カテゴリーアーカイブ:社会の見方

スウェーデン、日本と違う社会の成り立ち

2011年1月6日   岡本全勝

先日、高岡スウェーデン公使の著作『日本はスウェーデンになるべきか』を紹介しました。「一つのモデル、スウェーデン」(2010年12月28日の記事)。そこでは、スウェーデン社会の奥底にある、社会と個人のあり方についての考え方(高岡さんの表現では「本質」)が、日本とかなり違うことを紹介しました。高岡さんの説を、もう少し紹介しましょう。この本では、4つの違いを挙げておられます。
1つは、自立した強い個人です。厳しい気候風土の中で、子供も女性も高齢者も障害者も、自分でできることは自分でやる。そして本当に世話になる必要がある時は、公的セクターが支援するのです。自分で運び自分で組み立てる、家具屋のイケアも、この現れだそうです。家具の配送に関する興味深い経験談も、書かれています。
2つめは、決まりを守るスウェーデン人です。路上駐車の例などが書かれていますが、これに比べれば、日本人は決まりを守っていませんねえ。
3つめは、透明性です。情報公開、個人番号など、なるほどと考えさせられることが書かれています。
4つめは、国境を越える連帯です。

自立した個人は、一見冷たい社会に聞こえます。しかし、決して他人に無関心ではないのです。その逆で、援助の必要な人には、みんなで手を差し伸べる。社会も国家もです。それと比較すると、日本は、これまで地縁、血縁、社縁で助け合っていたので、その機能が弱くなると助け合いや連帯が少なくなったのでしょう。またそれは、「身内」には親切ですが、「ソトの人」には冷たい社会でした(山岸俊男著『信頼の構造』1998年、東大出版会)。もちろん、スウェーデン社会も、すべてを手放しで喜べるものではないでしょうが。
高岡さんの本は、スウェーデンと日本の、社会の成り立ちの違い、その上にある制度の違いを、わかりやすく解説してあります。経験談や数値も豊富で、なるほどと納得します。スウェーデン型国家を目指すにしても、違う道を取るにしても、日本の未来を考える際に有益です。
ところで、高岡さんは、イラン公使に転任になりました。新任地でのご活躍を、お祈りします。

一つのモデル、スウェーデン

2010年12月28日   岡本全勝

高岡望スウェーデン公使が、『日本はスウェーデンになるべきか』(2010年、PHP新書)を出版されました。高岡公使は、約10年前に省庁改革本部で一緒に仕事をし、ご苦労をかけました。全省庁を対象とした改革だったので、外交官である彼も、参加してくれたのです。
日本では、かつてスウェーデンは、福祉の先進国としてお手本とし、あるいは国連平和協力の先進国として視察先の一つでした。実は、地方分権の進んだ国でもあります。リーマン・ショック後、市場重視型経済モデル・「小さな政府」に疑問符がつき、高負担高福祉・「大きな政府」のスウェーデンが脚光を浴びています。
しかし、制度を輸入しただけでは、スウェーデン型の社会には、なれないようです。高岡公使は、スウェーデンの生き方の、より深いところにある「スウェーデンの本質」を、この本で論じておられます。2年間、彼の地で暮らした経験からの、考察です。先日までは、ノーベル賞授賞式の対応に追われておられたとのことです。今は、氷点下の寒さだそうです。
PHP新書は、たいがいの本屋に並んでいるので、ぜひご覧下さい。

追悼、辻陽明記者

2010年12月22日   岡本全勝

今日、22日の朝日新聞夕刊連載「ニッポン人脈記。NPO前へ」に、次のような記述がありました。
・・この連載は、昨年、食道ガンのため53歳で亡くなった記者が残した企画書が出発点だった。朝日新聞編集委員だった辻陽明。NPOや公益法人の取材に力を注ぎ、こう言っていた。「自分たちの力で社会を良くしようとする人々が、NPO革命を起こした。日本社会は捨てたものではない。希望がある」・・

