カテゴリー別アーカイブ: 体験談

生き様-体験談

通学と通勤の思い出4

通学と通勤の思い出3」の続きです。今回は勤めてからです。これも、さして面白い話はありません。記録のために書いておきます。

まずは、地方勤務時代について。
自治省に入って最初の赴任地は徳島県庁で、県庁から100メートルほどのアパートでした。二度目の地方勤務は鹿児島県庁で、天保山の宿舎からバスで通いました。3キロほどだったでしょうか。三度目の地方勤務は富山県庁で、この時は車がつきました。
福島復興再生総局勤めの時は、週の半分は福島勤務でした。毎週新幹線で通い、福島では事務所近くのホテル暮らしでした。この時は2時間かかりました。これが一番時間がかかったことになりますが、毎日ではなく新幹線で旅行気分でした。東北新幹線は揺れが少なく、混雑していないので、動く書斎でした。原稿書きや読書をしてました(東海道新幹線は揺れるので、最近はパソコンを使うと、車酔いになります)。

東京勤務の際の勤め先は、霞が関、永田町、虎ノ門、広尾でした。さほど遠くない宿舎や住宅から、地下鉄などで通いました。
職場で泊まり込んで、通勤時間なしの日々もありました。局長室の床で寝ていると、職員に起こされるので、遅刻することはありませんでした。
今の家も、キョーコさんが霞が関に通勤するのに便利な土地を探してくれました。地下鉄で25分です。もっとも、その後の勤め先は霞が関駅周辺でなく、一つ手前の国会議事堂前駅が多かったです。

消防大学校(三鷹市)と自治大学校(立川市)には、高円寺駅から中央線を使いました。高円寺は東京の西側にあるので、三鷹駅までは近く、立川駅までは中央線快速で30分ほどでした。市町村アカデミーが千葉市にあり、わが家から東京を横断していくので、時間がかかるのです。

勤務した場所については「建て替えられる建物」、住んだ家については「建て替えられる建物、3」。この項終わり。

通学と通勤の思い出3

通学と通勤の思い出2」の続き、その他の通学についてです。これは、さほど変わった話ではありません。

幼稚園と小学校は隣の集落にあり、歩いて通いました。地図で見ると、300メートルほどです。小学校の昼食は、走って帰って、家で食べました。
中学校は、隣町の八木中学校に通いました。当時の校舎は近鉄八木駅の隣にあって、バスで30分ほどでした。
高校は、先に書いたとおり。毎日が遠足です。

大学に入って、東大駒場寮に入りました。学校の敷地内にあるので、通学時間は零分です。高校時代と、両極端です。
ところが、目覚まし時計が鳴っても「もう少し寝ていても大丈夫」と思って起きません。2時間目の授業も同じ。で、しばしば授業を欠席しました。反省。本を読むことがうれしくって、夜更かしをしたことも原因です。知らない本や読みたい本が、たくさんありました。
高校時代にあれだけやせていたのに、大学に入ると1年で10キロも太りました。通学時間が減った、勉強時間が減った、寮生活で食生活が偏ったことなどによるのでしょう。まことに不健康な、だらしない2年でした。さらに反省。

法学部に進学し本郷に移ったときは、正門前に下宿しました。学校から100メートルも離れていませんでした。ただし、勉強しないと授業についていけない、公務員試験を受けるつもりだったので、授業にも出て勉強するようになりました。特に3年生は、岡義達先生のゼミに入り、1930年代の英語の本と格闘し、しばしば徹夜もしました。「思い出の本、原書講読
食事も気をつけました。4年生の春に伝染病にかかり、さらに健康に注意するようになりました。学校の周りを走ったり、プールで泳いだりも。で、それ以上は太りませんでした。
通った学校については「建て替えられる建物、2」。

通学と通勤の思い出2

通学と通勤の思い出」の続きです。
朝は学校まで1時間半かかりましたが、帰りはもっとかかりました。

朝のバスは、電車の時間にあわせてあったようなので、橿原神宮前駅での待ち時間は短かったです。西大寺駅から奈良駅までの電車や、市内循環バスも本数が多いので、待ち時間は短いです。
ところが帰りは、そうはいきません。西大寺駅に着いても橿原線の電車の本数は少なく、さらに橿原神宮前駅から岡までのバスは昼は1時間に1本で、夕方は2本あったでしょうか。接続していないので、駅で長時間待つことになります。学校から家まで、合計2時間近くかかる時もあります。

