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生き様-体験談

官邸の怪人、「民」と出会った衝撃 復興の現場で。その3

朝日新聞「官邸の怪人、「民」と出会った衝撃 復興の現場で」」の続きです。朝日新聞ニュースレター「官邸の怪人、「民」と出会った衝撃 復興の現場で 」(10月11日配信。秋山訓子編集委員執筆)が、朝日新聞ウエッブサイト・アナザーノートに掲載されました。内容は同じもののようです。会員制ですが、記事下にあるように無料登録するか、文末「関連ニュース」の右下のリンクからアナザーノートに無料登録すると、全文が読めます。

この記事を読んだたくさんの人から、ねぎらいや励ましのお便りをいただきました。ありがとうございます。いくつか紹介します。少し改変してあります。
・官僚も、すばらしい仕事をしてることがわかりました。
・官僚の悪口ばかりが目につく時代に、この記事を読み、うれしくなりました。
・今後ますます「怪人」ぶりを発揮して、世の為に腕を振るってください。
・記事の最後の文章、「「政」と向き合い、時に翻弄された「官」の人生は、終盤に「民」と出会ってさらに豊かに深くなった」がよいですね。
・NPOが、被災者支援や復興をはじめ行政と協働するのは当たり前になりましたが、このようになったのは東日本大震災からだったことを思い出しました。

中には、次のようなものも。
・秋山記者の筆力で、臨場感がありました。引き込まれました。
・主語が「岡本氏」になっていますが、「ぜんしょうさん」の間違いでは。
・岡本さんの発言が、関西弁ではありません。

官邸の怪人、「民」と出会った衝撃 復興の現場で。その2

朝日新聞「官邸の怪人、「民」と出会った衝撃 復興の現場で」」の続きです。記事にも登場する藤沢烈さんが、ブログに書いてくれました。10年を振り返ってです。「岡本全勝さんという稀有な官僚の退任」(10月13日掲載)。藤沢さんは、復興をはじめ社会の課題に取り組むNPO「RCF」を運営しています。

・・・岡本全勝さんとはじめて「遭遇」したのは、2011年春。東日本大震災に関わる大臣が一同に会する会合を、全勝さんが完全に仕切っている現場においてでした。私は当時、内閣官房震災ボランティア連携室の一スタッフとして会合に陪席していたのですが、「こうした方が復興施策をリードしているのか」と衝撃を受けたことを今でもはっきりと覚えています。
その後、様々な偶然でご縁を頂き、官と民のあり方について指導頂いています。私やRCFは行政と民間の連携をミッションとしていますが、この道を進むと決めたのは、全勝さんとの出会いがきっかけでした・・・

・・・RCFは、社会事業コーディネーターという仕事をしています。RCFによるコーディネイトは一般と異なります。根底にある社会課題に向き合い、関係者を調整というよりもむしろリードしながら、仕事を進めます。こうした視点を持てたのも、全勝さんの仕事を見たからでした。
「復興」という言葉に答えはありません。基本は被災者に寄り添うことですが、寄り添いすぎても、その地域の復興にとってプラスにならないこともあります。被災自治体と県と国。民間と行政。復興にむけて連携が必須ですが、利害が一致しないことも多々あります。
そうした中で全勝さんは常に仕事に哲学をもっていて、その世界観にあらゆる関係者を巻き込みながら、影響をあたえながら、新しい社会を創り続けていました。そうでなければ復興は進まなかったはずです。社会課題解決においても、そうしたビジョンとリーダーシップがあるコーディネーターが必要だと、全勝さんを通じて気づくことができました・・・

過分のお褒めの言葉、ありがとうございます。NPOの活躍を社会に認知してもらい、行政の関係を変えることができたと思います。それに貢献できたことは、私の誇りです。
NPOは、いまや災害時には、なくてはならない存在になりました。阪神淡路大震災がボランティア元年と呼ばれましたが、東日本大震災はNPOが認知される場でした。次は、災害以外での活躍を、社会で認知してもらい、さらに協働を進めることです。

