背徳の楽しみ、未読書の山

4月4日の日経新聞読書欄「半歩遅れの読書術」は、米澤穂信 さんの「本の信用 どこで判断するか 略歴や参考文献にも目配り」でした。このコラムの趣旨は、表題の通りなのですが、ここで紹介するのは冒頭の1節です。

・・・乱読ほど楽しいことはない。知りたいという欲に身を任せ、自宅に眠る未読書の山のことなど忘れて、書店のレジに本を積む快楽は背徳的ですらある・・・

はい、おっしゃるとおりです。先月たくさん買ってほとんど読んでいないのに、書評を読んだら読みたくなって、また注文してしまいました。肝冷斎も、同感やろうなあ。

子供の貧困

4月6日の朝日新聞オピニオン欄は、中塚久美子記者の「子どもの貧困のいま 弱い所得再分配・窮迫続く母子家庭」でした。
要点は次の通り。
・子どもの貧困の「発見」から12年。問題意識は広まったが解消していない
・所得再分配が弱い。総合的な親の所得保障や教育費負担の軽減を
・貧困を生み出すのは構造的問題。賃金格差など社会的不利の改善に力を入れるべきだ

・・・日本の「子どもの貧困」が国内で注目され始めたのは2008年だ。研究者や当事者らが発信し、メディアで取り上げられるようになった。それ以前の朝日新聞でも、国内の子どもの貧困を指摘した記事はなかった。
翌09年、政府が初めて子どもの相対的貧困率を公表した。07年の数値で7人に1人にあたる14・2%。その後、過去の貧困率も公表され、1985年以降、上昇傾向にあることがわかった。

ワーキングプア、年越し派遣村などで貧困の可視化も進んでいた。生活保護家庭の子ども学習支援や困難を抱える子どもの居場所づくりなどの活動を支える市民が増える中、13年に子どもの貧困対策法が成立。「生まれ育った環境で将来が左右されることのないよう」にと教育支援に力点が置かれた。

貧困状態を把握するための25の指標のうち、21が進路や就園など教育関係。生活困窮家庭の学習支援や奨学金など教育費軽減策、学校を窓口とした福祉機関との連携などが進んだ。
12年の子どもの貧困率は16・3%。15年は13・9%に改善したが、先進国でつくる経済協力開発機構(OECD)の平均13・1%(16年)より高い・・・

・・・日本の母子世帯は8割が働いているが貧困率は高い。東京都立大の子ども・若者貧困研究センターによると、母子世帯(配偶者のいない65歳未満の女性と20歳未満の子ども)の貧困率は1985年の60・4%から、2015年に47・6%と下がったものの、高水準なのは30年にわたり変わっていない。

厚生労働省は02年、母子家庭の自立支援対策として、福祉の手当から就労を促進する方向性を打ち出した。一方、長時間労働を前提とし、男性が稼ぎ主で女性が補助的に働き育児や介護などを担う仕組みは、今も根強く残る。子どものいる男女の賃金格差は10対4。長年、母子家庭を支援するNPO法人しんぐるまざあず・ふぉーらむの赤石千衣子理事長は「結婚・出産で仕事を辞めた女性が子どもを抱えて働くのに合わせ、労働市場には月収10万円前後の仕事があふれている。母子家庭もそこに誘導される結果、働いても貧困になる」と指摘する・・・

「移民と日本社会」

永吉希久子著『移民と日本社会』(2020年、中公新書)を読みました。
日本で定住外国人が増えています。日本は、移民(受け入れ)政策はとらないとしていますが、外国人留学生や労働者は増えています。昨年、出入国在留管理庁ができました。
地域での定住外国人の受け入れについては、1990年代から問題が起き、自治体では対応に迫られました。それらを伝える報道も多くあります。麻生内閣では、内閣府定住外国人施策推進室」を設置(平成21年1月)しました。

この本は、現場からの事例の報告ではなく、これまでの調査研究に基づき、数値で迫ります。
移民には、どのような種類があるか。移民による経済的影響(賃金や失業率、技術革新への影響、社会保障制度)、社会的影響(犯罪や治安)。移民の統合政策の違い、長期的影響(移民二世、国民のまとまり)などです。
外国人による犯罪など、一般に流布している噂と、実際は異なることが示されます。
自治体で定住外国人受け入れに当たっている職員や、関心ある方にお勧めします。

