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個人の時速と社会の時速2

個人の時速と社会の時速」の続きです。
社会の時間について、「各人にとって、自分の時間感覚とは違った早さで、社会が変化し、過ぎ去っていきます。夏目漱石や鄧小平が感じたのは、それだったのでしょう。そして、社会の時速は、どんどん速くなっているように思えます」と書いたのですが。

今年は、平成で言うと37年です。37年間を明治に置き換えると、明治37年(1904年)は、日露戦争が始まった年です。この間に、武士の支配を廃止し、新政府を建て、鉄道を走らせ、内閣制度・地方制度・憲法をつくり、軍隊をつくり、日清戦争に勝利してと、大改革と大変化をもたらしました。
昭和に置き換えると、昭和37年(1962年)までの間に、戦争があり、敗戦があり、焼け跡からの復興があり、経済成長に入りました。
戦後で言うと、昭和20年(1945年)+37年は昭和57年(1982年)。その間に、敗戦から立ち直り、西ドイツを抜いて世界第2位の経済大国になりました。東京オリンピックは昭和39年(1964年)、大阪万博は昭和45年(1970年)でした。三種の神器(白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫)、3C(カラーテレビ、クーラー、カー)が各家庭に普及しました。

それらに比べると、この37年間の変化は小さいようです。戦争がなかったことは良いことですが。政治と行政では大きな変化はなく、挙げるとしたら介護保険制度の導入(2000年)でしょうか。身の回りで言うと、新しいものは携帯電話、スマートフォン、パソコンの普及でしょうか。給料は上がらず、非正規労働者が増えました。
「社会の時速(変化)が速くなっている」とは、言いにくいようです。
30年という時間、体感と社会の変化

トランプ流「憎悪の経済学」

10月9日の日経新聞オピニオン欄、西村博之・コメンテーターの「トランプ流「憎悪の経済学」 自滅いとわぬ排斥の合理性」から。
・・・米トランプ政権の排外的な政策で米移民人口は2025年前半だけで140万人も減ったと米調査機関ピュー・リサーチはみるが、影響は移民にとどまらない。「外国人歓迎せず」の姿勢は国外からの訪問客も遠ざけ、25年は増加の予想から一転して6%、450万人減ると業界団体は予想する・・・

・・・経済への影響は避けられない。
移民が労働者の3割を占める建設業界では、拘束を恐れて米国籍をもつ移民まで外出を避け「業者の92%で働き手の確保が難しくなった」(米国建設業協会)。
農業への打撃も大きく、果実の一大産地、カリフォルニア州オックスナードを対象とした調査では労働者が最大40%失われ、生産減で価格は同12%上昇した。
接客業も人手が逼迫し、全米レストラン協会はトランプ大統領に配慮を求める書簡を送った。
余波は米国人の働き手にも及ぶ。「屋根や柱をつくる移民が去れば米国生まれの電気工や配管工の仕事も減る」と米経済政策研究所(EPI)のベン・ジッペラー氏は指摘する。「皿を洗う移民がいない飲食店は営業が滞る」
ダラス連銀は無資格移民の減少だけで25年の経済成長率は最大1%低下するとみるが、合法な滞在者や2次、3次的な影響も考慮すると打撃はさらに広がりうる・・・

・・・憎悪と経済の関係を深掘りした英ブラッドフォード大のサミュエル・キャメロン教授は、憎悪が単なる心理的、社会的現象でなく「効用の最大化」という経済学の基本原則から理解できると説く。
ポイントは「効用」が物理面・金銭面にとどまらない点だ。たとえば移民の排除で経済が傷めば狭くは「非合理的」でも、優越感や不満の発散、政治的一体感など別の領域で満足感を得られれば十分に理にかなう。こうした心理的満足感には中毒性があり憎悪を補強・継続させるとも指摘した。
一方、憎悪を生産者と消費者の取引に見立てたのが米ハーバード大のエドワード・グレイサー教授だ。生産者たる政治家は支持や献金、得票といった利益を狙って憎悪を振りまき、これを有権者が消費する。憎悪の需要が増すのは生活苦などで不満を宿す有権者が自らの感情・偏見と共鳴する言説に繰り返し触れたとき。真偽を検証する動機は薄いため、うそと憎悪が自己増殖しやすいとした。
ともに憎悪は非合理的でなく、理にかなうゆえに継続・拡大するとの指摘で、今後の米世論と政策を占う上で示唆に富む。経済に悪影響が広がっても、あるいは広がればなお、よそ者を排する動きが勢いづく懸念は拭えない。

前例はある。1910〜70年代、米南部での差別を嫌った黒人が北部に逃れた「大移動」だ。
「収穫の人手が足りず農地にも利益にも痛手だ」(ルイジアナ州の大農園主)、「工場を増設したいが労働者がいない」(テネシー州の石炭・鉄鋼会社の幹部)。1918年の労働省の報告書が記した経済界の声だ。ミシシッピ州の木材加工業者は人手不足による賃金上昇を、綿花農家は収穫減による銀行の貸し渋りを嘆いた。
一方で「黒人と一緒に働くくらいなら工場は空でいい」(同州の白人市民評議会)といった声も根強く、差別の激化が人材流出に拍車をかけた。結局、600万もの黒人が南部を去り、経済発展で北部に長く遅れる要因となった・・・

