連載「公共を創る」109回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第109回「倫理や慣習への介入」が、発行されました。
前回から、政府の役割として「この国のかたちの設定」を説明しています。今回は、差別禁止の次に、倫理や慣習への介入を取り上げます。

社会倫理を定める例として、生命倫理(何を持って死とするか、尊厳死を認めるか)、風俗の罪(わいせつや賭博)を挙げます。他方で、憲法が定めていながら、政府が積極的に行動していないこととして、第27条第1項の労働の義務があります。
これらが突然出てくることに、皆さん違和感を持つでしょう。ふだん社会倫理は議論されず、議論する仕組みがないのです。

政府の社会慣習への介入例として、公共の場での喫煙禁止、夏の軽装(クールビズ)があります。電車の駅での整列乗車やエスカレーターの片側空けは、政府でなく会社が呼びかけたものです。エスカレーターの作法は、現在では2列で立ち止まって乗るように誘導されています。

心は放っておくと暴走する2

心は放っておくと暴走する」の続きです。ぐるぐる回りし落ち込む気持ちや暴走する怒り。それをどうしたら止めることができるか。拙著『明るい公務員講座』では、指を折ることをお勧めしました。

・・・タイ王国では、仏陀の元々の教えに基づく瞑想実践が今も脈々と受け継がれ、一般の人にも知られ、実践されてる。その実践自体はいたってシンプルなもので、自分の中に様々浮かんでくる、思考・感情に「気づく」(awareness、と英語では言う)ことだ。何かを見て、イライラしたり、怒りのような感情が浮かんできたりしたら、「あ、私、今イライラしているな」とか「怒りがあるな」とそれに「パッと気づく」ということである。
なんだそんなこと? と思われるかもしれない。しかし、今浮かんだ感情に「気づく」という“簡単な”ことをずっと行い続けるのは、実はとても大変なのである。人はややもすると、そういう感情や思考に巻き取られて、小さなイライラがいつの間にか大きな憎しみや怒りに変容してしまう。
最初は小さな言い合いだったはずなのに、いつの間にか「離婚する!」とか「家出する!」とか叫んでいたりするような場合には、まさに怒りに巻き取られている状況のプロセスがそこにはあったはずだ。
「はっと我に返る」という言葉があるが、それは「その巻き取られた思考からちょっと距離が置けた」ということだ。

このような自分の中で起きている思考や感情を「観る」練習をタイ仏教研究者の浦崎雅代さんから学ぶまでは、私自身も全く知らずに思考の暴走に苦しんでいた。
私の専門である行動分析学の用語で言えば、自分の身体の内側起きている事象である、私的事象を観察するということに他ならない。そして、この観察ができるのは「唯一私だけ」なのだ。つまり、本当の意味で心の暴走を止めることができるのは「私」だけ、ということになる。
この自らの瞬時に沸き起こってくる思考に気づくことで、それ以降の思考の暴走、心の暴走を止めるという試みは、瞑想のみならず、認知行動療法の領域でも広く実践されている。
私たちは学校で知識や技術については長い年月をかけて学んでいく。しかし、自分の「心」の扱い方については、正直学ぶ機会はほとんどないと言っていいだろう・・・

ご指摘の通りです。連載「公共を創る」でも、社会と個人の倫理や道徳を育てることの重要性を論じているところです。しかし、他者と一緒に生きるための倫理や道徳、自分自身を育てる道徳とともに、このようなどんどん沈んでいく気持ちや暴走する心を扱う教育も必要です。「心の取扱説明書」です。

ふくしまSDGs推進フォーラムに登壇

今日2月17日は、ふくしまSDGs推進フォーラムに出席するため、福島市に行ってきました。コロナ感染拡大が収まらないなか、会場では人数を限り、インターネット中継を組み合わせた開催でした。

福島県の新しい総合計画では、持続可能な目標に向けて、多様な主体が参加することを狙っています。私の出番は、復興で学び挑戦した「官共業の3つの主体による町づくり」を話すことでした。討論では、女性や障害を持った人(パラリンピック、車いすバスケット日本主将)が登壇し、多様性を感じました。もっとも、観客席は、紺のスーツの男性がほとんどでしたが。

私は、SDGsという言葉は分かりにくいと考えています。日本語では「持続可能な目標」ですが、日本の現状で一言で言えば「多様性」だと思います。さまざまな人が、それぞれの色を出す。それぞれの場所と役割で活躍することです。

 

母子手帳の効果

日経新聞の医療健康面、毎週火曜日に、板東あけみ・国際母子手帳委員会事務局長が、母子手帳について連載しておられます。2月1日の第1回は「日本生まれの母子手帳」でした。
母子手帳が日本で発明され、海外にも広がっていることは有名です。ここでは、学生たちが自分の母子手帳を読み返す効果が書かれています。

大学の授業の際に、自分自身の母子手帳を持参してもらうのだそうです。自分の母子手帳をじっくり見るのは、多くの学生にとって初めてです。
学生の一番目を引く場所は、余白に書かれている記述だそうです。初めて寝返りができた、離乳食が進まないなど、何気ない喜びや悩みが書かれていて、自分が大事に育てられてきたことを実感します。
それが、自己肯定感につながっているようです。

心は放っておくと暴走する

朝日新聞「ウエブ論座」、三田地真実さんの「東大前刺傷事件から考える~心は放っておくと暴走する「苦しみの正体」 内面に“今ある”感情に気づこう」(2月1日掲載)が、参考になります。「放っておくと体は硬くなる、心は暴走する」は、1人のタイ僧侶の言葉だそうです。

・・・「心は放っておくと暴走する」という冒頭の言葉は、認知行動療法の文脈では「自動思考」と呼ばれる心の動きとほぼ同じ内容を指している。つまり、人は何かを見たり聞いたりすると、パッとそれについてのある考えが「自分の意図とは関係なく勝手に浮かび」、さらにそれが次々と別の思考を呼び起こしていくというプロセスのことである。
自動思考は、特段何かメンタルの問題がある場合にのみ起きるものではなく、今、この文章を読まれている皆様の心にあれこれ浮かんでくる「まさにその思考」のことである・・・

・・・このような思考がどんどん勝手に膨らんでいき、嫉妬や羨望でどうしようもなくなるということは、誰にでもあるだろう。様々な場面で人は「本当は自分の人生とは関係のない出来事」に心を、気持ちを揺さぶられる。そして、自分勝手に苦しいストーリーを作り上げて、さらに苦しんでしまう。「苦しみ」がこのようなプロセスによってもたらされているということすら、ほとんどの人は気づいてはいないだろう。後述するが、このことを看破したのがあの仏陀(ブッダ)だったのである。
実は私自身もこういうネガティブな自動思考で頭の中がぐるぐるしている時期が随分長くあった。もちろん当時それを「自動思考」と呼ぶということすら知らず、程度の差こそあれ、自分よりうまく人生を歩んでいるような人を見るとむくむくと「なんで、あの人があんないい思いをして、一生懸命やっている私が……」といういやーな気持ちに苛まれることがあった。
しかし、それとどう付き合うかという、このような自分の思考の取り扱い方については、「習ったことがない」と気づいた。そのきっかけになったのが、タイ仏教に根差した「気づきの瞑想」(あるいは「気づきのマインドフルネス」)との出会いであった・・・

この説明には、納得します。嫌なことは忘れたい、思い出したくないのに、頭の中から離れないどころか、ぐるぐる回るのです。静かに頭の中を回り続けるだけでなく、感情的に暴走するときもあります。この項続く