「社会」カテゴリーアーカイブ

社会

謝罪文化、パフォーマンス?

7月29日の朝日新聞オピニオン欄「それって不謹慎ですか」、マッド・アマノさんの発言から。
・・・日本には謝罪文化っていうのがある。企業が不祥事を起こすと、記者会見で幹部たちが雁首そろえて謝る、あれだよ。薬害事件で、突然、製薬会社の幹部数人が、一斉に額が床につくほど土下座した。これには本当に驚いた。
謝らないことには、世間が収まらない。「まず謝っちゃおう」というパフォーマンス、儀式だね。これで人々は留飲を下げるわけだ。でも謝ったからといって自らの責任を認めたわけではない。こんな目くらまし、僕は納得いかないよ。
こういう下地があるから「不謹慎だ」と批判されると、すぐ謝っちゃうんじゃないの。攻める方もおもしろがってやる。どちらも理詰めでは論争しない。これは日本人が最も不得意なんだ。
アメリカに10年ほど家族と住んでいたことがある。謝罪会見なんて一切、見たことない。とにかく交通事故でも謝ったらだめ、と友人からよく言われた・・・
・・・私ですか? 外では謝らないけどね、家では妻や息子にいつも謝っています。謝らないと収拾がつかなくなる。だから家庭の平和のためにね・・・

マナーの作り方、国民性の変化。エスカレーター

7月20日の朝日新聞夕刊「あのときそれから」は、「エスカレーター片側空け出現」でした。1980年代から、急ぐ人のために、エスカレーターの片側を空けることがマナー(礼節)になりました。関西では左側を、関東では右側を空けるようです。私も「新地方自治入門」で、「現在作られつつある習慣」と紹介しました。しかし、最近では事故防止のためなどに、空けない=2列に並ぶことが推奨されています。興味深いのは、次のようなことです。
まず、そのマナーの導入に際し、「先進国を見習え」という手法が用いられたことです。
・・・1980年代の朝日新聞をめくってみると、ロンドンの地下鉄で見られる習慣の素晴らしさを絶賛し、翻って日本では…と嘆く記事がいくつも見つかる。
「日本の都市でのふしぎな光景は、すいているエスカレーターでもほとんどが歩かぬことだ。(中略)一種の『こっけいな日本風俗』の一つであろう」(83年11月28日付)
「片側一列に立って、急いで昇降する人たちのために、かたわらを空けておく、英国などでみられるマナーは日本でもまねたいもののひとつだ」(86年8月5日付夕刊)・・・
今読むと、新聞の論調、そしてそれを受け入れた国民性に、驚きます。今このような記事を書くと、どのような反響が返ってくるでしょうか。たった30年で、こんなに変わるのですね。もっとも、この手の手法は、形を変えて使われています。

作家の山本弘さんは、次のように語っています。
・・・日本人が昔から「マナーを守る礼儀正しい民族」だったかというとそんなことはありません。歴史の本で大きな事件はわかっても、細かいことは書かれていないのが普通ですから、誤解してしまうのかもしれません。社会が一種の記憶喪失になってしまっているともいえます。
交通にかかわるマナーでいうと、駅弁の食べかすやゴミを座席の下に突っ込んでおく、などというのは当たり前でした。現代の清潔な列車からは想像もできないでしょう。僕が子どもの頃にはまだ電車の乗り降りでも、降りる人と乗る人がぶつかり合って大混乱していました・・・

相を反映する食事、食費

7月16日の朝日新聞天声人語は、「エンゲル係数の上がる国」でした。
・・・明治の昔、日本のエンゲル係数は60~70%で推移した。昭和の初期は50%前後に下がったが、敗戦による窮乏で再び60%前後に戻った。高度成長をへて20%台へ下がった・・・それが再び25%を超えたそうです。
貧しさの反映ということより、世相を反映している部分が興味深いです。
・・・調理済み食品を買って家で食べる人が増えた。レジ前での大藪さんの観察によると、いまや買い物カゴの中身は、女性客がお総菜、若い男性が即席麺、高齢男性はお弁当である。これら「中食」の急増が係数を押し上げた・・・
なるほどね。若い人のカップ麺やコンビニ弁当依存は、心配になります。栄養が偏りますよね。彼らのエンゲル係数はかなり低く、逆に、スマホなどに使っている通信費が大きくなっているでしょう。

高岡さんの新著

高岡望・前ヒューストン総領事が「アメリカの大問題―百年に一度の転換点に立つ大国」(2016年、PHP新書)を出版されました。
毎日のようにアメリカの問題が報道されます。しかし、そのできごとを大きな視点から見ると、違ったことが見えてきます。この本は、格差、力、エネルギーという3つの切り口から、アメリカのそして世界の構造変化を分析しています。ヒューストンというホットな地域からの具体的なレポートであり、大きな視野からの分析です。時宜を得た出版で、お薦めです。
高岡さんは、以前に「日本はスウェーデンになるべきか」(2010年、PHP新書)も出版されています。忙しい公務と日常の中で、話題を集め書きためておられたのでしょうね。頭が下がります。

インターネット書き込みの失敗

朝日新聞6月23日生活欄に、「ネット炎上、招かぬ極意は IT専門家、実例交え伝授」が載っていました。詳しくは本文を読んでいただくとして。極意は、次のようなもののようです。
・・・教室のスクリーンに東京・渋谷のスクランブル交差点の写真が映った。真ん中に学校名や携帯番号を書いたボードを掲げた少女が立っている。
「インターネットにものを書くということは、この交差点に掲げることと同じ。まだこの交差点の方がましなくらいです」。通るのは1日40万人。ボードを下ろすこともできると解説し、「でもインターネットは一度あげたら二度と下ろせません。全世界に公開され続けます」と加えた・・・
・・・家の玄関ドアに貼り出せる内容なら、どんなものでもネットに書いて大丈夫。家の玄関に貼れないものは絶対に書けない。だって人生終わるんですよ。人生終わってもいいから貼りたいものってありますか? ないはずです・・・