月別アーカイブ:2026年6月

連載「公共を創る」第260回

2026年6月11日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第260回「これまでの議論ー平成の変化─ICT、家族形態、男女共同参画」が発行されました。
「平成の変化」に関する記述を続けます。「昭和の変化」では身の回りの物が劇的に増え、私たちの暮らしを大きく変えました。それに比べると平成の変化では、物は大きくは増えていないように見えます。ところが社会の中では、大きな変化が始まっていたのです。物ではなく、暮らしの形が変わり始めていたのです。

その一つが、情報通信技術(ICT)、すなわちコンピューターとインターネットの飛躍的な発展です。パソコン、携帯電話、スマートフォンは、いつの間にか、私たちの暮らしだけでなく社会の仕組みまで変えました。
それまで職場や家庭を単位に連絡を取っていた個人同士が、移動しながら直接会話するという形が出来上がりました。仕事の仕方が、体を使うことから、パソコンに向かってキーボードを叩たたくものになりました。職務内容によっては、職場に出勤しなくても、自宅でも外出先でも仕事ができるようになりました。商品の購入も、電子決済と宅配便の普及で購入者と直接取引ができるようになりました。クレジットカードとICカードの普及は、現金を持ち歩かなくても良くなりました。

インターネットとスマホの発達は、情報を入手したり知人同士で連絡を取ったりするだけでなく、世界に向けて情報発信することを可能にしました。一億人が記者に、出版社に、映画監督になることができます。万民に対して「表現の自由」を実質化したとも言えます。
ところがその発信内容には、十分考えたものではなく、思い付きや感情のままの発言、過剰な表現もあります。匿名なので、嘘や誹謗中傷も書かれます。他者とのつながりを便利にするスマホが、それを阻害する状況さえ表れました。つながっている先は、携帯電話では人でしたが、スマホでは娯楽性の高い映像や商品の宣伝画像などです。
子どもが有害な情報を見たり、見知らぬ人にだまされて被害に遭ったりしています。いじめに使われる場合もあります。詐欺被害も多発し、被害額も巨額になっています。

平成時代の暮らしのもう一つの変化は、家族形態の変化です。「昭和の標準的家庭」は夫婦と子ども2人でしたが、未婚化や晩婚化、配偶者と死別した高齢者の増加で、単身(単独)世帯が増えました。生き方の多様性が認められるようになったのですが、一人暮らしでは、家族による支援がなくなります。

佐藤仁・前南三陸町長の回想2

2026年6月11日   岡本全勝

佐藤仁・前南三陸町長の回想」の続きです。

―他にも制度に疑問を持っていたことはありますか。
佐藤 政府は復興にあたって「創造的復興」という理念を掲げましたが、この内容には疑問がありました。政府がいう創造的復興とは、基本的にインフラに関しては原型復旧です。元の場所に復旧させろということです。
例えば、海岸近くにあった運動公園は津波で約3分の1が流失しました。安全性を考えれば別の場所への移転が合理的なのは明白です。しかし制度上は「元の場所に復旧すること」が原則であり、移転が簡単には認められませんでした。この調整に2~3年を要しましたが、最終的には復興副大臣に直接働きかけ、内陸部への移転が認められました。

南三陸町の人口はかつての約2万人から、今は約1万2000人に減少しています。それでも制度上は、2万人時代の施設を前提に復旧を進めようとする。これは将来世代に過重な負担を残します。私たちが目指した創造的復興は、より立派にすることではありません。身の丈に合った町をつくることでした。やめるものはやめる、縮小するものは縮小する、統合するものは統合する。それが本当の意味での創造的復興だと思っています。

―そのようなことを踏まえて、復興において重要なことは何でしょうか。
佐藤 発災後だけでなく、平時の時から考える「事前復興」を含めた総合的な対応が重要です。復興庁は東日本大震災を契機に設置された組織ですが、今後はこの11月に発足すると報道されている防災庁が、災害前の備えから発災直後の対応、復旧・復興のプロセスまでの役割を一体的に担うことに期待しています。

