投稿者アーカイブ:岡本全勝

連載「公共を創る」目次4

2021年10月23日   岡本全勝

「目次3」から続く。
全体の構成」「執筆の趣旨」「日誌のページへ」「目次」「目次2」『地方行政

第4章 政府の役割再考
2 社会と政府
(1)社会を支える民間
10月28日 97社会と政府ー保険に見る企業と政府の協働
11月11日 98社会と政府ーサービス提供、担い手は官か民か
11月18日 99社会と政府ー広がる企業の役割
11月25日 100社会と政府ー通念と生活の「ずれ」ー顕在化した不安
12月2日 101社会と政府ー家族と職場に見る「ずれ」の実像
12月9日 102社会と政府ー「新しい通念と仕組み」構築の方向性
12月16日 103社会と政府ー「通念」を変える─その方策と障害

2022年
(2)政府の社会への介入
1月13日 104社会と政府ーその理念的な推移
1月20日 105社会と政府ー産業政策と日本の発展
1月27日 106社会と政府ー産業政策の転機
2月3日 107社会と政府ー政府とコミュニティーの関係
2月10日 108社会と政府ー「国のかたち」の設定ー倫理
2月17日 109社会と政府ー倫理や慣習への介入
3月3日 110社会と政府ー社会意識の変化
3月10日 111社会と政府ー「世間の目」と学歴・職業観
3月17日 112社会と政府ー倫理や社会意識、議論する場は?
4月7日 113社会と政府ー生活への介入
4月14日 114社会と政府ー「生きていく力」を身に付けるには
4月21日 115社会と政府ー個人の自由への介入
5月12日 116社会と政府ー家族と個人の衝突
5月19日 117社会と政府ー国民・社会の政府に対する意識
5月26日 118社会と政府ー国民の政治参加と新自由主義的改革の実像
6月2日 119社会と政府ー「戦後民主主義」の罪
6月16日 120社会と政府ー政治への嫌悪感とゼロリスク信仰
6月23日 121社会と政府ー行政・官僚への不信ーその内実
7月7日 122社会と政府ー行政と官僚ー信頼回復への道筋
7月14日 123社会と政府ー政治参加の現状─主権者教育と地方自治
7月21日 124社会と政府ー社会参加の意識─諸外国との比較
8月4日 125社会と政府ー社会参加政策のあり方―スウェーデンとドイツ
8月18日 126社会と政府ー政治・社会参加を促す具体策
8月25日 127社会と政府ー政治・社会参加の重要性
9月1日 128社会と政府ー政治・社会参加で「つながり」を得る
9月8日 129社会と政府ー日本における政治・社会参加の現状考察
9月29日 130社会と政府ー求められる「構造的な改革」
目次5」へ。

連載「公共を創る」第96回

2021年10月22日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第96回「「孤独・孤立問題と近代憲法の限界」が、発行されました。

近代国家は弱者を発見して、その人たちを支援する仕組みをつくってきました。しかし、孤独・孤立問題や社会的包摂は、これまでの憲法が定めた自由権や社会権では対応できません。
自由権は、国家の干渉を否定する自由国家・消極国家の思想を基礎とする、国家に対する不作為請求権であるのに対して、社会権は、国家の関与を広く認める社会国家・積極国家の思想を前提として、国家の積極的な作為を請求する権利です。ところが、引きこもり、若者無業者、うつ病や自殺の増加といった孤独・孤立問題への支援は、この自由権と社会権という憲法の論理に収まらないのです。
この人たちは、国家に対して「××が不足しているので支援してほしい」とは主張しません。支援を必要としていると周囲の人は考えるのですが、その人たちへの支援は彼ら自身の国家への請求権によるものではありません。では、周囲の人たちの救済請求によるものなのか、それとも社会が守らなければならない「正義」のようなものがあるのでしょうか。

