年別アーカイブ:2026年

官僚主導の負の遺産

2026年5月2日   岡本全勝

2001年に実行された省庁改革から25年が経ちました。そのうち省庁再編の評価は、コメントライナー「省庁再編から25年 これまでとこれから」(1月5日)に書きました。問題は、もう一つの目的であった、官僚主導から政治主導への転換です。首相による行政機構の政治主導は進みました。しかし内閣・国会・政党での政治主導は、ほとんど進んでいないように見えます。この点は、連載「公共を創る」第252回「求められる将来の日本を考えた政策議論」で「官僚主導の負の遺産」として説明しました。

政治主導が進まないのは、「官僚主導」の負の遺産(代償)ともみることができます。
その一つが、国会での議論です。
・野党は政府を追及することに力を入れ、与野党が議論して政策を作っていくという思想が欠けています。
・事前に官僚が質問を取りに行き、それを基に政府側の答弁案は官僚が作ります。これでは、政治家同士の議論になりません。
・政府側では、官僚が「今回提出した法案は正しい」「現在の政策は間違っていない」という答弁案を書きます。それでは、政策論争になりません。
政党との関係においても、官僚が政治家の代行をしています。
・政治家間(与党内、与野党間)の調整を官僚が担っています。与党の部会や野党の調査会などで説明をするだけではなく、異論を挟む与党議員には官僚が「ご納得のいくまでご説明する」ことも求められます。
・法案の多くは官僚が立案し、政治家が政党において政策を作るという意識が薄くなっています。

このように、いまだに官僚が政治家の仕事を代行しているのですが、そもそも官僚にはできない政治家の役割があります。それは、国民に負担を問うことです。もう一つは、政策を大きく転換することです。官僚は、与えられた範囲で考え、従来の延長で考えます。国民の立場ではなく、業務から考えるのです。「第244回 政治家と官僚とのずれ」
ところが、政治家が官僚化し、官僚は官僚の視野で考えるので、政治本来の議論がなされません。

就職氷河期世代、前期と後期

2026年5月2日   岡本全勝

4月12日の読売新聞、近藤絢子・東大教授の「就労支援と社会保障 両輪で」から。
・・・バブル経済崩壊後の就職難に直面した「就職氷河期世代」に、再び注目が集まっている。希望する仕事や正規雇用がかなわず、不安定な生活を余儀なくされてきたこの世代が40~50歳代半ばに差し掛かり、老後という更なる不安が顕在化してきたためだ。
あれから約30年たったが、非正規など厳しい労働環境から抜け出せない人も多い。経済的に頼ってきた親は高齢になり、介護などで負担は重くなる一方、自らは十分な年金が期待できない。氷河期世代が抱える困難は、今なお解けない大きな社会課題だ。
この難題に国や社会はどう向き合えばいいのか。自らも就職氷河期世代で、労働経済学の観点からこの問題を分析する東京大学社会科学研究所の近藤絢子教授に話を聞いた・・・

・・・私の研究では、就職氷河期世代を1993~2004年に高校や大学を卒業した世代と定義しています。該当する人口は約2000万人で、日本の人口の約6分の1に当たります。ただ、このうち93~98年卒の「氷河期前期世代」と、99~04年卒の「後期世代」では置かれた状況が全く異なります。
国の労働力調査などを見ると、実際に就職率や失業率、求人倍率が底だったのは後期世代の01~03年卒あたり。「氷河期が終わった」とされた05~09年卒の「ポスト氷河期世代」も、実は正規雇用率や平均年収などの指標が前期世代よりも悪いことが分かりました。
さらに、リーマン・ショックや東日本大震災後に社会に出た10~13年卒の「リーマン震災世代」も、同様に厳しい就職状況や雇用環境が続きました。データを見ると、氷河期世代より下の世代も、置かれている状況が相当悪かったことが分かります・・・