機械は人を楽にしない3

機械は人を楽にしない2」の続きです。時間を節約するために作った機械が、時間を取ってしまうのです。楽にするどころか、余裕をなくし、苦しめている場合もあります。

最近では、スマートフォンです。機械は人間が使うものですが、スマホは機械が人間を使っているようです。本人が気になる動画を見たい、ゲームを止められないといった中毒的症状のほか、友人との会話を途切れさせたくないといった理由から、四六時中、気にかけている必要があるようです。

二つの危険があるようです。一つは、悪意を持った人や組織が、迷惑行為や犯罪に引き込ませる場合です。企業がそれに便乗していることもあります。道具や機械が本来の働きでなく、危険をもたらすことはあります。包丁が殺人に使われたり、自動車が事故を起こしたります。

もう一つは、スマホ中毒の危険です。このホームページでも、紹介しています。酒、タバコ、麻薬、賭博の中毒は広く知られていて、近づくことにも規制がかけられています。しかし、多くの人にとってスマートフォンは手放せないものでしょう。迷惑や犯罪行為に引っかかるのではなく、自ら(問題ない画面に)注意を吸い取られ、時間を奪われてしまいます。
どのようにして、これらを規制・是正していくか。スマートフォンを飼い慣らす試みが続けられるでしょう。

最近の政権の評価

10月25日の日経新聞「経済論壇から」、土居丈朗・慶応大学教授の「高市新首相の政権運営」から。
・・・石破茂首相が退陣表明してから1カ月半かかって、ようやく10月21日に高市早苗氏が新首相となった。
政策研究大学院大学教授の飯尾潤氏(週刊東洋経済9月27日・10月4日号)は、これまでの政権運営は、本格的な「アジェンダ設定の不在」こそが、国民の政権や自民党への不信感を増幅させたとみる。アジェンダ設定とは、単にどの問題を取り上げるかだけではなく、どのような視点から問題を把握して、どの方向へ解決していくかという要素を含む。石破内閣は昨年の衆議院総選挙以来、アジェンダ設定権を野党に奪われたままで、日本をどこに持っていくのかが示せなかった。

少数与党だから仕方ないという言い訳ばかりでは、政策遂行能力が疑われる。安倍晋三政権の下で、官邸主導体制が確立し、官僚のみならず政治家まで、官邸からの指示待ちのクセがついてしまった。自民党内でしっかりした政策論議があれば、人々の関心はむしろ自民党内の議論に集まり、アジェンダ設定権を取り戻せる。議論に説得力がなければ、自民党はもっと苦しい立場に置かれると手厳しい。

石破内閣は決定的な失策を犯したわけではないが、コメと関税の問題を除いてほぼ「やってる感」を示さなかったと評するのは、東京大学教授の境家史郎氏(中央公論11月号)である。
地方創生や防災庁設置といった石破首相肝いり政策は、実質的に日の目を見る前に政権が終わった。コメの価格高騰対策、高校の授業料無償化、「103万円の壁」の見直しが、石破内閣の主要業績というが、後の2つについては野党が持ちこんだものだった・・・

個人の時速と社会の時速

30年という時間、体感と社会の変化」「社会の変化に追いつかない意識」の続きにもなります。

個人にとって貴重なものには、財産や健康、家族や友人があります。それぞれ持って生まれたもの、その後に増やしたり減らしたものがあります。もう一つ貴重なものは、時間です。1日24時間は、万民に共通です。それをどのように使うか、有効に使うかどうかで差が出ます。多くの人が「忙しい、忙しい」と言うのですが。

社会の時速については、「汽車と新幹線、漱石と鄧小平」を書いたことがあります。
夏目漱石は『草枕』1906年に、「汽車程二十世紀の文明を代表するものはあるまい。何百と云ふ人間を同じ箱へ詰めて轟と通る。情け容赦はない。詰め込まれた人間は皆同程度の速力で、同一の停車場へとまつてさうして、同様に蒸気の恩沢に浴さねばならぬ」と書きました。
改革開放に舵を切った中国の指導者、鄧小平氏が1978年に来日し、東京から京都まで新幹線に乗車した際は「まるで首の後ろから金づちで打たれているようなすごいスピードを感じる」と感嘆しました。

各人に与えられた24時間は、誰にでも、どこでも、いつの時代でも同じです。しかし、それぞれの人にとって、1時間は同じではありません。同じようには感じないのです。
朝の10分は急いでいるので貴重で、早く経ちます。でも、夜の10分は気になりません。飲んでいるときは、さらにです。子どもの時は1日が長かったですが、大人になると早く過ぎます。
視野の時間的広さ・ゾウの時間 ネズミの時間2

そして、社会の時間の早さです。各人にとって、自分の時間感覚とは違った早さで、社会が変化し、過ぎ去っていきます。夏目漱石や鄧小平が感じたのは、それだったのでしょう。そして、社会の時速は、どんどん速くなっているように思えます。