この200年の歴史を見ると、近代憲法は二つのことを忘れていたようです。
一つは、自立できない人たちです。市民革命は封建時代のさまざまな桎梏から、人を解き放とうとしました。自由と平等がその理念でした。そこで想定されたのは自立した個人でした。しかし現実には、経済的に自立できない人がいることを忘れていました。これについては社会権を発見し、社会保障制度を発明しました。もう一つ、近代憲法が忘れていたことがありました。それは、個人は独立して生きているのではなく、互いに助け合って生きていることです

これで「第4章政府の役割再考 1社会の課題の変化」を終え、次回第4章第4章2社会と政府」に入ります。

総選挙で問われること

2021年10月21日   岡本全勝

10月15日の日経新聞経済教室「衆院選、何を問うべきか」、野中尚人・学習院大学教授の「国民に選択肢・対立軸示せ」から。

・・・慌ただしい自民党総裁選と岸田文雄内閣の成立を受け、息つく暇もなく衆院選に突入することになった。
むろん、2017年の前回衆院選から4年が過ぎ、すべての政党と政治家、そして国民にとって予定されたことではある。しかし、こうした極端な慌ただしさを余儀なくした自民党の対応には疑問も大きい。いつまで「55年体制」時代の党内向けのルールを使い続けるつもりなのだろうか。
この慌ただしさは衆院選にも深刻な影響を及ぼす。総裁選の候補がどんな政策を推進しようとするのかしっかり確認できないまま、そうした不透明さが衆院選にも持ち込まれるからだ・・・
・・・日本の衆院選は、先進国ではほぼ最短の選挙だ。例えば英仏独での直近の総選挙では、事実上の公示から投票までの期間は30日を超える。選挙の仕組みが異なるとはいえ、日本の12日とは大きな差がある。しかも英仏独ではほとんど解散がなく、任期満了日のはるか前から対応が進む。第2次安倍政権以来の「不意打ち」解散も今回もひたすら最短を狙ってきたようだ。野党に対するけん制の面が大きいが、本質は国民に対する向き合い方の問題である。
国民に十分な判断材料を示し、これまでの政権運営と政策展開についてしっかり説明することが、総選挙に臨む政権与党にとって最も重要な責務だ。だが今回もこうした基本中の基本を無視し、有権者の選択権という民主主義の根幹をむしばむ行為を続けている・・・

・・・総選挙にあたって、われわれは何を考えるべきだろうか。自民党については、次の2つの課題に対して本当に取り組む意思があるのかどうかが問われる。
一つは官邸主導のオーバーホール(総点検)である。首相と官房長官には十分な権限が与えられている。問題はそれを適切に使いこなせるか否かであり、つまりはトップリーダーの能力と人格が問われる。能力は当然として、強い権限を持った権力者には特別な倫理観と政治哲学も不可欠だ。岸田首相はその条件を満たしているのだろうか。
この10年ほど、官僚には極端な忖度を強制し、メディアへの圧力ととられる行為が政権中枢からたびたびあったともいわれる。岸田首相とその周辺がこうした問題意識を十分に自覚しているのか否か、よく見極める必要がある。

もう一つのポイントは、政策の実行能力の問題である。55年体制時代の自民党政権は、官僚との緊密な協力体制を築くことにより政策の確実な実施を担保してきた。確かに政策のスピードや刷新力という点では問題があったが、一定の実行能力を示してきた。だがこの10年間の実績はどうだろうか。次から次へと人目を引きそうなスローガンが打ち出されたが、最後まで取り組んで約束を果たしたといえるものは何だろうか。
少子化対策や地方創生、規制改革など、主だった政策はほぼ掛け声倒れに終わってきた。アベノミクスも一時的な浮揚効果は大きかったが、構造改革問題にはほとんど手がつけられなかった。菅政権では実行にウエートを置こうとしたようだが、うまく運ばなかった。
岸田政権はこれを克服して、「つらい」政策の実施までやれるのだろうか。それとも歴代自民党政権の十八番ともいえる財政資金のバラマキに終始するのだろうか・・・

親ガチャという不平等

2021年10月20日   岡本全勝

10月14日の朝日新聞オピニオン欄は、「親ガチャという「不平等」」でした。
・・・「親は選べず、親次第で人生が決まってしまう」。そんな人生観を表す「親ガチャ」を巡り、論争がわき起こった。SNSのスラングとされるこの言葉になぜ人々は反応するのか・・・