・・・ 氷河期世代の中には、いまだに正規雇用として働けないなど、苦しい生活が続いている人がいます。こうした人たちが今後、直面するであろう課題は大きく二つあります。
一つは親世代の高齢化です。親の経済的支援で生活が成り立っていた人たちが、親が認知症になったり介護が必要になったりするケースが出てくる。自分の仕事や収入が不安定なのに、親の面倒も見なければならなくなると、ますます生活が困窮する人が増える。介護保険で使える施設やサービスを拡充するような取り組みが必要になってくるでしょう。
もう一つは、氷河期世代自身の老後の問題です。若い頃に正規社員になれず、非正規やアルバイトで生計を立てていた人は十分な年金保険料を納めていないため、低年金となる可能性が高いのです。
こうした人たちが生活保護に頼るようになると、財政負担がさらに拡大してしまいます。どのような対策が有効なのか、今のうちから幅広い視点で検討していく必要があります。

氷河期世代に対して、国は様々な支援策を打ち出してきました。ハローワークでの就職支援や無業者を対象にした「地域若者サポートステーション(サポステ)」、ひきこもり者などへのサポートなどです。ただ、こうした施策の多くは00年代に始まった若者向けの就労支援です。この世代が年を取るのに合わせ、対象年齢が引き上げられてきただけのものも少なくありません。

氷河期世代は、すでに40~50歳代半ばの中高年に差し掛かっています。働ける人には、65歳でも70歳でも元気に働いてもらえるように後押しをしていくべきですが、若い頃に得られなかった就業経験を取り返すのはなかなか難しい。また、家族や健康面などの事情で、働きたくても働けない人も増えてきます。もはや就労支援だけでは解決できない状況になっています。
こうした現状を踏まえると、これからは就労支援と社会保障の充実といった両輪の支援策が大切になってきます。特に重要なのはセーフティーネットの拡充です。生活保護を思い浮かべる人が多いと思いますが、適用条件は非常に厳しく、そこまで困窮してからでは再び自立するのは極めて難しいのが実態です。その前に救済できるような仕組みを構築する必要があるでしょう・・・

福井ひとし氏の公文書徘徊12

2026年5月1日   岡本全勝

アジア時報』5月号に、福井ひとし氏の連載「一片の冰心、玉壺にありや?―公文書界隈を徘徊する」第12回「石油の国・ニッポン」が載りました。詳しくは、記事を読んでいただくとして。

20世紀は、石油の世紀でもありました。動力源が人力や家畜から石油に、エネルギーが木炭や石炭から石油に、そして電力の源も石油に、自動車の燃料として、さらに化学製品へと、世界の活動は石油に浮かぶようになりました。今回の記事は、石油の世紀の幕開けに対応した明治政府(の公文書)から始まり、太平洋戦争(この戦争は石油を確保する争いでもありました)、戦後の石油確保の苦労、そして石油危機へと、話が進みます。

若い人はご存じないでしょうが、1978年に起きた石油危機(第一次)は、それはそれは大変なものだったのです。私は大学1年生でした。トイレットペーパーがなくなることを想像してください。もっとも、トイレットペーパー生産が停止したのでもなく、国民がたくさん使うことになったのでもありません。業者が便乗して値上げを狙って、出荷を抑えたというのが真相のようです。街からネオンサインが消え、暗い夜になりました。ただし、戦時中の物資不足を経験した父と母の世代は、衝撃は少なかったでしょう。

今回のイランとアメリカの戦争で、石油や石油製品の品不足が心配されています。石油危機に懲りて、日本政府は石油の備蓄に取り組みました。そのおかげで、現在のところ、大きな影響は出ていないようです。石油があることが普通の生活になじんだ若者には、なかなか想像がつかないと思います。しかし、少し歴史を遡れば、よく似た事案があります。
世界には石油備蓄が少なく、困っている国もあるようです。日本も余裕ある備蓄があれば、融通することができるのですが。そこまではありませんかね。

最後に「油断大敵」の語源が紹介されます。油がなくなることではないのですね。いつものことながら、執筆者の博学博識ぶりと、公文書を漁ってくる努力には脱帽します。

日本語研究はグローバル化ではない?

