投稿者アーカイブ:岡本全勝

平成29年の回顧2、執筆など

2017年12月29日   岡本全勝

平成29年の回顧、その2は執筆活動についてです。(その1

2015年11月から始めた「明るい公務員講座」は、「初級編」35回、「中級編」42回の連載を終えました。よく続きましたねえ。2年間、毎週休まずに続けました。我ながら、えらい。
初級編の一部は、2月に『明るい公務員講座』として出版しました。好評で、4刷りまで出ました。ありがとうございます。初級編の残りと中級編の一部を編集して、『明るい公務員講座2』を出版する予定です。その作業を進めています。ご期待ください。
執筆活動については、右筆に感謝しなければなりません。私がええ加減に書いた文章を読んで、人様に読んでもらえる状態に加筆してくれるのです。
このテーマでの講演の依頼もいくつか、こなしました。
1月から、新しいコラムの連載を始めます。その原稿も、執筆中です。

4月から、久しぶりに、慶應大学法学部で講師を務めています。春学期は、地方自治論Ⅰと公共政策論、秋学期は地方自治論Ⅱです。以前の講義ノートが使えないと分かり(時代は進みます)、準備に苦労しながら、講義を続けました。朝9時から熱心に聞いてくれる学生が、励みです。

このホームページの執筆も、ほぼ毎日、続けました。平成28年11月に、社長に作成ソフトを入れ替えてもらいました。「見やすくなった」と好評です。スマートフォンでも見ることができるのです。出張先でも、携帯パソコンを持っていけば加筆できるので、福島のホテルでも、加筆しています。
「最近は、新聞記事の紹介が多いですね」との意見もあります。そうですね。近年は、復興の「実況中継」が多かったのですが、津波被災地では完成に近づき、原発被災地では方向性が出たので、大きな動きが減りました。それが一つの理由です。まあ、毎日、そんな面白い出来事はありませんわ。

訪問者は、昨年12月に250万人でした。もうじき、270万人になります。つまらないページにお付き合いいただき、ありがとうございます。その3へ

田中拓道教授、これからの政策を考える視点

2017年12月29日   岡本全勝

12月27日の日経新聞「経済教室・社会保障の未来図」は、田中拓道・ 一橋大学教授の「政策 財政・雇用と横断的に」でした。全文を読んでいただくとして、これからの日本を考える視点として、一部を紹介します。

・・・評価のポイントとして、大きく2点が挙げられる。
第1は、財政・雇用・社会保障を横断する「パッケージ」となっているか否かである。先進国はいま、複数の領域にわたる政策転換を迫られている。グローバル化のもとで税や保険料を引き上げることは難しく、財政均衡も共通の課題となっている。
他方、労働市場と家族の変化は「新しいリスク」をもたらしている。先進国の産業が製造業から情報・金融・サービスなどの第3次産業へと移行すると、一時的な失業、短期や非正規などの不安定雇用が増大する。不安定な立場に置かれた人への支援がなければ格差は拡大する。さらに女性の就労が進むと、家庭と仕事の両立に苦しむ女性も増えていく。男性稼ぎ主型家族からの転換が進まなければ少子化のリスクが高まる・・・
・・・第2は、日本の「三重苦」への対応である。他国と比べて日本では、労働市場と家族の変化への対応が遅れた。20年にわたって政界内部で離合集散が繰り返され、場当たり的な対応が積み重ねられた結果、国の借金は国内総生産(GDP)比200%超と先進国最大の水準になった。長時間労働の是正や子育て支援も進まず、男性稼ぎ主型家族からの転換が遅れた。その結果、合計特殊出生率は20年にわたって1.5を下回るなど、少子化と高齢化に直面している。正規労働者と非正規労働者、男性と女性の格差が固定化され、不安定な暮らしに直面する若者が増えている。
少子高齢化、財政赤字、格差固定化という三重苦は、政治の不作為によってもたらされた側面が大きい。はたして今回の改革案は、こうした行き詰まりを打開するきっかけとなるだろうか・・・

・・・現政権は「安倍一強」と言われるほど強い基盤を持っている。にもかかわらず、不人気政策を含めた中長期的なパッケージを提示できないのはなぜだろうか。最後に2点を指摘したい。
第1は、将来どのような社会を目指すのかというビジョンがはっきりしない点である。安倍政権は当初、アベノミクスで3本の矢を掲げ、その1つに規制緩和を軸とした成長戦略を挙げていた。しかし規制緩和があまり進まないまま、15年以降は一億総活躍社会へと看板を変え、分配政策を重視するようになった。
税負担や財政支出を抑え、規制緩和と労働市場の流動化によって市場を活性化し、経済成長を目指すのか。それとも国民に広く税負担を求めつつ、国が中心となって子育てや就労を支援するのか。基本的な将来ビジョンが依然として不明確である。
第2に、より深刻なのは与野党間の競争の不在という問題である。10月の衆院総選挙でも、野党勢力は国内政策を軽視した合従連衡を繰り返し、消費増税凍結などの現実性の乏しい公約を掲げるにとどまった。与党の側は不人気政策を含めた政策パッケージを競う必要に迫られず、耳当たりのよい分配策を並べることで有権者の支持を獲得しようとする傾向が強まった。
社会保障とは、市民一人ひとりの生活に密着した政策であり、単なるトップダウンだけで決められるものではない。中長期的な社会のビジョンに基づく政策のパッケージが複数示され、有権者の選択を経て決定がなされるという民主主義的プロセスが機能しなければ、大胆な意思決定を行えない。今後、こうした政党間競争を実現できるかどうかが問われている・・・

