海外旅行で買った版画やポスター、職場で飾っていた複製画などなど。そんなに立派なものではありませんが、好きで買ったものです。
家で飾りたいのですが、壁が足らないのです。
各部屋で窓を大きく取ったこと、ほかの壁は本棚、あるいは押し入れの扉などです。
階段などで掛けているのですが、まったく足りません。残念ながら、箱に入れて部屋の隅で寝ています。
年別アーカイブ:2026年
アメリカの地方紙、NPOが経営
6月17日の朝日新聞「米国の地方紙、NPOが経営 持続可能なモデル、模索続く」から。
・・・米国の地方紙の経営を非営利組織(NPO)が担う例が増えている。広告収入の減少などによって厳しい経営環境が続くなか、持続可能な形で地域ニュースを伝えるモデルとして注目されている。
東部ペンシルベニア州の地方紙、「ピッツバーグ・ポスト・ガゼット」は5月から、経営母体がNPOのベネトゥリス機構に移った。同紙は1月に「廃刊する」と表明。米国の主要都市で地方紙が完全に消える例となる可能性が浮上していた。
ベネトゥリス機構は地方ニュースを存続させるため、2021年にメリーランド州ボルティモアで設立された。創設者はホテルチェーン経営で財を成し、私財を投じた。デジタルメディア「ボルティモア・バナー」を22年に立ち上げた。
25年に麻薬中毒に関連した報道でピュリツァー賞を受賞するなどの成功を収め、有料購読者も約8万人に達している。同機構で寄付担当を務めるサラ・ウォルトン氏によると、以前から他の都市への拡大を検討していた。ポスト・ガゼット紙の廃刊が持ち上がり、買収に動いたという。
米国のNPOは一定の条件を満たせば、寄付をした人が税控除も受けられ、営利企業と比べて資金集めの幅が増える。ただ、NPOになったから、経営状況が自動的に改善するわけでもない。ポスト・ガゼット紙は以前の経営主体の時と比べ、人員削減を実施することになった。労働組合からは批判も出ている。
米地方紙でいち早くNPOとなったのは、西部ユタ州のソルトレーク・トリビューンだ。苦境を心配した地元の篤志家が買収し、19年にNPOとして登録。現在は完全に独立採算となっている。
トリビューン紙のローレン・グスタス編集主幹によると、「地域の読者が求めるニュース」をより重視するようになった。地域の課題の「解決型報道」を意識的に増やしているという。
トリビューン紙の次の挑戦は、ウェブサイトの「ペイウォール」(課金制)をなくし、有料会員だけではなく、あらゆる人がニュースを読めるようにすることで、5月半ばから始めた。
一方、有料購読者から得てきた収入は引き続き必要だ。このため、今後は「購読料」ではなく、「寄付」として支援をお願いしている。有料購読者の多くはニュースに直接の対価を払うことより、地元報道機関の存在を重視し、トリビューン紙への支出を続けることで期待をかけている、とも言える。
トリビューン紙のデジタル購読者は現在3万人あまりで、5年前の約2倍。週2回発行している紙の新聞も、約1万人が購読している。グスタス氏は「NPOであっても、損失を出すわけにはいかない。収入を多角化する必要がある」と話す・・・
書類がどこにどれだけあるかわからない
文書事務が電子化され、便利になりました。作成や加筆作業とともに、保管と取り出しです。かつて紙だった時代は、机の上や周囲に山積みになり、書棚も満杯になりました。
しかし、二つの利点がありました。一つは、どこに何があるかが見えたことです。山積みの資料の下の方は「化石」になって、存在を忘れることもありましたが。書棚の背表紙を見ると、どこに何があるかわかりました。もう一つは、分量が一目でわかったことです。分厚い資料なのか、薄い資料なのかが、即座にわかりました。
もう一つ加えるなら、書棚に入りきらなくなったり机に積めなくなったりしたら、やむを得ず不要な書類を捨てました。書類整理と破棄を強制されたのです。
文書の電子化は、このような「利点」をなくしてしまいます。するとどうなるのか。仕事の書類と、個人の書類(作成途上の文書や勉強のための資料)で異なります。
1 仕事の書類
これは、職場の共有フォルダーに置かれ、関係者が見ることができます。そして完結したら、重要度に応じて、保存ファイルに移されるのでしょう。
問題は、誰も責任を持たないまま保管された書類です。共有フォルダーでは、しばしば起きます。担当者が異動したり、古くなったまま放置される書類です。書棚にあった時代は、入りきらなくなると、古いものは捨てましたが、電子書類は場所を取らないので、いつまでも放置されます。毎年、時期を決めて大掃除をする必要があります。
2 個人の書類
これは、各自の責任です。個人フォルダーに入っているなら、移動しても持って行きます。職場によっては、容量に上限を決めてあって、たくさんの書類を保管できないようにしているところもあります。
大学の先生に聞くと、学生も困っているようです。科目ごとに、教科書や配付資料、レポート課題などが配られます。電子資料は場所を取らず、重くもないので便利ですが、どこに何があるかがわからなくなります。紙の教科書や資料を見ていた時代は、「これから、これだけ読まなければならない」とわかったのですが、それが把握できなくなったのです。
