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中国経済リスク、戦前日本との類似

朝日新聞8月25日のオピニオン欄は、猪木武徳先生へのインタビュー「世界経済、不安の正体」でした。世界経済の主役に躍り出た中国。その変調が世界経済の不安要因になっています。
「世界経済の命運を握っている中国政府は、混乱なく治めていくことができるでしょうか」との問には。
・・・中国が自分でうまく処理するのかが心配です。いまの中国は1930年代、つまり第2次大戦前夜の日本にとてもよく似ています。第1次大戦後、日本は欧米列強に遅れて準一等国になったが、経済に行き詰まった。そこを何とか打開しようと軍事的膨張が起き、戦争へと突き進んだのです。中国も世界経済に組み込まれ、準一等国になりました。だが国内では格差や環境など多くの問題を抱えている。その摩擦や不満を抑えるため、国家主義に訴えて異様な軍事的膨張を進めています。中国の経済のリスクと軍事のリスクは表裏一体です。中国が戦前の日本のような愚かな歴史をたどる可能性を軽く見ることはできません・・
先生は、もう一つ戦前日本との類似を、指摘しておられます。戦前日本は、「大東亜共栄圏」という名で、経済囲い込みを目指しました。美名と実態とのズレです。
・・・AIIB設立の目的は、建前ではアジア諸国の道路や港湾などインフラ建設に手を貸すことですが、本当の狙いは、彼らが「一帯一路」と呼ぶ欧州との物流ルートを整備し、自国の利権を確保することでしょう。彼らは自分たちのために世界があるという驚くべき野望をもっています・・・
「ユーロに啓発されて数年前「東アジア共同体」やアジアの共通通貨の可能性が議論されました。それは幻想にすぎませんか」との問に。
・・・戦前にもそういう構想がありましたね。提唱したのは、日本を盟主にアジア統一を果たそうとするウルトラ国家主義者たちです。いま日中韓や東南アジア諸国の経済統合を唱えるのは、戦後の理想主義が先走った人々です。しかしわれわれは、そうした「共同体」や「国家連合」の難しさをEUの例からまず学ぶべきでしょう・・・

細谷雄一先生、歴史認識とは何か、3

細谷雄一著『戦後史の解放Ⅰ 歴史認識とは何か』p114~。
日露戦争の際に、日本は「文明国」として認めてもらおうと、国際法を遵守しました。しかし、第一次世界大戦後、欧米で、圧倒的な人的被害から人道精神・国際人道法の精神が強まったのに、日本は逆に国際法や人道的な観点を減らしていきます。1932年には陸軍が、陸軍士官学校の教程から戦時国際法の科目を外します。1937年以降は、国際法教育を中止します。これが、戦時中の捕虜虐待などを生む素地になったようです。
・・・このようにして、陸軍や海軍は、国際法の教育を行うことを不要と考え、むしろそれが軍事的な効率の最大化を求める際の障害と見なすようになった。それによって、捕虜取り扱いをめぐる国際法上の知識を持たない軍人の多くが、第二次世界大戦中に東南アジアで捕虜を虐待したことなどを理由として、敗戦後のBC級戦犯裁判で処刑された。その責任は、処刑された軍人ではなく、むしろ1930年代に軍事的効率を最優先して国際法教育を十分に行わない方針を決めた軍の指導部にあったというべきではないか・・・(p116)。
日露戦争では、文明国の仲間入りをするために、小国日本は、悲しいまでに世界の動きや国際世論に敏感で、同調する努力をします。しかし、戦争に勝つことで自信を付け、さらに驕りに陥ってしまいます。そして、国際社会から孤立し、敵に回して戦争を始めます。国際社会とのズレがどう広がっていったか。この本をお読みください。いかに日本が「正しい」「正しかった」と主張しても、相手のある話です。国際社会で生きていくためには、相手側の認識や第3者に立った認識も知りつつ、相手と話し合うしかないです。

細谷雄一先生、歴史認識とは何か、2

細谷雄一著『戦後史の解放Ⅰ 歴史認識とは何か』p36。
・・・日本の歴史教育における問題点は、歴史理論を学ばないということである。つまりは、広範な資料に基づいて、徹底的に研究を深めていけば、普遍的に受け入れ可能な「歴史的事実」にたどり着けるというナイーブな歴史認識が広く見られ、またそのような「歴史事実」は他国の国民とも共有可能であるという楽観的な想定がある。そのような想定こそが、これまで日本が他国との間で歴史認識問題をこじらせていった一つの原因ではないだろうか。そもそも、歴史学といっても、各国によって教育を通じて教えられるナショナル・ヒストリーは異なり、また時代によっても歴史理論の潮流は大きく変化している・・・
として、有名なカーの『歴史とは何か』を引用しています。続きは、原文をお読みください。

大学生の頃、「自然科学には唯一の正解がある(実はそうでない場合もあるらしいのですが)が、社会科学では唯一の正解はない、人によって解釈が違う」ということを教わって、目から鱗が落ちたことを思い出します。よって、自然科学では、問題を解く場合は正解を求めることです。しかし社会科学では、多くの人が納得する答を見いだすこと、納得しない人がいるときにはどのように折り合いを付けるかが、問題の解決です。
日中韓に歴史認識の違いがあることを、この数年、日本国民は学習しました。「話せばわかる」「研究すれば同じ答えにたどりつく」とは限らず、「話し合ってもわかりあえない」「研究しても同じ答にたどりつかない」こともあるのです。認識の違いを超えて、ドイツとフランスが和解して、発展のために折り合いを付けていると同じように、日中韓の間で認識の違いを認めつつ、どのように折り合いを付けるか。近年の日本政府は、「戦略的互恵関係」という表現を使っていました。