平成29年の回顧1、復興

2017年12月28日   岡本全勝

年末になり、年賀状も出したので、今年の回顧を始めましょう。
まず、復興についてです。引き続き、内閣官房参与、福島復興再生総局事務局長として、大震災からの復興に関与しています。

福島では、4月にできる地域では、すべて避難指示を解除しました。住民が戻りつつあります。原災本部と経産省が、産業再開支援に力を入れています。農水省も、農業再開に尽力しています。概要の資料(復興庁)。
企業の立地もあるのですが、従業員が足らない状態になっています。コンビニのアルバイトは、時給1380円のところがあると聞きました。過疎地域では、通常は働く場がないことが問題なのですが、ここでは従業員が不足するという、逆の問題が起きています。住民が帰還できる条件が、整いつつつあります。

放射線量が依然として高く、避難指示が解除できなかった地域は、区域を限って復興拠点を作る方針を立てました。すでに3町で計画が出来て、除染作業に入っているところもあります。
環境省による除染も進み、中間貯蔵施設への除去土壌の運び込みも始まっています。
1年前には、ここまで円滑に進むとは想像できませんでした。関係者の努力のおかげです。方向性が定まったので、これらの計画を着実に進めていきます。

岩手県と宮城県も、現地を見てきました。
復興が進んでいます。住まいの再建は、9割が完成しました(公営住宅が9割、高台移転の宅地造成が8割)。高台移転のか所数が最も多かった石巻市も、全て工事が完了しました。来年度末(あと1年3か月)で、ほぼ完成します。一部で、調整中のものがありますが。
住まいの再建ができれば、復興の一つの区切りです。道路や防潮堤などの工事が続きますが、住民の暮らしの再建としては、住宅が一つの指標です。
関係者の努力に感謝します。来年も、着実に進めていきます。その2へ

年賀状書き、終了。

2017年12月28日   岡本全勝

今日、残りの年賀状を書き終え、投函しました。年に一度のペン習字の終了です。訪ねてきた人(複数人)が、「ペン習字は、終わりましたか」と心配してくれました。このホームページを、読んでくださっているのですね(笑い)。
今日に投函すると、元旦には届くでしょうか。日本郵便さん、よろしくお願いします。
毎年、たくさん年賀状をいただきながら、こちらから出す枚数が少なくて、申し訳ありません。

ひとまず、ほっとしました。明日から、年末年始のお休みです。
慶應大学の授業は、あと2回の準備。さらに、来年度のシラバスの提出期限が迫っています。そのほか、1月に引き受けた2回の講演会の準備。「明るい公務員講座」の単行本化の作業・・・。この休み中も、いろんな作業が待っています。いつもながらの「原稿の奴隷」です(苦笑)。
1月から、新たにコラムの連載を始めます。活字になったら、紹介します。乞うご期待。

明治維新150年

2017年12月27日   岡本全勝

12月20日の朝日新聞オピニオン欄「明治維新150年」、三谷博・教授の「武力よりも公議公論を重視」から。

・・・支配身分の武士と被差別身分がともに廃止され、社会の大幅な再編成が短期間に行われた点で、明治維新は革命といえます。また、維新での死者は約3万人で、フランス革命と比べると2ケタ少ない。暴力をあまり伴わずに権威体制を壊した点で注目すべきです・・・

・・・明治維新には、はっきりとした原因が見当たりません。黒船来航は原因の一つですが、米国や英国は開国という小さな変化を求めただけで、日本を全面的に変えようとしたわけではなかった。個々の変化は微小なのに、結果として巨大な変化が起きたのが維新です。
歴史に「必然」という言葉を使うべきではないと思います。歴史の事象には無数の因果関係が含まれていますが、複雑系研究が示すように、それが未来を固定するわけではない。飛び離れた因果関係が偶然に絡み合って、大きな変化が生じることもあります。
維新でいえば、安政5(1858)年政変がそれです。外国との条約問題と将軍の後継問題が絡み合い、井伊直弼が大老になって、一橋慶喜を14代将軍に推す「一橋派」を一掃した。それが徳川体制の大崩壊の引き金となり、同時に「公議」「公論」や王政復古というアイデアも生まれました。
公議とは政治参加の主張です。それを最初に構想したのは越前藩の橋本左内でした。安政4年に、大大名の中で実力がある人々を政府に集め、同時に身分にかかわらず優秀な人間を登用すべきだと書いています。左内は安政6年に刑死しますが、公議公論と王政復古は10年かけて浸透していき、幕末最後の年には天皇の下に公議による政体をつくることがコンセンサスになった。最初はゆっくり進行したけれど、合意ができてからは一気に進み、反動も小さかった。
フランス革命は逆で、最初の年に国民議会がつくられ、人権宣言が出されます。3年後には王政を廃止しますが、そのあと迷走します。第三共和制で安定するまでに80年かかってしまった・・・