年別アーカイブ:2026年

ホームページが復旧しました

2026年7月1日   岡本全勝

先週半ばから閲覧できなくなっていた、このホームページ。今日7月1日の夕刻に、復旧しました。
閲覧者数が増えて処理しきれなくなったらしく、容量の大きなサービスに入れ替えるなどの作業をしてもらいました。しかも、動作が速くなりました。うれしいです
今回も、社長にお願いしました。ありがとうございます。たくさんの人から、心配のメールをいただきました。すみません、心配かけて。

いろんな資料を、ホームページ上に載せてあります。連載記事などは、ここに載せておいて検索するのが、早くて便利なのです。メモ代わりに使っていることもあります。ところが閲覧できなくなると、とたんに困ります。パソコンに保管してある資料を、探し出さなければなりません。ホームページが復旧したので、原稿書きもはかどるでしょう。

先週末に掲載されていた記事は、事前に書いて予約してあったものです。29日でそれも尽きてしまい、30日は休刊になりました。加筆もできるようになったので、またせっせと書きましょう。
本居宣長が見た我が故郷」も、加筆したいところがあったのですが、できず。今日加筆しました。肝冷斎も、待っていてくれたようです。(7月2日追記)

少し古本を処分12

2026年7月1日   岡本全勝

再開した古本の処分。ぼちぼち進んでいます。嫌々取り組んでいるので、はかどりません。

先日、古本屋に5箱引き取ってもらいました。学生時代の学術書などです。星野英一、塩野宏、西尾勝先生など。当時の本ですから堅牢な作りで、紙の箱に入っています。すると、痛みは少ないですね。読み通した本は少なく、参照した程度なので、その点からも傷んでいません。
捨てるには惜しいと思い、インターネットで調べたら、値段がついているものもあります。バリューブックスにインターネットで依頼したら、クロネコヤマトが取りに来てくれました。
本棚で、2.5棚分が空きました。

本居宣長が見た我が故郷

2026年6月29日   岡本全勝

本居宣長が吉野に旅した際(明和9年、1772年)に、『菅笠日記』という旅の記録を残しています。そこに、我が故郷の「岡」も書かれていることを教えてもらいました。原文(江戸時代の刊本は読めないので、奈良女子大が活字にしてくれたもの)と現代語訳を載せておきます。「日本古典文学テキスト」もあります。

菅笠日記」(奈良女子大
・・・やゝゆきて。左のかたに見ゆる里を。川原村といふ。このさとの東のはしに。弘福寺とてちひさき寺あり。いにしへの川原寺にて。がらんの石ずゑ。今も堂のあたりには。さながらも。又まへの田の中などにちりぼひても。あまたのこれり。その中に。もろこしより渡りまうでこし。めなう石也とて。眞白にすくやうなるが一ツ、堂のわきなる屋のかべの下になかばかくれて見ゆるは、げにめづらいきいしずゑ也。尋ねてみるべし。里人は観音堂といふ所にて。道より程もちかきぞかし。つぎに橘寺にまうづ。川原寺よりむかひにみえて。一町ばかり也。此寺は今もやゝひろくて。よろしきほどなる堂もありて。古の石ずゑはたのこれり。橘といふ里も。やがて此寺のほとりなり。日くれぬれば。岡の里にとまる。かの寺よりちかし。
此あひだに土橋をわたせる川あり。飛鳥川はこれ也とかや。いまの岡といふ所は。すなはち日本紀に飛鳥岡とある所にや。さらば岡本宮も。(舒明天皇皇極天皇斉明天皇三代の京)その傍とあれば。遠からじとぞ思ふ。又清御原宮は。その南とあなれば。その跡もちかきあたりなるべし。

十一日。朝まだきにやどりをたちて。岡寺にまうづ。里より三町ばかり東の山へのぼりて。二王門あり。額に龍蓋寺とあり。この門よりまへの道の左のかたに。八幡とて社もあり。さて御堂には。観音の寺々をがみめぐるものども。おひずりとかいふあやしげなる物をうちきたる。男女おいたるわかき。數もしらずまうでこみて。すきまもなくゐなみて。御詠歌とかいふ歌を。大聲どもしぼりあげつゝ。ひとだうのうちゆすりみちてうたふなるは。いとみゝかしかましく。大かた何事ともわかぬ中に。露をかでらの庭の苔などいふこと。ほのぼのきこゆ・・・

