佐藤仁・前南三陸町長の回想

2026年6月10日   岡本全勝

日経BP「一歩先への道しるべ」「元・南三陸町長が語る復興の原動力 東日本大震災の「想定外」に挑んだ15年」(5月13日)から。佐藤仁・前南三陸町長は、東日本大震災の際に、津波に襲われた防災庁舎の屋上で奇跡的に助かり、その後2025年まで復興の指揮を執られました。

―東日本大震災が発災以降、町長として長い期間に渡って復興に取り組まれてきました。課題はどのような点にありましたか。
佐藤 仁氏(以下、佐藤)最も頭を痛めたのが、東日本大震災は、国の制度がまったく想定していなかった災害だったという点です。規模も被害の質も、従来の制度の枠組みでは対応できない災害でした。それにもかかわらず、復興は既存制度の上で進めざるを得ない。このギャップが大きな壁でした。
その中で救われたのが復興庁の存在です。復興庁があったおかげで、国と直接議論ができました。本来であれば県を通すわけですが、どうしてもワンステップ入るとストレートに思いが伝わらない。国に対して直接思いが伝えられたのは大きかったです。
復興庁に一貫してお願いしたのは、「制度に復興を合わせるのではなく、復興に制度を合わせてほしい」ということです。いろいろな要望に応えていただきましたが、制度に合わない要求を通してもらうのは、簡単なことではありませんでした。

例えば、町中心にある低地部の嵩上げ事業です。私たちは復興計画の最初に、「二度と津波で命を失わない町をつくる」と固く決めました。そのため、低地に関しては嵩上げをして人が住まない商業や観光といった用途に使用、そして住まいに関してはすべて高台に移転する方針としました。これが復興に対しての一丁目一番地です。
ところが嵩上げ事業を認めるための条件に「1ヘクタールあたり夜間人口40人以上が居住している」があったのです。つまり、「人が住まない場所は嵩上げできない」という理屈です。しかし、嵩上げを必要とした低地は、志津川湾に面した中心市街地で、震災前から商業・観光の核でした。港や海へのアクセスを失わずに経済活動を始めるには、この場所の再生が必要だったのです。

解決の決め手になったのは、低地のままでは水が溜まった際に、排水コストが発生するという課題でした。防潮堤や河川堤防などに囲まれた低地は、大雨が降るたびに水が閉じ込められた状態になる。そうすると、排水コストが生じてしまう。このような将来像を示し、嵩上げのコストと未来永劫発生しかねない排水コストを比較しながら、「今やる方が合理的で、結果的に安い」という説明を重ねました。
このような説明がすぐに通るわけではなく、実現までには長い期間を要しました。基本的に国が制度や法律を曲げることはありません。ただし、「合理的な理由」と「説明可能な根拠」があれば、制度の運用として柔軟に対応してもらうことは可能です。そのためには、「なぜ今やるべきか」「将来にどのような影響があるか」を明確に示す必要があります。