「社会の見方」カテゴリーアーカイブ

サイバー攻撃

朝日新聞同様日別刷りbe、1月23日フロントランナーは、サイバーセキュリティ技術者の名和利男さんです。
1昨年、日本に「着弾」したサイバー攻撃は、前年の倍の250億件余りとのことです。とんでもないことに、なっているのですね。弾が飛んでくるところが見えない攻撃と、防御なので、私たちにはなかなかピンときませんが。見えないところで、日夜闘っている人たちに、感謝します。

インターネットの威力

朝日新聞1月19日夕刊、「スゴイのに売れない…おじいちゃんのノートいかが 孫がツイート、注文3万冊」。70歳代の印刷業の方2人が作ったノート。
・・・どこのページを開いても、真ん中がふくらみにくく平らになる。手で押さえなくてもきれいに開き、コピーの時などに真ん中が黒くならないのが特長で、製造方法に関して会社で特許も取った・・・
でも売れずに、在庫の山。お爺ちゃんは、孫娘にノートをまとめて渡し、「これ、学校の友達にあげてくれ」。受け取った孫娘は。「学校じゃノート必要そうな人いないしなー」。で、軽い気持ちでツイート、「うちのおじいちゃんのノート、費用がないから宣伝できない」「欲しい方あげるので言って下さい」。あとは、本文をお読みください。

数学をめぐる議論が、社会を変える。2

この本の第1部は、昨日書いた、イタリアでのカトリックとイエズス会が、自由な研究を押さえ込み、秩序を維持することに成功します。しかしその代償に、研究が進まなくなります。第2部は、舞台をイギリスに移し、ホッブスが敵役になります。ホッブスは、政治学を勉強した人なら知っている「リヴァイアサン」の著者です。彼が、その思想の延長で、数学を勉強したとは、知りませんでした。彼の主張では、絶対君主がこの世を治めます。それは、教皇に代わる統治者であり、唯一の秩序を維持する者です。それに対し、まだ誕生したばかりの、ロイヤルアカデミーが対抗します。
17世紀のイギリスの政治混乱、2度の市民革命が、この唯一の秩序派と自由な研究派との対立に重なるのです。そして、ホッブスは負け、自由な研究派が勝ちます。それから、イギリスの発展が始まります。
イタリアの自由な思想が終わり、イギリスで自由な思想が始まる。その象徴が、数学をめぐる議論として描かれています。なるほどと思います。もっとも、教皇派・王党派対自由な研究派・市民派を、すべて数学の対立で説明するのは、いささか無理があるようです。しかし、一つの象徴としては、理解できます。マックス・ウエーバーの、プロテスタントが資本主義を発達させた論より、面白いです。
とはいえ、この本は、上下2段組、300ページあります。「挑戦してやろう」という人に、お勧めです。たくさんの知らない人が出てきて、寝ながら読むには少々大変です。

数学をめぐる議論が、社会を変える

アミーア・アレクサンダー著『無限小 世界を変えた数学の危険思想』(邦訳2015年、岩波書店)が、面白いです。無限小の議論は、連続体、例えば線を分割できるかどうかです。この本は、そのような数学的議論ではなく、それが中世の神学、哲学、社会に与えた影響を書いた本です。数学の棚でなく、政治哲学、歴史社会学の棚にあって良い本です。
宗教改革以降、ローマ教皇を頂点にした秩序が崩れます。それを再興したいカトリック側の先兵になったのが、イエズス会です。イエズス会は、その優れた教育システムで、優秀な宗教者を育て、世界各地に送ります。その際に、神学とともに、数学が重要視されます。それは、古代ギリシャの数学を模範とし、秩序の象徴だったのです。
そのイエズス会からすると、地動説を唱えるガリレオとともに、無限小は秩序を乱す、許しがたい悪人です。そこで、弾圧します。
それまで、科学や数学で最先端を行っていたイタリアが、その後、自由な研究ができなくなり、研究の中心はアルプスを越えて、フランスやイギリスに移ります。
読んでいて、「へ~」と思う分析です。
天文学、数学における「古典的秩序」対「自由な発想」の対立が、それだけにとどまらず、社会を見る見方、社会観に影響を与えます。それについては、次回に書きましょう。

中国人観光客

外国人観光客が近年急増し、インバウンドという言葉がはやりました。その中でも、中国人観光客の増加が目立ちます。そして、爆買い。ありがたいことです。40年前のパリの日本人を思い出させます。12月28日の「地方行政」(時事通信社)に、次のような指摘が載っていました。
小売業界によると、1顧客当たりのレシートの長さは平均15センチメートル。それが爆買い客だと1メートルになるのだそうです。商品より先に、レジのロール紙からなくなるという話です。
12月27日の読売新聞、「編集委員が読む」森恭彦記者の「京都中国の人多いですね」にも、興味深い指摘が載っています。
中国では、「唐宋時代を見たければ日本に行け」という言い方があるのだそうです。北方民族が支配した元や清の時代に失われた文化が、日本に残っているのです。京都は「小長安」と呼ばれます。それ以外にも、いろんな指摘があります。原文をお読みください。