諏訪邦夫 現代語訳
・・・さらに進むと、左側に見える里を川原村といいます。この里の東のはしに、弘福寺《ぐふくじ》という小さな寺があり、これが昔の川原寺《かわらでら》で、伽藍《がらん》の 石礎などが、今も堂の付近に残り、前の田の中にも散らばって残っています。その中に、 唐土から渡ってきた瑪瑙《めのう》だという、真白で透明な石が一つ、堂のわきにある建 物の壁の下に、半分かくれて見えるのが珍しい礎石ですから、訪れてみて下さい。里人は 観音堂と呼び、道も近いところです。 つぎに橘寺にお参りしました。川原寺の向かいにあって、一町ほどです。この寺は今も 少し広くて立派なお堂もあり、やはり昔の石礎が残っています。橘という里も、この寺の すぐ近くです。日暮れになったので、岡の里に泊まります。岡寺に近いところです。この 間に土橋をわたる川があり、これが飛鳥川だということです。いまの岡という所は、日本 書紀に飛鳥岡とある所でしょう。そうすると岡本宮も、【舒明天皇皇極天皇齊明天皇三代(34、 35、37 代)の京】その傍ということですから、ここから遠くないと思います。また清御原 宮(上には、浄御原とある天武天皇の宮殿)は、その南とありますから、その跡もこの近 くでしょう。

朝早く宿を出て、岡寺にお参りしました。里から三町ほど東の山に登ると二王門があり、額に龍蓋寺とありました。この門から前の道の左側に八幡社もありました。御堂には、観音の寺を拝みめぐる人たちが、おひずりとかいうあやしげな物を着て、老若男女多数お参りでぎっしり並び、御詠和歌とかいう歌を大聲でしぼりあげながら堂内をとどろかせて歌うのはひどくうるさく、全体としては何だかわからないまま、露岡寺«つゆおかでら»の庭の苔などという言葉がぼんやり聞こえました・・・

橘という集落(橘寺があります)から飛鳥川を土橋で渡り、岡の集落に入ります。そこだけ、両岸から岩が出ていて、川幅が狭くなっているのです。私の子どもの頃、土橋はまだ木造の土橋でした。その橋の下で泳ぎました。
道をたどると、すぐに岡本の本家の前に出ます。これが当時(高市橋がかかるまで)主要道でしたから、間違いなく家の前を通っているはずです。高市橋は少し下流に架けられたコンクリートの橋です。大正時代と聞いています。そこを通る道路は「新道(しんみち)」と呼んでいました。
岡の集落は岡寺(西国巡礼7番札所)の門前町として栄えていました。私の子どもの頃は、まだ宿屋が残っていて、商店街もありました。宣長は、このあと酒船石を見て、飛鳥寺に行きます。(7月1日一部加筆)

最近の職場の新人

2026年6月28日   岡本全勝

知人から教えてもらった話です。笑えるような、笑えないような。
ちなみに、この方も、かつての管理職です。

職場に入ってきた新人職員と、コミュニケーションに苦労している上司とのやりとりです。
上司が「電話に出て!」と言うと、新人君、自分の携帯電話をポケットから取り出し・・・。
上司が「メールを確認して」というと、新人君、自分の携帯を・・・。

テレビほぼ見ない、20代7割

2026年6月28日   岡本全勝

6月17日の朝日新聞に「テレビ離れ、急加速 ほぼ見ない、20代7割 NHK放送文化研究所調査」が載っていました。

・・・ テレビをほぼ見ない人の割合は16~19歳と20代で7割、30代では6割近く――。NHK放送文化研究所は16日、最新の国民生活時間調査の結果を発表した。多くの世代で「テレビ離れ」が急加速している実情が浮かび上がった。

研究所は1960年から5年ごとに国民の生活実態を調査。今回は昨年10月に、全国から無作為に選んだ10歳以上の7200人に調査票を郵送。52・7%にあたる3795人から有効回答を得た。
調査日(平日)に15分以上リアルタイムでテレビを見た人は71%で、前回(79%)よりも減った。世代別では、10~15歳は42%(前回2020年は56%)▽16~19歳は27%(同47%)▽20代は33%(同51%)▽30代は43%(同63%)▽40代は55%(同68%)▽50代は73%(同83%)▽60代は84%(同94%)▽70歳以上は92%(同95%)。
全ての世代で減ったのは、現在の調査方法となった95年以降初めて。研究所はこの結果について、インターネットの動画やSNSなどの利用が増えたことが要因だとみている・・・