戦後70年、日本の転換点

朝日新聞オピニオン欄が「戦後70年、日本の転換点は?」を特集しています。8月2日は、読者が選んだ転換点のアンケート結果が載っていました。1940年代や50年代という回答もありましたが、これは戦後改革と位置づけるとして、その後の半世紀近くをどこで区切るか。それはまた、戦後日本と現在の日本を、どのように評価するかという「価値判断」の反映となります。
20年近く前(1990年代後半、仮に1995年としましょう)に、宮沢内閣の大臣秘書官同窓会で議論になりました。総理秘書官のT先輩が、「それは60年安保だ」とおっしゃったので、私は「それは古すぎまっせ」と反論したことを覚えています。その時点で、戦後50年でした。1960年で区切ると、前半15年で後半35年になります。私は、「高度成長が終わったオイルショック(1973年)ではないですか」と申し上げました。これだと、前半が28年で、後半が22年でした。さて、その議論をしてから、さらに20年が経ちました。
2003年に書いた『新地方自治入門』でも、その考え方に立って、戦後日本社会と、日本政治、そして地方行政を評価しました。紹介文に、次のように書いています。
・・・私は、戦後の日本の地方自治体は、ナショナル・ミニマムと社会資本整備という課題を、実に良く達成したと考えています。日本の経済成長の成果の上に、行政機構や地方財政制度がうまく機能したからです・・・
・・・これまでの課題がほぼ達成された今、地方行政は次なる目標を探しあぐねています。また、現在の地域の課題に必ずしも的確に答えていないと思います。
地方行政そして日本の政治は、目標を転換するべき時がきています。それはまた、日本経済・日本社会・日本人の思考の転換でもあります・・・
経済成長の軌跡も、その観点から、区分しました。しかし、このような区分も、経済偏重になっているのかもしれません。繰り返しになりますが、どこで区切るかは、何を指標に区切るかが鍵であり、それは現在の日本社会をどのように位置づけるかによります。これまでの延長線上にあるのか、変えなければならないのか。変えるとしたら、何が課題か、です。
私のこれまでの考えでは、戦後日本の課題は経済成長であり、それを達成した1970年(大阪万博)、あるいはその延長でバブル崩壊の1991年までが前半です。そして、次なる目標を定めかねているのが、後半です。70年間を「戦後日本」と規定するのは、政治家や歴史家、そして私たちの怠慢でしょう。しかし、次なる目標を決めかねている、現在の日本社会を測る物差しを決めかねていることが、区切りを決められない原因です。

歴史学は面白い、2

川北稔著『私と西洋史研究』の続きです。
谷川稔著『十字架と三色旗―近代フランスにおける政教分離』(2015年、岩波現代文庫)が、宗教と社会との関係や社会と政治との関係について、勉強になります。
フランス革命以前のフランスでは、キリスト教(カトリック)が国教でした。生まれた際の登録、結婚の認定、死と葬儀も教会が担当していました。教育もです。宗教と言うより、習俗であり、行政機構であり、住民統合の機関です。それを、フランス革命が否定します。まずは聖職者を公務員とし、次に聖職を放棄させます。教会は閉鎖され、キリスト教に代わる新しい「理性の祭典」や学校教育・社会教育が作られます。壮大な文化革命です。その後、王政復古などを経て、キリスト教は復活しますが、もはや国教に戻ることはありませんでした。しかし、19世紀末から20世紀初めにかけて、教育現場を中心に、宗教色を排除するために、政府の介入とそれに対する抵抗など、大きなエネルギーが注がれます。このあたりの実情は、ぜひこの本をお読みください。各村々では、大変なできごとだったと思います。
それらを経て、現在の政教分離=ライシテが成立します。三色旗(フランス国家)と十字架(キリスト教)との共存に、折り合いを付けるのです。ところが現代では、マグレブや中東からの移民がイスラム教の習俗を持ち込むことについて、対立が生じています。女性がかぶるベール(ヘジャブ)を、学校に着用してよいかどうかです。今度は、三色旗と三日月(イスラム)との衝突です。
「政教分離」とは、近代民主主義憲法が保障する原理の一つですが、国と社会によって成り立ちが異なります。先進諸国では、フランスが最も厳格でしょう。イギリスでは女王が国教会の首長であり、アメリカでは大統領が聖書に手を置いて宣誓します。日本では、戦前の国教であった神道からの分離が問題でした。これまた、かつてはそして民衆の生活現場では、習俗でした。そして、靖国神社の問題があります。
宗教と政治、そのような習俗と政治をどのように折り合いを付けるか。教科書に、唯一の正しい回答は書いてありません。それぞれの国が、解決する=どのように折り合いを付けるかを決めていくしかないのです。この過程が、日本の民主主義に必要です。先進諸国を教科書にしても、書いていないこと。それを、日本国民がどのように解決していくかです。