連載「公共を創る」第143回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第143回「「新しい課題」への対処法」が、発行されました。
社会に新しい課題が次々と生まれているのに、行政の対応が必ずしも積極的でないことを議論しています。かつては縄張り争いをするくらい、積極的に新しい分野に取り組んだのに、なぜ消極的になったように見えるのか。

一つは、官僚主導から政治主導への転換がまだ安定しておらず、政治家と官僚との役割分担がうまく機能していないようです。官僚たちが、上司である政治家の指示待ちになったのです。
また、新しい政策が官邸から発信されるのですが、各省大臣からの発信が少なくなったように見えます。
政策には、大きなものから小さなものまで、さまざまなものがあります。すべてを官邸が抱えると、首相だけでなく内閣官房も機能不全になるでしょう。

日本の行政、官僚に求められているのは、国内で生まれている課題を拾い上げ、政策にすることです。かつての「追いつき型・制度輸入」手法ではなく、「国内の問題を拾い上げ、対策を考える」手法への転換です。
アメリカの社会学者C・ライト・ミルズの「社会学的想像力」という考え方を紹介しておきました。

学童保育の重要性

1月30日の読売新聞が、「学童保育の課題 学童 減らない待機児童 1万5000人 居場所作り不可欠」を書いていました。

・・・共働き家庭などの小学生が、放課後の時間を過ごす学童保育(放課後児童クラブ)。新型コロナウイルス下で減った待機児童の数が、経済社会活動が元に戻りつつある中で、再び増加している。自治体は待機児童解消に向けた取り組みを進めている。

「保育園落ちた」という匿名のブログが話題になってから7年。近年は、公立の学童保育の申し込み結果が出る2月頃になると、SNSに「#学童落ちた」の言葉が並ぶ。
フルタイムで勤務する女性の増加などから学童へのニーズが高まっている一方で、待機児童数は高止まりしている。保護者の勤務状況や子どもの学年などの状況から預かりの可否が決められることも多く、枠が足りずに利用できない人もいる・・・

・・・待機児童の解消には、受け皿拡大とともに専門性のある職員の確保も不可欠だ。しかし待遇の低さなどで離職が後を絶たないのが現状だ。
学童の職員には、保育士や社会福祉士の資格があるなどの条件を満たし、都道府県の研修を受けた「放課後児童支援員」がいるが、基準を満たした職員を確保するのは難しく、学生アルバイトなど非常勤も多い。
全国学童保育連絡協議会が2014年に実施した、学童の正規・非正規の職員を対象とした実態調査によると、週5日以上勤務する職員の46.2%が年収150万円未満だった。半数は勤続年数が1〜3年で、安定した生活を見込めずに離職するケースも多いと指摘されている・・・

新型コロナの感染が広がった頃、保育園、幼稚園、小学校とともに、学童保育が閉鎖され、共働きや一人親が働きに行けなくなるという事態が生じました。学童も子育て中の親にとっては必須の施設です。ところが、保育園や学校に比べ、学童保育は法律や制度の整備が不十分です。
児童福祉法で、市町村の実施責任を定めているのみで、詳細は設備運営基準(や運営指針)が国による参酌基準として定められ、具体的には市町村条例等に委ねられているようです。保育園や幼稚園並みの位置づけが必要でしょう。

池上俊一著『歴史学の作法』

池上俊一著『歴史学の作法』(2022年、東京大学出版会)を紹介します。
歴史とは何か、歴史学と何かを、先生の立場から考えた本です。歴史学の研究方法も書かれています。「近藤和彦訳『歴史とは何か』『歴史学の擁護』などの延長にあります。
先生の立場は明確です。社会史と心性史を中心にすることです。20世紀に西欧歴史学が、政治史からや経済史に広がり、さらに社会史などに広がってきました。先生はその路線を進めるべきだと主張されます。「歴史の見方の変化」「歴史学は面白い

私も、賛成です。社会は個人から成り立ち、その人たちの関係が作っています。すると、社会科学の基本は、個人とその人たちの関係になると思います。個人の行動に焦点を当てる心性史、人々の関係に焦点を当てる社会史が、基本になると思うのです。

先生は、『シエナ―夢見るゴシック都市』(中公新書 2001年)、『パスタでたどるイタリア史』(岩波ジュニア新書 2011年)、『お菓子でたどるフランス史』(岩波ジュニア新書 2013年)、『森と山と川でたどるドイツ史』(岩波ジュニア新書 2015年)など、一般向けのわかりやすい本も書いておられます。私も、楽しみながら読みました。