辻さんには、親しくしていただいていました。きっかけは、私が総務省交付税課長の時です。2003年12月4日の朝日新聞1面に私の名前が出ました。「交付税課長が講演会で『地方交付税制度は破綻状態に近く、今のままでは制度として維持できない』と発言した」という記事です(2003年12月4日の記事)。この記事を書いてくださったのが、辻記者でした。その少し前に地方財政の取材に来られ、私が解説したついでに「今度講演会があるので、それも聞いてください」とお誘いしたのが、きっかけです。
現役課長が朝日新聞の1面に乗ることは、霞ヶ関では好ましいことではありません。しかも、自分の担当している仕事についてです。私自身は、間違ったことを言っているつもりはありませんでしたが。当時の瀧野欣弥官房長(現内閣官房副長官)と国会議員会館ですれ違い、「新聞にあんな記事が出て、申し訳ありません」とお詫びしました(私は国会を飛び回っていたので、そんなところで役所の上司に会ったのです)。滝野官房長は、「おかしいと思ったら、自分で改革せよ」とだけ、おっしゃいました。

その後も、辻記者は、経済関係の鋭い記事(2007年6月23日の記事など)を書かれ、幾度か「岡本さんの意見を聞きたい」と尋ねてきてくださいました。朝日新聞記者とは思えない「素直な姿勢?」で、私はウマが合いました(失礼)。時々、夜のおつき合いもしてもらいました。もっとも、辻さんは、お酒は飲まれませんでした。「いや~、少し体調が悪くて・・」とおっしゃっていたのは、今思うと、お病気のせいだったのでしょうか。
さらに、ボランティアやNPOの取材を続けられ、「新市民伝」の連載もしておられました(2006年9月16日の記事)。私は、辻さんに「どのようにして、街の活動家を捜してくるのですか?」と、尋ねたことがあります。
私が秘書官になってから、連絡をかまけていました。今日、この記事を読んで、びっくりしました。まだまだ、いろんなことを教えていただき、また書いて欲しかったです。53歳とは、あまりに若い。あの落ち着いた、そしてにこやかなお顔が、目に浮かびます。残念です。ご冥福をお祈りします。

新聞の政治面

2010年12月5日   岡本全勝

岩波書店のPR誌『図書』2010年12月号、丸谷才一さんの「人事と大事」から。
・・豊田泰光さんが「週間ベースボール」のコラム「俺が許さん」で、かういう怖いことを書いてゐた。警世の名論である。
日本のスポーツ新聞は昔から「人事新聞」と言はれてきたが、これは日本ジャーナリズムの体質で、大新聞だつて建前は「政争よりは日本をどうするかが大事」なんて恰好つけてるくせに、実際は「政治家の右往左往を面白おかしく扱って、ほとんど政界芸能新聞といった感じ」だといふ。まさしくその通りで、程度の低いすつたもんだを低級に報道して騒ぎ立てるのが大新聞の政治面である。総合雑誌だつて例外ぢやない・・
詳しくは原文をお読み下さい。丸谷さんは、文語体で書かれます。

都市の人間関係の変化

2010年11月7日   岡本全勝

高澤紀恵著『近世パリに生きる-ソシアビリテと秩序』(2008年、岩波書店)が、興味深かったです。
16世紀から18世紀にかけてのパリが舞台です。ソシアビリテ(人と人との結合関係)に注目し、都市の社団(住民の集まり)が様々な都市機能を担っていたのが、徐々に王権に組み込まれていく過程を描いています。近世パリにおける都市社団は、街区や教区という近隣関係、あるいはギルドという職業集団です。それが、治安、防衛、徴税、ごみ処理などの機能を果たしていました。代表者を選び、自らの負担と奉仕で、処理していたのです。しかし、次第に王が任命する官職と組織に取って代わられます。それら機能の主体でもあった住民は、統治の客体に転化するのです。
都市のソシアビリテという観点からの、都市統治・都市自治論です。政治史では、法令や制度から見た政治と行政が主ですが、それでは実際の姿が見えてきません。一方、権力者の伝記や市井の住民の日記による歴史研究もありますが、それにも限界があります。社会的な機能を果たす人間関係から見ることは、極めて有意義ですが、資料から検証するには大変な困難があります。この本は、それに成功しています。
類書に、結社の世界史シリーズ(山川出版)、第3巻福井憲彦編『アソシアシオンで読み解くフランス史』(2006年)などがあります。こちらは買ったまま、積ん読状態になっています。反省。