家族法の不平等との戦い

1月28日の朝日新聞オピニオン欄に、元選択的夫婦別姓訴訟弁護団長・榊原富士子さんへのインタビュー「夫婦別姓、闘った40年」が載っていました。

選択的夫婦別姓を求める憲法訴訟を弁護団長として率いた榊原富士子さんが、昨年、団長を退いた。「夫婦別姓」という言葉が人口に膾炙する前から始めた活動は40年近くに及ぶが、いまだに制度は導入されていない。求める声の広がりと変わらない制度の中で、何を思い、何と闘ってきたのか。

――40年、長いですね。
「まさかこんなに長い間このテーマに関わることになるとは、思ってもいませんでした。もう少し簡単に実現すると思っていましたからね」
「今思えば、見通しが甘かったですね。1990年ごろ、法制審議会の中心の委員に『夫婦別姓も審議会で扱ってください』とお願いしたら、1年もたたないうちにとりあげてくださって、『言ってみるものだ』なんて思っていたものです。法制審でもどんどん審議が進んで、96年には選択的夫婦別姓を認める答申が出て――。『いよいよ日本でも』という雰囲気もあり、その時点では訴訟をする必要も感じませんでした」

「私自身も後回しにしていた面があります。私が弁護士になった当時、家族法の中の平等違反の問題として四つあげられていました。婚姻年齢の不平等、再婚禁止期間、婚外子の相続差別、そして夫婦の姓です。私はこの中で、婚外子差別が最も深刻だと思っていました。婚姻年齢と再婚禁止期間は待てば結婚できるし、夫婦の姓も我慢すれば結婚はできる。しかし、子どもにレッテルを貼る婚外子差別は非常に悪質です。弁護士として、まずはそちらの訴訟に力を入れていました」
「ですが、今残っているのは夫婦の姓だけです。婚外子の訴訟も、95年の最初の最高裁での合憲意見には『むしろ婚外子差別は必然』という趣旨のことが書かれ、当時は『裁判官のこの感覚を変えるのは至難の業だ』と絶望的な気持ちになりました。それでも時代が進んで違憲となった。夫婦別姓を認めるかどうかも、もう理論的には出尽くした状態ですので、違憲と書ける材料はそろっています。『もう書きます』という日はいつ来てもおかしくありません」