月別アーカイブ:2026年6月

コメ輸出より減反、半世紀

2026年6月14日   岡本全勝

5月18日の朝日新聞1面「減反は何をもたらしたのか:1」「コメ輸出より減反、半世紀」から。

・・・過去半世紀のコメ政策には一つの謎がある。なぜ、政府はコメ余りを防ぐために減反の道を選び、最近まで海外への輸出に活路を見いだそうとしなかったのかだ。歴史文書をひもとくと、二つのキーワードが見えてくる。「コストの壁」と「米国の圧力」だ。

「対外的に余剰米処理を匂わせることを極力避けることが肝要である」。外務省が公開している1969年12月作成の内部文書にはこう記されている。文書には下線が引かれ手書きの文字が書かれている。「匂わざるをえない」
「余剰米処理」とみられることをなぜ警戒したのか。当時、戦後の食糧難は一変し、政府は余剰米の処理に頭を悩ませていた。69年には、主食用米の生産を制限する「減反政策」に試験的に踏み出していた。
コメの輸出を増やすことも選択肢にあがった。ただ、日本産はすでに国際競争力を失い、海外産より高かった。海外を援助するという名目で、税金を投入して国内価格との差額を補填し、格安で輸出する形をとらざるをえなかった。

外務省が神経質になったのには訳がある。米国からの苦情申し立てだ。
文書が作成される5カ月前の7月。日米の閣僚級の会合で、ハーディン米農務長官(当時)が日本側にこう釘を刺した。「(3月に合意した韓国との取引で)米国の商業ベースの貿易は数百万ドルも損失を蒙る」。国連食糧農業機関(FAO)は、余剰農産物を援助で処理する場合、他の輸出国の利益を不当に害さないよう求めていた。
その後、日米貿易摩擦が過熱する。米国は日本をコメの有望な輸出先と見込み、市場開放を強烈に迫るようになる。高木勇樹・元農林水産事務次官によると、「市場開放要求に防戦するなかで、援助拡大は自粛せざるをえなくなった」という・・・

聞き書きを受けました

2026年6月13日   岡本全勝

牧原出・東大教授を代表とする研究で、聞き書き(オーラルヒストリー)を受けていました。
2023年5月からほぼ毎月、1回2時間です。3年間で計33回になり、先日で完結しました。大学を卒業して自治省に就職した頃から、内閣官房参与・福島復興再生総局事務局長を退任するまで、42年間のことについてです。3年もかかるとは思わなかったのですが。

お誘いがあったときは、まだ68歳でした。牧原先生に「そのような対象は高齢の方で、私はまだ若いのではありませんか」と聞いたのですが、「いや、時間がたつと忘れますから」とのことでした。自分ではまだまだ若いと思っているのですが、68歳といえば現役の方から見ると年寄りですよね。オーラルヒストリーは著名な方が対象なので、私で良いのかとも思いましたが、研究者の方の役に立つなら、また後輩の参考になるならと、引き受けました。

先生のおっしゃるとおりで、忘れていました。事務次官を退任してから9年、総理秘書官を辞めてからでも14年経っています。駆け出しの頃からなら、40年も経っているのです。忘れているはずです。印象的な場面などは覚えています。また飲み会などで繰り返した思い出話なども。しかし覚えていても、正確とは限らないのです「嘘をつく意識はないが記憶を美化する」。「人は記憶を作る

40年間の手帳」で書いたように、手帳は入省5年目からすべて残っていました。ところが、会議とか行事や、誰と会食したかなどは書いてあるのですが、どのような仕事をしていたか、何を考えていたかは書かれていません。手帳は予定表であって(後で実績により訂正をしたものもありますが)、日記のようにその日の振り返りではないのです「予定と振り返り」。
発掘された書類」で書いたように、段ボール箱に詰めてあった書類や写真を、引っ張り出す機会になりました。こんなことでもない限り、そのまま捨てたでしょう。自分のやってきたことを振り返る、ありがたい機会でした。

私は、携わった業務について雑誌や本に書いて残したので、それらは役に立ちました。若いときから「やったことを残したい」「このような意図で取り組んだということを知ってもらいたい」という意識が強かったのです。また、載せてくれる雑誌があったからです。地方交付税、地方分権、省庁再編、再チャレンジ政策、東日本大震災対応など。「著作一覧
この項続く