朝日新聞「官邸の怪人、「民」と出会った衝撃 復興の現場で」

朝日新聞ニュースレター「アナザーノート」で、取り上げられました。「官邸の怪人、「民」と出会った衝撃 復興の現場で 」(10月11日配信。秋山訓子編集委員執筆)。
・・・発足したての菅政権についての多くのニュースが新聞を埋めていた9月19日、紙面の片隅にひっそりと小さな記事が載った。
福島復興再生総局事務局長の岡本全勝氏(65)が退任――。2011年以来9年半、東日本大震災の復興に取り組んできた末のことだった・・・ 

私と大震災復興の始まり、復興でのNPOとの出会いと協働などが書かれています。帽子の話は、本論と関係ないと思うのですが(苦笑)。記事の最後は、次のように締めくくられています。

・・・2015年、岡本氏は復興庁の次官となる。退任後は福島復興再生総局の事務局長に就任した。原発事故からの復興という前例のない難しい仕事で、政府と与党、地元の調整役を担った。
「復興の仕事に一発回答はない。とにかく少しずつ、今回はここまで、というのを水面下で瀬踏みしながら繰り返してきた」
週の半分は2泊3日で福島に通った。何度も何度も足を運び、根気強くていねいに交渉や説明を繰り返した。「震災発生直後からずっと復興に関わってきた岡本がやってここまでなら、しゃあない、と思われるのが理想だった」

そうやって10年近くがたった。
「退任が報じられると、多くの人から、『今やめるなんて』とおしかりを受けた。全部が全部、皆さんの期待に応えられなかったけれども、長年公務員として働いてきた自分だからこそできたことがあったのではないかと思います」
「政」と向き合い、時に翻弄された「官」の人生は、終盤に「民」と出会ってさらに豊かに深くなった。
岡本さん、おつかれさまでした。・・・

ありがとうございます。これだけ仕事ができたのは、関係者の理解のおかげです。1週間後に、朝日新聞のウエッブサイトにも載るそうです。

一つの仕事に長く従事する

私の内閣官房参与退任が報道されると、たくさんの人から、ねぎらいの言葉をいただきました。ありがとうございます。その多くに、「長く従事しましたね」が含まれていました。

内閣官房参与は、4年あまり勤めました。東日本大震災対応は発災直後からですから、9年半になります。発災直後から従事している国家公務員は、たぶん私だけでしょう。公務員は、通常2年から3年で異動しますから。
9年の間に、事務局次長、統括官、事務次官、内閣官房参与と職位は変わりましたが、一貫して復興に携わりました。これは、極めて異例だと思います。しかし、ありがたいことでした。

東北復興のように、対象地域が限られている場合は、長期間従事は重要です。被災者はこの9年間、被災者におかれたままです。自治体幹部も、当時のままか、2代目であっても経験者です。その人たちを相手にする際に、「初めまして」より、気心が知れている方が話が早いです。そして、発災直後を知っているかどうかは、その人たちと話をする際に、大きな要素となります。
インフラ復旧などは担当者が交代しても、計画通り工事が進められます。そのようなお金と物でできる行政分野もありますが、行政は人を相手にすることが主です。人間関係が重要なのです。行政の各分野において、公務員はもっと長期間従事すべきです。

他方で、「まだ、難しい課題がたくさん残っているのに、卒業するのか」という、お叱りの声もいただきました。これは、一緒に課題に取り組んでいる関係者の方々からです。地元の方、与党幹部、各省の関係者、マスコミの諸君・・・。福島の皆さんにも、その点は申し訳なく思っています。
「課題を完成させて卒業する」ことが理想ですが、福島からの復興はまだまだ先が長く、私がすべてを見届けることも難しいです。
そこで、私がいなくても、復興が進むように「仕組み」は作り上げてあります。福島特別措置法の改定と延長、復興庁の10年存続、与党提言を始めとする課題解決の手法など。
いくつか、私が抱えている課題については、復興庁顧問として、仕上げるつもりです。いましばらく、お付き合いください。