移民政策を採っていないこと、しかし現実にはなし崩し的に定住外国人が増えていること。これも一つの政策ですが、一貫した対応を遅らせています。部分部分での対応が、無理を生んでいます。
さらに人数が増え、地域社会での受け入れが問題になると、国民により認識されると思います。外国人家族の地域への受け入れ、特に子供たちの教育と就業が大きな課題です。

NHKのウエッブサイトには、「外国人材」の欄があります。そこでは、NHKの世論調査で、日本で働く外国人が増えることに「賛成」する人は70%に上ること。一方で、自分が住む地域に外国人が増えることに「賛成」する人は57%であること。
外国人労働者が家族を伴って日本で暮らすことについて条件を緩和して今より広く認めるべきだと思う人が30%余りいる一方、今以上に認めるべきではないと思う人が60%を占めることが報告されています。

春は続くよ

昨日の土曜日、東京はよい天気でした。今日の日曜日は、晴れたり曇ったりで、寒かったですが。春が来たと、実感できます。先週は、雪が積もったのでした。

先日、肝冷斎の「惜春」で、春も半ばを過ぎたと紹介しました。コロナウィルスの影響で、お花見をしないままに、桜が散っていきます。多くの地域で春本番なのに、外出を控えるなど、元気が出ません。

わが家の鉢植えの小さな桜は、1本は例年になく満開です。手入れが良かったようです。もう1本の八重桜はこれからです。
椿は、終わりました。チューリップはつぼみが膨らみ、もうじき咲きそうです。
お向かいのハナカイドウは満開で、花吹雪を散らしています。庭には、チョウチョが飛んでいます。

連載「公共を創る」第39回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第39回「日本は大転換期―行政が前提とした社会の変化」が、発行されました。今回から、第3章「転換期にある社会」に入ります。
第1章では、大震災の復興で体験した、これまでの復旧行政では住民や地域の要望に応えることができなかったことを解説しました。第2章では、住民の要望に応えるためには、世間ではどのような要素が必要なのかを分析しました。そこでは、これまでの行政の守備範囲では十分でないことを指摘しました。
第3章では、これからの行政の在り方を考えるために、行政が前提としていた日本社会の変化を考えます。かつて、世界から高く評価された日本の経済成長と官僚機構は、バブル崩壊後すっかり評価を落としました。その原因を考えます。

その第1回は、1日本は大転換期(1)成長から成熟へ、です。ここでは、第2次世界大戦後の日本を、昭和後期と平成時代の2期に分けて、それぞれの時期の変化を見ます。昭和後期は経済成長の時代であり、平成時代は停滞の時代です。それによって、私たちの身の回りが大きく変わり、意識も変わりました。個人の暮らし、家族の形、世間が変わったのです。

これらの変化は、新聞や年表に載るような出来事の歴史ではありません。数十年かかって変わるものであり、日々の暮らしではまた毎日のニュースでは、気づかないことです。もちろん、どの時代にも社会は変化するのですが、この75年間、戦後半世紀の変化は、まことに驚異的でした。
私はそれを、「長い弥生時代の終わり」と表現しています。日本列島に住んだご先祖様の暮らしを大きく分けると、狩猟時代(縄文時代)、稲作時代(弥生時代)、そして産業化時代と3つに分けることができます。すると、稲作を中心とした時代は、戦後まで続いていたのです。それまで約半数の人が、稲作に従事していました。その意味で、「長い弥生時代」は、戦後まで続いていたのです。
飛鳥時代、平安時代、江戸時代と歴史の教科書で習いますが、政治権力でなく日本人のなりわいから見ると、そのように区分できます。この変化に、私たちの暮らし方や意識はついて行っているのか。それを、考えます。

昨年4月末に連載を開始してから、1年が経ちました。早いものですね。「まあ、1年くらい続くかな」と目算を立てて始めたのですが、半分を過ぎたくらいでしょうか。
行政文書や論文のような硬い文章でなく、読み物として平易にまた私の体験を入れて書いているので、長くなっていることもあります。その点を評価してくださっている読者もいます。
今回の冒頭に、これまでの目次をつけておきました。このホームページをごらんの方は、こちらに載っているので不要ですが。ホームページのホームページの目次も長くなったので、2ページに分けました。