1月9日の読売新聞「展望2018」に、平尾武史・地方部長が「人口減社会の街の姿」を書いておられます。
・・・福島県浪江町で新聞販売店を営む鈴木裕次郎さん(34歳)は怒っていた。憤慨させたのは同町など9市町村から各地に避難する人への住宅無償提供を延長するという県の決定。今春までの予定を来春に1年間延ばすものだが、鈴木さんは「本当に住民を帰還させる気があるのか」と言う。
原発事故から6年となった昨春、浪江町はようやく中心部などの避難指示が解除になった。しかし、2万人を超えた居住人口は昨年11月末で440人・・・
・・・事故前は3000部の新聞を配っていたが、今は100部にとどまる。それでも「新聞は社会インフラの一つ」という思いから町に戻り、毎日配達を続ける。そんな鈴木さんには、無償提供の延長が行政のやる気のなさに映る。住民の帰還がさらに遅れる恐れがあるからだ・・・
投稿者アーカイブ:岡本全勝
ぴきひきびきの歌
「ぴきひきびきの歌」って、ご存じですか。NHKの幼児番組「ピタゴラスイッチ」に出てくる歌です。子育て中の方は、ご存じでしょう。
ピタゴラスイッチと言えば、ビー玉が転がる装置とか、アルゴリズム体操をご覧になったことがあるでしょう。よく考えているというか、凝り過ぎですよね(笑い)。
「ぴきひきびき」は、孫娘が歌っていたので知りました。最初は、何のことか理解できませんでした。
なるほど、このようにして、数詞の変化を覚えるのだと、感激しました。子どもにとって、匹が「ぴき」になったり、「びき」になったり、不思議でしょうね。日本語を習い始めた外国人にとっても。
私は、8匹のところで、「はちひき」と「はっぴき」と、どちらだっけと迷います。
佐藤隆文さん「建設的あいまいさ」
1月9日の日経新聞「私見卓見」に、佐藤隆文・日本取引所自主規制法人理事長・元金融庁長官が「東芝問題と建設的曖昧さ」を書いておられます。
・・・東芝の審査にあたった自主規制法人にとって最も重要な座標軸は、資本市場の秩序維持と投資家の保護だった。審査では内部管理体制が上場企業として求められる水準に達しているか否かを吟味する。審査ガイドラインで主な着眼点は公表しているが、多くは定性評価であり、単純に白か黒かと結論づけられるような項目はない。企業の実態を総合的に評価する必要があり、単純化できないためだ。
特注銘柄に指定された企業は上場維持・廃止の両方の可能性があり、不確実性の世界に置かれるのは避けられない。この曖昧さは、決して意図的に創出するものではないが、結果的にポジティブな効果も併せ持っている。これが「建設的曖昧さ」と呼ばれるもので、金融庁在職中に担当した銀行監督の世界では標準的な考え方だ。
この概念を特注制度に当てはめてみよう。もし上場維持の予想が市場で支配的になると、対象企業の改善努力は緩み、投資家による監視や規律づけも甘くなる。仮に上場廃止の予想が支配的になると、株価急落やビジネスの縮小、銀行融資の引き揚げなどが起きて、必然性のない経営破綻を招いてしまうかもしれない。むしろ不確実性が企業の努力を促し、投資家にモニタリングを動機づける。予見可能性と不確実性の「平和共存」こそが、株式市場の品質向上につながるのではないか・・・
原文をお読みください。
佐藤さんは、1月6日のリーダーの本棚に「バッハにみる悠久の秩序」も、書いておられます。
慶應義塾大学、地方自治論Ⅱ第13回目
今日は、慶應大学で地方自治論Ⅱの第13回の講義。これまでの講義のおさらいをしました。
私の12回の講義が、どのような部分から成り立っていて、全体から見るとどのような配置になっていたかを、目次を見せながら説明しました。そして、どこが地方財政論の肝かも。学生の感想文には、「全体がよくわかりました」というものが多かったです。
そうですね。私も学生の時、あるいは分厚い本を読んでいて、全体像が分からないことから、理解が進まないことがありました。
日経新聞夕刊コラム第2回
日経新聞夕刊コラムの第2回目「暗闇の灯台になる」が載りました。前回に続き、大震災直後の話です。
当時は、「未曾有」とか「想定外」という言葉が、よく使われました。しかし、想定外のことは起こります。その際に、責任者は何をするべきか、何を考えるべきか。私の経験を伝えたくて、この話題を選びました。
個別の案件を処理するのが、トップの仕事ではありません。たくさんの課題を円滑に処理できるように仕組みを作ること、かつ混乱している中で優先順位を付けることが、仕事です。そのために、そのようなことができる組織をつくることが重要です。
私がしたのは、それをしてくれる2人を呼んできたことです。
組織が出来て(作りつつですが)、仕事の流れができれば、それぞれの担当者が処理してくれます。そして、彼らが判断できないことを私が判断する、あるいは大臣に相談すれば良いのです。
あわせて、ここに書いたように、国民に私たちの存在を知らせる必要がありました。それが「灯台」です。関係者に「手形交換所」を知らせることも必要でした。
文中に出てくる2人は、山下哲夫・行政改革本部参事官(現・総務省行政管理局長)と、福井仁史・内閣府公文書管理課長(現・国立公文書館理事)です。
被災者生活支援本部の記録、下(事務局風景)の真ん中の写真で、左奥時計の下のスーツ姿と、左手前資料を持って歩いている姿です(2011年3月24日)。発足当時は彼らは机もなく、立ったままで、あるいは空いている席を見つけて仕事をしていました。
下左の写真、手前真ん中が私の席ですが、座っていませんねえ。指示を書く罫紙と万年筆とサインペンが載っています。この騒々しさの中でしゃべるので喉を痛め、ペットボトルの水が必需品でした。
下右の写真は、しばらくしてから移った執務室です。服装を見ると、初夏の頃でしょうか。
1月16日に続く。