家族法の不平等との戦い

1月28日の朝日新聞オピニオン欄に、元選択的夫婦別姓訴訟弁護団長・榊原富士子さんへのインタビュー「夫婦別姓、闘った40年」が載っていました。

選択的夫婦別姓を求める憲法訴訟を弁護団長として率いた榊原富士子さんが、昨年、団長を退いた。「夫婦別姓」という言葉が人口に膾炙する前から始めた活動は40年近くに及ぶが、いまだに制度は導入されていない。求める声の広がりと変わらない制度の中で、何を思い、何と闘ってきたのか。

――40年、長いですね。
「まさかこんなに長い間このテーマに関わることになるとは、思ってもいませんでした。もう少し簡単に実現すると思っていましたからね」
「今思えば、見通しが甘かったですね。1990年ごろ、法制審議会の中心の委員に『夫婦別姓も審議会で扱ってください』とお願いしたら、1年もたたないうちにとりあげてくださって、『言ってみるものだ』なんて思っていたものです。法制審でもどんどん審議が進んで、96年には選択的夫婦別姓を認める答申が出て――。『いよいよ日本でも』という雰囲気もあり、その時点では訴訟をする必要も感じませんでした」

「私自身も後回しにしていた面があります。私が弁護士になった当時、家族法の中の平等違反の問題として四つあげられていました。婚姻年齢の不平等、再婚禁止期間、婚外子の相続差別、そして夫婦の姓です。私はこの中で、婚外子差別が最も深刻だと思っていました。婚姻年齢と再婚禁止期間は待てば結婚できるし、夫婦の姓も我慢すれば結婚はできる。しかし、子どもにレッテルを貼る婚外子差別は非常に悪質です。弁護士として、まずはそちらの訴訟に力を入れていました」
「ですが、今残っているのは夫婦の姓だけです。婚外子の訴訟も、95年の最初の最高裁での合憲意見には『むしろ婚外子差別は必然』という趣旨のことが書かれ、当時は『裁判官のこの感覚を変えるのは至難の業だ』と絶望的な気持ちになりました。それでも時代が進んで違憲となった。夫婦別姓を認めるかどうかも、もう理論的には出尽くした状態ですので、違憲と書ける材料はそろっています。『もう書きます』という日はいつ来てもおかしくありません」

現代の国土計画

1月30日の日経新聞夕刊に、斉藤徹弥・編集委員が「令和の国土計画、今夏に策定 実効ある土地の管理体制を」を書いておられました。

・・・令和に入って初となる、国土計画の策定に向けた議論が佳境を迎えています。人口減少で必要とされない土地は増えており、それをどう管理するかは難しい課題です。かつて不要論もささやかれた国土計画が実効ある形に「復活」できるか。今夏のとりまとめ内容が注目されます。
日本で人が住んでいる土地は国土面積の半分ほどです。人口減少が進む2050年にはその2割が無人になり、3割は人口が半減すると推計されています。
日本は土地の所有権が強く、その権利には放置する自由もあるとされました。しかし、放置されて荒れた土地が周辺に悪影響をもたらすことも増えています。
こうした土地をきちんと管理するため、国は制度を見直し、適正な管理は所有者の責務としました。それでも管理が不十分な土地には、地域や自治体による改善を後押しする制度が相次いで動き出しています・・・

・・・国土計画は1962年の第1次全国総合開発計画からおおむね10年ごとにつくり、今回が8度目です。
当初は「均衡ある発展」を掲げ、地方にインフラを整備し企業誘致を進めました。21世紀に入ると都市の人口比率の高まりなどから都市再生が重視され「均衡ある発展」は合意を得にくくなります。国土計画は曖昧になり、不要論もささやかれました。
しかし近年、国土計画は世界的に見直されつつあります。望ましい将来像を定め、長期計画に基づいて取り組む国土計画の手法が、持続可能な開発目標(SDGs)や脱炭素などに広がっているためです・・・
電子版では、さらに詳しくドイツの例なども説明されています。

昭和の後半、経済成長期には、国土計画は大きな意義を持っていました。産業が集積した太平洋ベルト地帯と取り残されたそのほかの地域との格差が広がったのです。そこで「均衡ある国土の発展」が掲げられ、国土庁という役所も作られました。「開発計画」で、インフラ整備と産業誘致が中心でした。その手法が行き詰まり、国土計画の意義は低下したようです。他方で、東京一極集中は止まらず、地方創生などが大きな政策課題になっています。
新しい計画は土地の管理に重点を置くようですが、そのようなハードとともに、人の暮らしというソフト面を入れた計画や指針を作ることはできないでしょうか。