肝冷斎、惜春

肝冷斎によると、「この時期は毎年、花冷えの季節です。二月の立春節から五月の立夏節の間が春ですから、もう春も半ばを過ぎてしまった」のだそうです。
4月に入って目次のカレンダーが代わりました。とても飛べそうにない鳥もいますが。

1日は、唐・杜牧の「惜春」です。いつもは、難解な仏教や道教の悟りの話が多いのですが、これなら私にも理解できます。
まさに、時宜を得た詩ですね。残念ながら、今年は花の下で酔うことはできません。

春半年已除 其余強為有
即此酔残花 便同嘗臘酒
悵望送春盃、慇懃掃花箒
誰為駐東流、年年長在手

春の半ばとなれば年はすでに除す。その余は強いて有りと為すのみ。
即ちここに残花に酔い、すなわち同じく臘酒を嘗めん。
悵望(ちょうぼう)たり春を送るの盃、慇懃たり花を掃うの箒(ははき)。
誰かために東流を駐(とど)めて、年年、長く手に在らしめんや。

春も半ばまでくれば、もう今年一年(のいいとき)は終わったようなものだ。
これからあとは、むりやりある、というぐらいの季節でしかない。
そこで、ここに衰え行く花に酔い、そして、みんなで暮れ仕込みの酒を飲もう。
春を送る酒杯は、うらみかなしみとともに、花を掃う箒は、とても親愛な者のようだ。
誰か、わたしのために東に流れる水をとどめて、毎年毎年、長くこの手に在らしめてはくれないものか。