「歴史」カテゴリーアーカイブ

ご飯にふりかけ

3月15日の朝日新聞別刷りに「ふりかけ」が載っていました。

・・・あつあつご飯にふりかけると、何杯でもぺろっと食べられちゃう? そんな「ふりかけ」がじわりと人気を集めています。サケ、梅といった定番から、ポテトチップスや焼き肉の風味を再現したものまで、味も食感も日々進化しています。日本では嗜好(しこう)品になりつつありますが、栄養を補う食べ物として海外から注目も。好みの味を探してみてはいかがでしょう・・・

・・・鮮やかな黄色が特徴で、ふりかけの代名詞ともいわれる「のりたま」(丸美屋食品工業)。今年、65周年を迎えた。1960年の発売当時、のりやたまごはぜいたく品で、旅館の朝食をヒントに、家庭で手軽に味わってもらいたいと開発された。ふりかけは魚を主原料としたものが中心だったため、たまごを原料にしたものは新しかったという。
8回のリニューアルを経て、いまでは国内向けに1日10万袋、年間で7・2億食(1食あたり小袋2・5グラムとした場合)製造されている。売り上げ(数量ベース)は2024年までの24年間で約2倍になった。

勢いがあるのは「のりたま」だけではない。調査会社の富士経済によると、ふりかけ販売量は13年の1万5530トンから、23年は1万7200トンに。一方、農林水産省によると、米の1人当たりの年間消費量は13年度の56・8キロが23年度は51・1キロ(概算値)に減った。米消費の減少にもかかわらず、ふりかけ消費が増えたのは、物価高騰でおかずを控え、ふりかけに頼るケースが増えているためとみられている・・・

へえ、ですね。お米の消費量が減っているのに、ふりかけの消費量が増えているとは。食材の高騰の余波だと、考えものですが。
私も子どもの頃、「のりたま」をかけて食べた記憶があります。私が5歳の時に売り出されたのですね。ほかに、海苔の佃煮「磯じまん」とか「江戸むらさき」も。おいしかったです。食卓には「味の素」も乗っていたような。しかし、中学生の頃には、これらは食べなくなったと思います。ほかのおかずが増えたのかなあ。

吉見俊哉著『アメリカ・イン・ジャパン』

吉見俊哉著『アメリカ・イン・ジャパン』(2025年、岩波新書)を読みました。
この表題では、多くの日本人が何らかのことを思い浮かべ、述べることができると思います。私も、自分なりに考えてみました。多くの人は、ペリー来航、太平洋戦争、占領と憲法、戦後のアメリカ生活文化の流入、豊かさと自由の目標としてのアメリカ、を要素として入れるのではないでしょうか。

本書の内容は、目次を紹介するとわかりやすいでしょう。
第1講 ペリーの「遠征」と黒船の「来航」――転位する日本列島
第2講 捕鯨船と漂流者たち――太平洋というコンタクトゾーン
第3講 宣教師と教育の近代――アメリカン・ボードと明治日本
第4講 反転するアメリカニズム――モダンガールとスクリーン上の自己
第5講 空爆する者 空爆された者――野蛮人どもを殺戮する
第6講 マッカーサーと天皇――占領というパフォーマンス
第7講 アトムズ・フォー・ドリーム――被爆国日本に〈核〉の光を
第8講 基地から滲みだすアメリカ――コンタクトゾーンとしての軍都
第9講 アメリカに包まれた日常――星条旗・自由の女神・ディズニーランド

どうですか。あなたの考えた「アメリカ・イン・ジャパン」と、どの程度共通していましたか。私は、私の考えていたことと少々異なっていたので、驚きました。それは、私の中にある「アメリカ・イン・ジャパン」が、一方的な日本人の「憧れ」であって、現実にはアメリカのアメリカ中心主義に巻き込まれた、それも被害意識なく巻き込まれた日本に気づかされたことです。
先住民を虐殺し、不法に土地を奪いながら、「自由の国をつくる」と説明し、西海岸に到達します。その続きで、ハワイやフィリピンを支配し、日本にも触手を動かします。今のトランプ大統領のアメリカを見ると、自国中心主義は素直に理解できます。

なお、73ページ後ろから2行目、「ギリス帝国」とあるのは「イギリス帝国」のまちがいでしょう。

30年という時間、体感と社会の変化

2%成長が10年続くと」の続きにもなります。
30年は、私にとって、ついこの間のことのように感じられます。10年でも長いのに、なぜ30年間を短く感じるのでしょうか。「歳を取ると時間がたつのが早くなる」といいます。確かに、子どもから30歳までの時間の感覚と、40歳から70歳までの30年間の感覚は、後者が短く感じられます。しかし、それだけではないように思います。