2026年5月1日   岡本全勝

4月9日の日経新聞夕刊、グレゴリー・ケズナジャットさんの「グローバル化の言語」から。
・・・大学院を卒業したとき、在留資格を変更した。在学中は「留学生」として滞在していたが、卒業後にこの資格は失効になるので、日本に残って就職する場合はいわゆる就労ビザを取得する必要がある。僕はその頃に新しく導入された「高度専門職」の資格を申請することにした。
高度専門職の在留資格は、審査の結果がポイントによって決められることが特徴だ。ごく簡単に説明すると、国が求める「グローバル」人材の理想像に近いほど点がつく。大学卒業者は10点だが、博士号取得者は30点、30歳未満ならそれだけで15点加算される、年収が高いほど点数が増えるなど、社会人、納税者としての貢献度が数値化されて評価対象になるのだ。

申請時、僕はそれほど若くもなく、年収も微々たるものだったけれど、研究者の場合、論文も評価対象になるので、これでぎりぎり取得できるのではないかと期待した。在学中に発表した、日本近代文学に関する論文のコピーを用意して、他の申請書類とともに入国管理局へ提出した。
ところが係員が予備審査を終えると、ポイントが不足していると伝えてきた。なぜなら、僕の論文は対象外であるからだという。原則として、SCOPUSなどの海外の有名な研究データベースに記録されている論文のみが認められるそうだ・・・

・・・結果として、日本文学の研究者の場合、英語ではなく日本語で研究を行い、国内の学術誌で論文を発表すると、日本の在留資格を申請する際にかえって不利になる。あまりにも不思議な答えで、落胆を通り越して滑稽に思えた。
法務省が意図的に文学などの文系研究の業績を対象外にしたわけではないだろう。高度専門職の資格が創設されたとき、おそらく理系の研究者が想定されていたと思われる。しかし英語で書かれた論文が評価対象になり、日本語で書かれた文系研究の論文が実質対象外になるのは、国のグローバル化に対するアプローチをうまく表象している。
日本でグローバル社会を築き上げる必要性について情熱的に語る声をたびたび耳にする。だがその課題は外国語、とりわけ英語と関連づけられることが多く、日本語の中ですでに行われているグローバル化は往々にして視野に入らない・・・

2026年オランダ・ベルギー旅行4

2026年4月30日   岡本全勝

2026年オランダ・ベルギー旅行2」の続きです。今回の旅行で改めて感じたことの一つに、オランダの国力と広さについてがあります。まず、広さから。

オランダの面積は 約4万km²、日本は38万km²ですから、日本の約9分の1しかありません。人口は 約1,800万人で、日本の7分の1です。人口密度は約500人/km²で、日本の340人/km²より多くなります。しかし可住地面積で比べると、オランダは約3万km²に対し、日本は約10万km²です。オランダの国土の7割が可住地であるのに、日本は3割でしかありません。日本は山が多いのです。可住地面積で比べると、日本の方がはるかに人口密度は高くなります。

オランダが広く感じられる理由は、都市と農村の風景にあると思います。都市では、3~4階建ての細長い建物が、隣家との隙間がなく建っています。あの特徴ある建物です。他方で、街を離れると、広い農地が広がっています。日本は、どこまでが街でどこからが農村なのかわからないように、住宅地が続いています。
オランダは、国土の約4分の1が干拓地で、「世界は神が創ったが、オランダはオランダ人が造った」と言われます。国土の4割が農地とのことです。この農地が、広く感じる要因でしょう。都市と農村で、人口密度が極端に違うのです。

オランダの一人あたりGDPは約74千ドル、日本は36千ドルです(2025年、IMF)。倍の開きがあります。有名なチーズとチューリップでは、こんな高い経済力は達成できません。天然ガスも採れますが、金融・流通を中心としたサービス産業、半導体、化学産業が支えています。かつて世界を制覇した国ですが、その後、覇権をイギリスに奪われます。しかしこの30年間も、停滞する日本を横目に、着実に成長を続けているようです。
岡崎久彦著『繁栄と衰退と: オランダ史に日本が見える』(1991年、文藝春秋)を読んで、なるほどと思った記憶があります。どのような内容だったか確認しようと思いましたが、先般の古書整理で捨ててしまいました。もう一度、買いますかね。