最高裁判断を国際水準に2

2026年6月13日   岡本全勝

最高裁判断を国際水準に」の続きです。

江島 近年海外では、新たな憲法を作る際に、国際機関や外国の憲法制定支援を受けながら、過去を反省して憲法裁判所を歯止めとして作ることも一般的です。しかし、46年公布の日本国憲法にはそうした機会がありませんでした。違憲審査権が導入されたものの、どう運用していけばいいのか、先例もありません。初の法令違憲は73年と、時間がかかったのは、最高裁においても模索が続いていたということでしょうか。

泉 戦前の裁判官が公職追放もなく、戦後もそのまま裁判官となり、上層部を占めていましたからね。

―裁判所が、国際人権条約を生かした判断をあまりしないのはなぜでしょうか。

泉 裁判官は人権条約についてきちんとした教育を受けておらず、民事や刑事事件で目にすることはほとんどありません。条約は「国と国の約束」で、法的効果を国民一人ひとりに与えるものではないという誤った観念が強いのだと思います。
裁判官は、裁判所も国家組織の一部で自分たちも統治機構の一部という感覚を持ちがちで、国会や、内閣を頂点とする行政庁との摩擦を避けようとする傾向があります。

―司法の判断を国際水準にするための制度改正に何が必要ですか。

泉 一つは個人通報制度の導入です。人権を、条約に違反して侵害された個人が、被害を条約機関に通報して、救済を求める仕組みです。裁判所が人権条約に正面から向き合うことになり、そのことを通じて、同じ人権問題に対する諸外国の取り扱いに目を向けることになります。
例えば、夫婦同氏を定めた民法750条の合憲性が最高裁で争われてきましたが、女性差別撤廃条約に違反するとして、規定を改めるように、国連の女性差別撤廃委員会などから日本政府は繰り返し勧告を受けてきました。個人通報制度が導入されれば、こうした見解を裁判所も真剣に受け止める必要が出てきます。

江島 世界の裁判官との対話も大事ですね。裁判官対話は、世界的に活発です。最高裁も、性同一性障害特例法の憲法適合性を考える際に、ヨーロッパ人権裁判所の17年判決に触れています。19年の合憲決定では補足意見としてでしたが、23年の違憲決定では多数意見の中で言及されたことを特筆したいです。グローバルな人権法をてこにして、裁判官が国境を越えて対話する可能性が示されていると思います。

江島 そして、国会です。旧優生保護法は制定時から違憲だったのですから、本来作るべきではなかった。作ったことが誤りであったならば一刻も早くそれに気づき廃止し、被害者を救済すべきだった。そのいずれも後手に回った国会は、二度と同じことを繰り返さないための仕組みを真剣に考えて欲しいと思います。先ほど言われた国連が推奨する国内人権機関はその筆頭です。

泉 最高裁に憲法調査官を常置し、世界の判例や制度を継続的に調査・研究できる態勢を制度化して欲しい。最高裁判事に憲法学者や行政法学者を複数任命することも検討に値します。

人工知能と競争する

2026年6月12日   岡本全勝

連載「公共を創る」は、これまで書いたことの要約に入っています。ある知人曰く「人工知能にさせれば、すぐにやってくれますよ」。なるほど、そうですね。
かつて行った講演を、主催者が機械で文字に起こし、要約を作って送ってきたことがあります。「確認してください」とのことでした。読んでいくと、よくまとまっています。「すごい」と思ったのですが、読み進めていくと、変なところがでてきました。さらには、私が話していないことまで書いてあります。「なんじゃこれは??」
便利だけど、信用してはいけないと言うことでしょうか。

しかしこの指摘を受け、人工知能に負けてはいけないと、闘志がわきました。「そうだ、単純に要約するのではなく、長期にわたって書き続けたことを現時点で振り返り、その視点でもう一度考え直そう」と思い至りました。しんどいことなのですが。