バブル経済が崩壊した1991年は、36歳でした。その後の30年間、現時点だと34年間を、官僚として働いてきました。ずっと仕事をしていたので、その間の変化を感じないようなのです。
しかし、当時7歳だった娘は40歳で、その子どもが二人。2歳だった息子は35歳でその子どもが一人。彼ら彼女らにとっては、変化の大きい30年だったでしょうね。もちろん、10年をとっても、変化に富んだ10年ずつだったでしょう。

私が生まれたのは昭和30年、1955年。その30年前は大正14年、1925年です。それから大恐慌があり、日本は戦争への道を突っ走り、そして敗戦。それから立ち直った期間です。日本社会にとって、それは大きな変化でした。
1955年を起点に取ると、1985年までの30年間です。一人あたり国内総生産がアメリカの10分の1という「貧しさ」から、驚異の発展を遂げて、アメリカに追いついたのです。「経済成長外国比較2024

私がこの30年間を長いと感じないのは、個人として安定した職業生活と私生活を続けたこと。それとともに、日本社会の変化が小さかった(小さく感じた)からかもしれません。

酒井大輔著『日本政治学史』

酒井大輔著『日本政治学史-丸山眞男からジェンダー論、実験政治学まで』(2024年、中公新書)を紹介します。
宣伝文には、「「科学としての政治学」は、どのような道程をたどったのか――。本書は、戦後に学会を創り、行動論やマルクス主義の成果を摂取した政治学が、先進国化する日本でいかに変貌してきたのかを描く」とあります。
丸山眞男、升味準之輔、京極純一、レヴァイアサン・グループ、佐藤誠三郎、佐々木毅先生たちが取り上げられています。私にも、なじみの深い先生たちです。他方で、取り上げられていない先生方もおられます。

戦後日本の政治学がどのようなことについて、どのような分析手法で立ち向かったか、簡潔にわかります。
戦前の国家学や戦後のマルクス主義など、今から思うと、よくこんなものが学問として通用していたのだなあとあきれます。その後、科学としての政治学を確立しようとするのが、戦後日本政治学でした。

学者の数だけ政治学がある、と言われる世界です。政治学も発展したことで、分野や分析手法が多岐になりました。それらをどのように分類するか。識者によって異なるでしょう。この本も、一つの見方です。
政治学には、たくさんの教科書があるのですが、「定番」がないようです。私の言う「知図」があれば、わかりやすいのですが。

この本は、歴史的にどのように変わってきたかを取り上げています。できれば、この80年間で、日本政治について何がわかって、何がわからないのか。また、政治学は、日本政治をどのように変えたのかを知りたいです。
日本政治と言えば、報道機関(新聞やテレビの政治部)による分析もあります。こちらは、どのような貢献をし、どのように変わってきたのでしょうか。
佐々木毅著『政治学は何を考えてきたか』(2006年、筑摩書房)を思い出しました。

私ならどのように書くかを思いつつ、よい考えはまとまりません。

 

『風呂と愛国 』

川端美季著『風呂と愛国 「清潔な国民」はいかに生まれたか』(2024年、NHK出版新書)を読みました。

日本人は清潔で風呂好きだと言われます。では、いつ頃からそうなったのか。江戸時代に風呂屋・銭湯が広まったとのことですが、庶民はどの程度の回数で使っていたのでしょうか。本書を読んでも、明確な統計はないようです(私が見落としたかも)。

風呂を沸かすとなると、湯船と洗い場という施設、給水と加熱設備が必要です(東日本大震災の際も、避難者に風呂を提供することは難しかったです)。庶民の家にはなく、風呂屋に行くしかありません。しかし有料ですから、貧乏人がどの程度の頻度で利用したのでしょうか。また、銭湯が成り立つには一定規模の利用者が必要ですから、小さな集落ではどうしたのでしょうね。

明治以降は、本書に書かれているように、国策として清潔が教育され、公衆浴場も広げられます。
ところが、1942年(昭和17年)に沖縄県で調査したところ半年以上入浴していない児童がいるので、学校が風呂を作ったことが紹介されています。これを見ると、国民全員が多い頻度で入浴していたわけではなさそうです。