―復興を通じて、官民の役割分担はどうあるべきだと考えますか。
佐藤 大災害の復興では、自治体だけでは何もできません。役割は明確に分かれます。自治体は、道路や住宅地などのインフラ整備を担います。一方、漁業・農業・林業・観光・商業といった産業の再建は、基本的にその分野に携わる人々が主体となる必要があります。

大災害時には、行政職員自身も被災者であり、家族を失ったり自宅を流されたりしています。その中で行政機能の再建とインフラ整備を担うため、すべてに手を回すことは現実的ではありません。南三陸町では、それでも職員は愚痴を言わずに働き続けました。私は彼らを「スーパーヒーロー」だと思っています。だからこそ自治体の職員にすべてを背負わせてはいけない。自治体では、制度や資金に関する情報提供などはしますが、産業の再建は民間主体に委ねるという役割分担が不可欠です。
そして、そのような役割分担をうまく機能させるためには、再建に向けて同じ方向を向くことです。南三陸町は小さな町で顔の見える関係があったこともあり、自治体と民間の間で信頼関係が築かれていました。「この人なら任せられる」という関係性が機能していたことは大きかったです。

弱い政治、日本

2026年6月10日   岡本全勝

日本は明治以来、西欧先進国を手本に発展してきました。しかし、妙なところで独自性を発揮しています。例えば、税負担です。多くの国で消費税率・付加価値税率が20%程度なのに、日本は10%です。高齢化は最高になり、社会保障支出も大きいです。
なので、その差額を赤字国債で埋めています。いつかは返さなければならない借金です。子や孫にツケを回しています。とんでもない幼児虐待です。

必要な経費に予算が回っていません。高等教育費、就業支援、文化振興などは、先進国の中でとても低いのです。
必要に応じて補正予算を組むのは良いのですが、その財源はどこから調達するのでしょうか。消費税を減税するのも良いでしょうが、その財源はどこから見つけるのでしょうか。政治家が補正予算を要求するなら、与野党ともに「その財源を何に求めるのか」をあわせて議論すべきです。

お金を配るだけなら、政治と政治家は不要です。国民に苦しいことを訴え、負担を求めることに政治家の役割があります。名宰相と呼ばれる人たちは、その時々の国民におもねることなく、難しい案件を成し遂げた人です「利上げ臆病な日本」「消費税ゼロ、経営者「反対」66%」。
国民・有権者も、政治家にその点を問うべきです。しかし「国民はその程度に応じた政府しか持てない」という言葉があるように、政治家の発言は国民の民度を反映しているのでしょうか。しかし、市場は見逃してはくれません。イギリスのトラス首相が財源のアテがない大型減税を打ち出すと、国債の利回りが跳ね上がり、彼女は辞職に追いやられました。

脱線します。若いときに、課題を先送りにする処理について「こんなので良いのでしょうか」と質問したら、次のような歌が返ってきました。
♪あとは知らない、二人は若い~♪
元歌は「二人は若い」(1935年、ディック・ミネ)の ♪あとは言えない、二人は若い♪です。若い人は知らないでしょうね。

佐藤仁・前南三陸町長の回想

2026年6月10日   岡本全勝

日経BP「一歩先への道しるべ」「元・南三陸町長が語る復興の原動力 東日本大震災の「想定外」に挑んだ15年」(5月13日)から。佐藤仁・前南三陸町長は、東日本大震災の際に、津波に襲われた防災庁舎の屋上で奇跡的に助かり、その後2025年まで復興の指揮を執られました。