要約する機能以上に、人工知能(AI)が発達して、人の代わりに文章を考えてくれるそうです。しかしこれも、広く世の中にある文章を要約しているのですよね。
新しいことを述べたり、自分の考えを語ったりする際に、過去の蓄積(本や論文)を元にします。全くの無から、新しいことを生み出すことはできません。その際に、かつては自分で論文を探す、知っている人に聞くことが主でしたが、インターネットが発達してからはネットで検索することが便利になり、さらに人工知能は検索しなくても過去の文章を探して書いてくれるのです。

すると、人工知能には書けない内容を書こうと、これまた闘志がわきます。すでに書かれてている事実や主張を元にするのですが、それを越える「付加価値」をつけなければなりません。

最高裁判断を国際水準に

2026年6月12日   岡本全勝

5月19日の朝日新聞オピニオン欄、泉徳治・元最高裁判事と江島晶子・明大教授の対談「最高裁判断を国際水準に」から。

旧優生保護法をめぐる違憲判決をはじめ、「憲法の番人」としての最高裁の存在感が近年、増しているようにも見える。しかし、これで十分なのか、司法の判断は国際水準といえるのか。制度改革について発信を続ける元最高裁判事の泉徳治さんと、憲法・国際人権法に詳しい明治大学教授の江島晶子さんが語り合った。

―今年は日本国憲法の公布から80年、自由権規約が国連で採択されて60年の節目の年です。人権を守るとりでである最高裁はその役割を十分に果たしているでしょうか。

江島晶子さん 障害のある人たちに不妊手術を強いた旧優生保護法を、立法当時から違憲だった、と判断した2024年7月の最高裁判決が考えるヒントを与えてくれます。賠償請求権が不法行為から20年の除斥期間経過により消滅したものとすることは、「著しく正義・公平の理念に反し、到底容認することができない」と述べて、被害者の救済を図ったことは画期的でした。とはいえ、救済にあまりに時間がかかりすぎました。司法だけではなく、人権侵害を救済する仕組みを社会全体でどう整えていくか、という問題を投げかけました。

泉徳治さん いま振り返れば、被害救済すべきだというのは当然のことです。問題はなぜ、当たり前のことに気づけなかったのか。法律で制度が作られると、国民はそれが正しいものと思い込んでしまいます。被害者は声をあげるのが難しい。時間はかかったけれども、被害救済へつながったのは、世界の動きの影響があったからでしょう。例えば、1998年に国連の自由権規約委員会が日本に補償を勧告し、99年にスウェーデンで「不妊手術患者への補償に関する法律」ができています。

江島 外からの目と、当事者や被害者支援団体など内からの声が結びついたことが、被害者救済の推進力になったということですね。

泉 人権は世界共通の課題です。国連の条約機関の勧告に謙虚に耳を傾けること、世界の人権状況を把握して日本国内の人権の向上を図るために、国内人権機関を設置することが必要だということを、旧優生保護法の問題から学ぶべきです。

―戦後の最高裁の違憲判決を振り返ると、法律を違憲としたものが14件、裁判手続きなどを違憲としたものが15件で、計29件です。全体的にどう評価されますか。

泉 大きく三つの時期に分けられます。(1)1973年の尊属殺重罰規定を違憲とする裁判が出る前の段階(2)この判決が出てから2001年の司法制度改革審議会の意見書が出る前の段階(3)その後、です。(1)では自白のみによる有罪判決を違憲とするなど裁判手続きを問題にしました。戦後新しくなった刑事訴訟法が定着しておらず、修正が必要でした。(2)の時代に薬事法の薬局開設距離制限規定の違憲判決(1975年)、「一票の格差」が最大約5倍になった、公職選挙法の議員定数配分規定を憲法14条に違反すると初めて判断した判決が出ます(76年)。
(2)の時期で注目したいのは、中村治朗さんという英米法に造詣(ぞうけい)の深い人物が最高裁の首席調査官にいたということです。いずれの違憲判決もドイツの連邦憲法裁判所の判決や米連邦最高裁の判決などを参照していて、中村さんの影響が大きかったとみられています。
政府の司法制度改革審議会の意見書は、違憲審査制が十分に機能していないとして、憲法問題など重大事件に裁判官が専念できる態勢作りの検討などを提言しました。それ以降、法律を違憲と判断したケースが9件に上ったのは、意見書の影響があったと考えています。裁判官は当然、意識しますから。
この項続く