カテゴリー別アーカイブ: 歴史

近世の村社会、石高による統治

水本邦彦著『村 百姓たちの近世』(2015年、岩波新書)が、面白くて勉強になりました。この本は、日本近世史シリーズの1冊ですが、日本の村がどのようなものであったかを、古地図や古文書を読み解いて、描いています。村というと、古くさく貧しいという印象を持ちがちですが、そうではありません。もちろん、新書版なので、村の暮らしのすべてが紹介されているわけではありません。例えば冠婚葬祭などは、でてきません。
本書の視点は、全国の村が、米の生産量で把握され、統治されることです。中には、一つの村が、いくつかの領主に分割統治されることもあります。相給村というのだそうです。飛び地が入り交じります。権力者の歴史より、このような視点の歴史は、面白いですね。お薦めです。1月以上前に読んで、いろいろと印象に残ったことがあったのですが、忘れてしまいました。反省。

中国の難しさ、司馬遼太郎さん

昨日の続きです。司馬遼太郎著『明治国家のこと』、「『坂の上の雲』秘話」p148~。
・・・そして、その学者は、逆に質問したのです。
「ヨーロッパは方言によって国ができています。どうして中国も方言ごとに、広東国とか四川国とかできなかったんでしょう。それなら隣国にとって大きな圧迫にならないのに」
そう言うと、シラクさんは練達の政治家ですね、こう言われた。
「ドクター、恐ろしいことをおっしゃいます。日本がいくつできると思いますか」
つまり国家には、適正サイズがあるということでしょうね。フランスもイギリスも大きな国ではありません。日本も適正サイズでした。中国は大きすぎる。そのことをわかってやらなくてはならない・・・

韓国の難しさ、司馬遼太郎さん

今日は趣向を変えて、久しぶりに読んだ本から。1か月以上前に読んだのですが・・。パソコンの前には、そんな本がいくつも積み上がっています(反省)。司馬遼太郎著『明治国家のこと』(2015年、ちくま文庫)、「『坂の上の雲』秘話」(1994年、海上自衛隊幹部学校での講演)からp147~。
・・・シラクさんというフランスの政治家がいますね。私の友達で姜在彦(カン ジェオン)博士(花園大学教授)という人がいます。その友人のある学者が、シラクさんに会ったことがあります。シラクさんが言いました。
「どの民族にも、その地理的環境によって永遠の問題、苦しみがありますが、韓国にとっては何ですか」
「中国です」
韓国人の学者は答え、続けました。
「頭の上にあんなに大きな国が、古代からのしかかっている。中国の文化を取り入れなければ、中国から襲われそうです。中国に甘い顔をしていれば、植民地にされるかもしれない。近代に入って中国の文化が停滞すれば、韓国も自然と世界からは遅れる。韓国は中国に対してずっと、アンビバレント(二律背反)な心を持ってきました」・・・この項続く

近過去を学ぶ

読売新聞の土曜日連載「昭和時代」は、1980年代に入っています。4月11日は、土光臨調でした。学校での歴史では、古代から近代までは詳しく学びますが、近過去のことは、案外詳しく学びません。まだ歴史になっていないという理由もあります、そして定番の本ができていないという理由もあります。古代や明治から始めた授業が、現在までたどり着かないという場合もあるでしょう(私もそうでした。苦笑)。このような私の年代にとっては「つい昨日のこと」(オンリー・イエスタデイ。もっともこの本が対象とした1920年代は、今では歴史になっています)も、若い人には「体験していないこと」であり「学校でも習っていないこと」です。
学者の解説書が出るには、時間がかかるでしょう。また、幅広い対象を取り上げるのは、無理があります。その点、新聞社は資料といい記者といい、資源がそろっています。この企画は良い企画だと思います。若い人にぜひ読んで欲しいです。インターネットでは読めないようですが。連載後、本になっています。

中世と近代との違い、ものの認識。司馬遼太郎さん

司馬遼太郎著『明治国家のこと』(2015年、ちくま文庫)、「ポーツマスにて」p98。
・・中世という時代規定はあいまいだが、私のイメージでは、西洋・日本をとわず、人間が、しばしば激情に身をまかせた時代といったふうな印象がある。
さらには、中世にあっては、モノやコト、あるいは他者についての質量や事情の認識があいまいで、そこからうまれる物語も、また外界の情景も、多分にオトギバナシのように荒唐無稽だった。人知が未発達だったということではない。そういう認識の空白のぶんを大小の宗教がうずめていた・・
・・近代においては、社会をおおった商品経済(貨幣経済)が、人間をそれ以前の人間と訣別させた。学校ではなく、社会が、モノやコト、あるいは自他を見る目を育てたのである。
このことは、日本ではすでに江戸中期において、物を質と量で把握し、社会のできごとを商品の流通を見るような冷徹さで観察できるようになっていた。また貸借という行為によって、ヨーロッパにおける意味とはやや異なるものの、個人という意識を成立させた・・