―東日本大震災が発災以降、町長として長い期間に渡って復興に取り組まれてきました。課題はどのような点にありましたか。
佐藤 仁氏(以下、佐藤)最も頭を痛めたのが、東日本大震災は、国の制度がまったく想定していなかった災害だったという点です。規模も被害の質も、従来の制度の枠組みでは対応できない災害でした。それにもかかわらず、復興は既存制度の上で進めざるを得ない。このギャップが大きな壁でした。
その中で救われたのが復興庁の存在です。復興庁があったおかげで、国と直接議論ができました。本来であれば県を通すわけですが、どうしてもワンステップ入るとストレートに思いが伝わらない。国に対して直接思いが伝えられたのは大きかったです。
復興庁に一貫してお願いしたのは、「制度に復興を合わせるのではなく、復興に制度を合わせてほしい」ということです。いろいろな要望に応えていただきましたが、制度に合わない要求を通してもらうのは、簡単なことではありませんでした。

例えば、町中心にある低地部の嵩上げ事業です。私たちは復興計画の最初に、「二度と津波で命を失わない町をつくる」と固く決めました。そのため、低地に関しては嵩上げをして人が住まない商業や観光といった用途に使用、そして住まいに関してはすべて高台に移転する方針としました。これが復興に対しての一丁目一番地です。
ところが嵩上げ事業を認めるための条件に「1ヘクタールあたり夜間人口40人以上が居住している」があったのです。つまり、「人が住まない場所は嵩上げできない」という理屈です。しかし、嵩上げを必要とした低地は、志津川湾に面した中心市街地で、震災前から商業・観光の核でした。港や海へのアクセスを失わずに経済活動を始めるには、この場所の再生が必要だったのです。

解決の決め手になったのは、低地のままでは水が溜まった際に、排水コストが発生するという課題でした。防潮堤や河川堤防などに囲まれた低地は、大雨が降るたびに水が閉じ込められた状態になる。そうすると、排水コストが生じてしまう。このような将来像を示し、嵩上げのコストと未来永劫発生しかねない排水コストを比較しながら、「今やる方が合理的で、結果的に安い」という説明を重ねました。
このような説明がすぐに通るわけではなく、実現までには長い期間を要しました。基本的に国が制度や法律を曲げることはありません。ただし、「合理的な理由」と「説明可能な根拠」があれば、制度の運用として柔軟に対応してもらうことは可能です。そのためには、「なぜ今やるべきか」「将来にどのような影響があるか」を明確に示す必要があります。

住居表示板の利用

2026年6月9日   岡本全勝

住居表示って、ご存じですよね。土地についている「地番」(不動産の登記)とは違い、建物についてる番号です。例えば「阿佐谷南1丁目15番1号」とです。

1962年に施行された「住居表示に関する法律」で始まりました。それまでは主に地番で、住所を表していました。ところが、土地が分割されると家が番号順に並ばず、一つの土地の上にたくさん住宅が建ったりすると特定できません。困ったのが、郵便配達だったそうです。法律は自治省が作り、現在は総務省が所管しています。
住居表示制度で、便利になりました。街角にある町名の表示板と、各戸につけてある住居番号の表示板で、たどり着くことができます。我が家は、迷惑行為を避けるため表札を出すことをあきらめ、門の郵便受けの横に住居番号板をつけてあります。欧米でも、家に表札はなく、番号がついていますよね。

法律には、住居表示義務の規定があります。
第六条 何人も、住居の表示については、・・・街区符号及び住居番号又は道路の名称及び住居番号を用いるように努めなければならない。

ところが困るのは、住居番号板をつけていない建物があることです。銀座などの繁華街で、指定された飲食店に行く際に、ビルに住居番号板がついていないことがあります。地図を頼りに探すのですが、迷ってしまいます。店の看板は、たくさん大きく出ているのに。
多くの人は、スマートフォンで現在位置と店の位置を表示して、たどり着くのでしょうか。

もう一つ気がついたのは、表示板が日本語表記のみのものが多いことです。銀座などでも、「銀座×丁目」が日本語表記で、その下の「2-2」は数字で表記されている場合があります。これは、外国人は困るでしょうね。
制度をつくったときは、外国人を想定していなかったでしょう。これからは、表示板は日本語と英語の併記が必要です。