仕事を進める方法として「見える化」「可視化」が教えられます。書類の電子保存は、この逆で「見えない化」「隠す化」ですね。
私は紙の本しか読まないのですが、電子書籍だと、全体のうちのどれくらいを読んだのかわからないのが嫌です。また、書棚にあふれ、書斎の床に積み上げなくてもよくなるでしょうが、パソコンのどこに何がどれくらいあるかわからなくなり「行方不明」になったのと同じでしょうね。まあ、書棚の本を把握できていないから、実態は同じかもしれませんが・・・。
官僚の出張哀歌が映す国力
6月14日の日経新聞「風見鶏」、「官僚の出張哀歌が映す国力」から。
・・・2024年、約40年ぶりに大型の法改正をして国家公務員は気兼ねなく海外に出張できるようになったはずだった。聞こえてくるのは涙を誘う体験だ。
25年夏にパリの国際会議に出張した霞が関のある課長は施行したばかりの改正旅費法に沿ってホテルを探した。海外の宿泊費は1984年以来の改定のおかげで、課長級なら1泊3万8000円まで認められるようになった。それでも宿泊費上限を下回るものは見当たらない。会議場周辺のホテル価格は高騰していた。
出張ルールは「公務運営上支障のない範囲で検索した最も安価な施設」を選ぶと定めている。結局、片道1時間ほどの郊外から連日通うことにした。どうしても近場に泊まる必要があった同僚は安価なカップル用のホテルを選ばざるを得なかった。「職員の持ち出しを防ぐ」とうたう法改正の理念とほど遠い現実だった。
国内出張でも官僚の哀歌はやまない。国内外から2900万人を集めた2025年の大阪・関西万博。当時、課長級が大阪で認められた宿泊費は1泊1万3000円まで。カプセルホテルや風呂なしの宿を利用するしかなかった職員がいた。
別の官僚は「土日を含んだ連泊は基準額を大幅に超える。途中でホテルを移動しなければならなかった」と打ち明ける。
公務員の経費は税金が原資だ。過剰な支出は厳に慎むべきだが、ほとんどの公務員はぜいたくを望んでいるわけではない。哀歌の裏には円安や物価上昇の勢いに基準額の改定が追いつかない実態がある。
HISの出張費に関する調査によると25年のパリの主要ホテルは1泊平均6万382円で、24年の4万6039円から3割も上がった。法改正で宿泊費用を実勢価格並みに合わせたものの、1泊3万8000円という基準との差は広がるばかりだ。
単なる宿泊代の問題とみていいのだろうか。円安に代表される国力の衰退を直視すべきではないか。
円安は13年ごろに始まったアベノミクス以来の長期の趨勢だ。民主党政権で1ドル=70円台まで付けた円相場は足元で160円近辺まで下落している。日米の金利差や潜在成長率の低さを解消しないまま、為替介入といった対症療法で流れを変えるのは難しい。
政も官も現状から目を背けているように映る・・・
連載「公共を創る」第262回
連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第262回「これまでの議論ー平成における地域の変化」が発行されました。
平成時代の暮らしについて、次は地域の変化を取り上げましょう。数字で見る変化は連載第258回で富山県を例に示しましたが、ここでも数字には表れない変化が進んでいました。
地域産業の空洞化と地域活力の低下は、街の形を変えました。人通りの減った商店街は寂れ、シャッター通りも増えました。郊外に大型店舗が進出したことや、事業の後継者がいないこともそれを加速させました。若者が都会に出て行って、戻って来ません。空き家が増え、放置された家が周囲に与える悪影響からその対策も必要になりました。
平成時代になって、限界集落という言葉が広がりました。地域人口の半数以上が65歳以上の集落です。冠婚葬祭などの社会的共同生活を維持することが限界になりつつある集落を指します。さらに日本創成会議が、2014年に「消滅可能性都市」を発表し、衝撃を与えました。
過疎地域でも道路や上下水道などの整備に力を入れました。しかし、生活が便利になっても、住民は中山間地域を離れたのです。経済発展の過程で、都市は豊かになるのに、稲作や林業だけでは貧しいままでした。さらには、それらの産業への需要も減り続けましたから、住民は農山村を離れました。
便利さの向上の次に取り組まれたのが、地域おこしや地域活性化政策です。一村一品運動、ふるさと創生、地方創生などです。全国一律の工場誘致やインフラ整備による地域振興でなく、自治体が地域の特性を生かした、個性的な地域活性化に取り組むようになったのです。「国土の均衡ある発展」から、「個性ある地域の発展」「知恵と工夫による活性化」へと地域振興の方向性が変わりました。
平成初期に地方行政関係者の間で流行した言葉に、「3K」がありました。高齢化、国際化、高度情報化の頭文字Kを取ったものです。これらの三つが自治体にとって大きな課題でした。
この頃は、地方分権改革が進んだ時期でもあります。分権改革、三位一体の改革などです。併せて、平成の市町村合併が進みました。