋭い指摘を受けて、倒れています。先日は、図表を撃たれました。「調査対象30か国中32位」という表記があったのです。この図表は、この3年ほど講演会で使っていたのですが、ついぞ気がつきませんでした。「そんなのも気がつかないのか」とあきれるでしょうが、間違いとはそんなものです。

「職人の矜持」と言えば良いのでしょうか。脱帽です。
文章も、多分もっと気になるところがあるけれど、執筆者の意向を尊重してくださっていると思われます。「遠慮なく手を入れてください」とお願いしたら、ズタズタになるかも。
私が執筆する際に、「どうせ直してくださるので、原稿はいい加減でも良いか」と思ってはいけないのですよね(苦笑)。

で、全体を振り返ると、執筆割合度は次の通り(編集長を除く)。
私60%、右筆30%、校閲さん10%でしょうか。

連載「公共を創る」第169回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第169回「政府の役割の再定義ー日本型の雇用・職場慣行がもたらした悪影響」が、発行されました。日本経済と官僚が昭和の素晴らしい発展の後、この30年間に停滞したことに、共通の理由があることを説明しています。それは、新たな目標の設定の失敗とともに、日本型の職場慣行です。

前回説明したように、日本の職場慣行(係で仕事、引継書、人事課による人事異動など)は、経済成長期に誠に効率的でしたが、大きな欠点も持っていました。目標を変えるときに、うまくいかないのです。職員も上司もそれに慣れていません。そして近年はパソコンが一人一台行き渡りました。係で仕事をすることから、事実上個人で仕事をする形に変わっているのです。しかし、職場のやり方は従前の係単位を続けています。そして、上司が指示を出すこと、職員が上司と打ち合わせることに慣れていません。ここに、不慣れな職員が悩むことになります。

さらに、人事異動を人事課に依存している仕組みでは、職員の仕事や職場に対する満足度が下がり、技能についても自ら研鑽しないのです。これらは「昭和の経済成長の終わり」と「長い明治時代の終わり」を表しています。