土曜は学校が昼に終わりますが、学校で時間をつぶすか、あまりに待ち時間が長い時は橿原神宮前駅から家に向かって歩きました。ほとんどの場合、村に向かう車やバイクの誰かが拾って、家まで送ってくれました。当時はヘルメット着用義務がなかったので、バイクの後ろに乗せてもらいました。当時は5キロと思い込んでいて遠く感じましたが、地図で見ると4キロほどですね。

部活でサッカーをしていたときは、帰りはヘトヘトになり、電車のつり革につかまって寝ていたようです。見かねた人が、席を譲ってくれたこともあります。
バスの最終便は早く、生徒会活動や学園祭の準備をしていると、帰りのバスに乗り遅れます。父が車で迎えに来てくれました。
しばしば、学校近くの友人の家に、泊めてもらいました。U君のお母さん、T君のお母さん、ありがとうございました。先生の家に、泊めてもらったこともあります。U君もT君も家から高校まで数百メートルで、徒歩通学です。私の通学定期券をうらやましがっていました。私は彼らを、うらやましく思いました。

毎日が遠足でした。それも理由の一つと思うのですが、高校3年間いくら食べても体重が増えず、やせていました。受験勉強で睡眠時間が短かったことも理由でしょう。
それに比べると、今の通勤は電車の本数が多くて便利、ほとんど座っていけるので、苦になりません。

通学と通勤の思い出

電車通勤」の続きにもなります。1時間半あまりの通勤は、私の毎日の通勤としては一番長い時間なのですが、高校時代はもっとかかりました。

高校は、奈良市にある奈良女子大学附属高校に通いました。
家のある明日香村大字岡から、バスで近鉄橿原神宮前駅まで行きます。家からバス停までは100メートルあまりなので、近くです。バスの本数は通学通勤時間帯は、1時間に2本以上ありました。飛鳥の宮跡や古墳の横を通って、橿原神宮前駅まで15分です。

近鉄橿原線で、大和西大寺駅まで30分(急行)から45分くらい(各停)かかります。1時間にそれぞれ2本ずつ、朝はもっと多くの本数があったでしょうか。大和盆地を北上し、郡山城や薬師寺の横を通ります。西大寺駅で近鉄奈良線に乗り換えて、平城宮跡を横切り、近鉄奈良駅まで約5分です。
奈良駅で、市内循環バスに乗り換えます。町の南、紀寺にある学校まで、興福寺や東大寺の前を通って約10分ほど。(帰りはバスに乗らず、奈良公園や奈良町の中を歩いて帰りました。ぜいたくな散歩です。)

家から学校まで、バス、電車、電車、バスを乗り継ぎます。待ち時間を入れると、最短でも1時間半かかりました。学生の中でも、最も遠いところから通っていた一人でしょう。
白状すると、朝起きるのが苦手で、しばしば父が車で駅まで、時には学校まで送ってくれました。朝6時のバスは、当時はつらかったです。早朝に目が覚める今から思うと、別人です。学校からの帰りについては、次回に

お酒も訓練が必要

NHKウエッブニュースに「私、こんなに弱かったっけ? 久しぶりの居酒屋で」(11月17日掲載)が載っていました。

・・・緊急事態宣言がすべて解除されて1か月余り。久しぶりに会った友人や仕事帰りに職場の同僚と一緒に、居酒屋で楽しくお酒を飲んでいたら・・・。
「あれ。私、こんなにお酒に弱かったっけ」酔った中で感じたことありませんか?
その感覚、実は間違いではないかもしれません・・・

・・・都内でクリニックを営む高山哲朗医師に聞いてみました。
「久しぶりに飲むとお酒に酔いやすくなるのは一部の方について言えば本当です。もともと飲めない人とお酒に強い人がいます。日本人は結構な割合で飲んでるうちに、だんだん強くなるとか、お酒に慣れる方が多いようなことが遺伝的にわかってきています。そういう方がしばらくお酒から離れると弱くなってしまいます」
高山医師は日本人の特性に加え、アルコールの分解にも関わる酵素の働きが鍵を握っているといいます。
「お酒を飲んでいる時は、酵素がアルコールを分解する活動をいっぱいしてくれますが、お酒を飲まなくなると活動しなくなります。久々に飲む場合は酵素が十分に働かず、結果としてお酒に弱くなってしまう人が出てきてしまいます」・・・

実は、半年近く夜の意見交換会を中止していた私も、同じ「症状」なのです。「訓練」を再開しているのですが、なかなか元には戻りません。
キョーコさん曰く「飲まなければ、よいのよ」。
はい、ごもっとも。