土井隆義・筑波大学教授の発言「実は親でなく社会の問題」から。
・・・親ガチャを巡っては、「自分の努力不足を親のせいにするな」という中高年に対し、若い世代は「分かっていない」と反発しています。
私は、世代間の認識ギャップとして、この問題を理解する必要があると思います。
まず努力の認識が世代によって違います。日本経済が大きく成長していた1990年代までを体感した中高年は、進学・就職・昇進などで自分のなした努力以上のリターンを得ることができた。一方、30代以下は経済成長率が1%台の世界を生きてきた世代です。努力しても、そのリターンは小さなものになっている。「人生は努力する価値がある」と言われても、「努力して成果があるのか」と疑念が先に立ってしまうのです・・・
・・・私は、親ガチャという言葉で自分の境遇を憂える若者にも、認識上の錯誤があると考えます。格差は私たちが作る社会制度によって解消されるべきものだからです。社会の問題を、個々の家庭の問題にすり替えてはいけません。
若者自身も、この状況を改善するため、社会に対して声を上げてほしいと思います・・・

五十嵐衣里・東京都議会議員・弁護士の発言「「頑張れば」は呪いの言葉」から。
・・・自分の置かれた境遇を嘆く人に対し、「頑張れば成功できる」と説く人はたくさんいます。私はこの言葉は「呪いの言葉」だと思っています。貧困を生んでいるのは政治や社会なのに、個人に責任を押し付けているからです。
私はたまたま勉強が苦でなく、勉強できる環境も整っていました。でも、環境が整っていない人や、何を頑張ればいいかわからない人もいます。そんな人たちにも、あきらめを強要する言葉です・・・
・・・政治の役割は家庭に恵まれなかった人のために環境を整えることです。必要な知識や技術を身につける学びの場を増やし、金銭的支援もする。多様な経歴や背景を持つ人たちが政治に関わり、それぞれの視点で支援策を提案していければ、「親ガチャ社会」を変えられるはずです・・・

教科書を覚える教育

2021年10月20日   岡本全勝

10月12日の日経新聞教育欄、中山迅・宮崎大学教授の「理科教育の課題 「科学とは」授業で欠落」から。

・・・経済協力開発機構(OECD)が15年、高校1年生を対象に行った学習到達度調査(PISA)で「科学とは何か」に関する認識を調べた結果も気になる。
その内容はこうだ。科学の特徴には、観察や実験から得られた証拠に基づいて真偽が決定される「実証性」▽同じ条件で何度繰り返しても同じ結果が得られる「再現性」▽定説とされる理論や法則も新しい発見があれば覆される可能性があり、「正しさ」は当面のものであるという「暫定性」――などが含まれる。
「何が真実かを確かめるよい方法は、実験することだ」という見解への賛否を尋ねる形で実証性に関する認識を調べたところ、この見解に賛成した日本の高校生は80.6%だった。
同様に「発見したことを確認するために、実験は2度以上行った方がよい」(再現性)には81.2%、「科学の本に書かれている見解が変わることがある」(暫定性)には76.9%しか賛成していない。数値だけ見ると高い割合と感じるかもしれないが、他国と比べると実は日本は最も低いグループに位置している。

例えば米国は実証性には90.0%、再現性には91.7%、暫定性には86.8%がそれぞれ賛成している。教科書に書いてあっても新事実の発見で学説が変わりうることは自然科学では当たり前であり、それこそが科学の発展の一部なのに、そのことを認めない若者が無視できない割合でいることに驚かされる。
どうも教科書の内容を絶対視しすぎているようなのである。日本人は全体的に高い科学的知識があるが、科学の本質についての理解が十分かというと、そうでもない。
原因の一つは学校の教科書に「科学とは何か」を教える内容が乏しいことにある。学習指導要領に、学習すべき内容として明記されていないため、教科書でもほとんど触れられていない・・・