ハンガリーの姓名

ブダペスト―ヨーロッパとハンガリーの美術400年」に行った際に、「どう表記してあるかな」と、確認してきました。作者の氏名です。

ハンガリー語(マジャール語)は、日本と同じで、姓名の順に並べます。では、絵画の解説の際に、作者の氏名をどのように表記するか。
最初に出てくるドイツ人や、後から出てくるフランス人は、名前が先で苗字が後ろ。
で、ハンガリー人はと見ると、姓名の順に表記してありました。その際に、苗字は大文字で、名前は最初の文字だけ大文字で後は小文字です。

展示品の中に、作曲家フランツ・リストの肖像画があります。ムンカーチ・ミハーイ画「フランツ・リストの肖像」です。
このページの7番を開いてもらうと、次のような説明があります。「ハンガリー出身の高名な作曲家でピアニストのフランツ・リスト(ハンガリー語ではリスト・フェレンツ)・・・」。
そうだったのですね。正式には、リスト・フェレンツだったのです。

よく見ると、このホームページの冒頭に「本展では、ハンガリーの人名は原則として「姓・名」の順で表記します。」と表記があります。

新卒一括採用の限界

管理職、中間管理職、職員の区分、2」の続きにもなります。

2月4日の日経新聞が「足りぬサイバー防衛官僚 人材獲得 高報酬の民間に遅れ」を書いていました。
・・・国や自治体がサイバーセキュリティー人材の確保に苦しんでいる。サイバー攻撃に対抗するシステムの設計・構築や運用に関わる人材は引く手あまたの売り手市場。高額報酬などの好待遇を示す民間に官の領域が競り負けている・・・

詳しくは原文を読んでもらうとして。
ここでは、日本型の新卒一括採用の限界を取り上げます。日本の役所では、職種別採用は一部の技術職だけで、その他は一括採用します。そして、その後に配属を決めます。また、専門家としてでなく、どんなところも経験させることが多いです。その方式の限界が書かれています。

・・・獲得競争で後れを取る日本の政府・自治体は危機感を募らす。防衛省はサイバー攻撃に備えた「サイバー防衛隊」を持つ。20年度に70人増やして290人にする予定だが、すでに米国は6000人、中国は10万人、北朝鮮は7000人のサイバー部隊があるとされる。他国と圧倒的な差があり、人材を内部で育成する時間も予算も乏しい。外部からの人材獲得が課題だ。
防衛省でサイバー人材の採用に関わる官僚は「民間の専門家を年収2000万円超の事務次官級の待遇で任期付きで採用することも考えている」と漏らす。民間との競争を意識して従来の人事体系とは違う高額報酬を準備する。

とはいえ公務員は報酬以外でも忌避される要素がある。
埼玉県警は17年度からサイバー犯罪などに対応する人材採用を始めた。18年度は3人を募集したが採用はゼロだった。募集時に「警察官としての素養を養うために最初は現場にも出てもらいます」と説明している。採用担当者は「すぐにサイバーのノウハウを生かしたい、という希望とギャップがある」と話す。
防衛省や警察などではサイバー人材が定期異動で他の任務を経験することもある。実務や政策、世界情勢を理解した方がより戦略的に動けるのは確かだが、こうしたキャリアプランは回り道にも映る。

米国では1月、国土安全保障省でサイバーセキュリティーを担当していた女性幹部がグーグルに移籍した。オバマ政権ではグーグルやツイッターの幹部が政府の技術戦略の責任者になっている。官民の交流は頻繁で政府のキャリアも評価される。日本も柔軟な処遇を考えなければ、官の人材確保は難しいかもしれない・・・

きれいなビルの汚い窓

霞が関の官庁街。合同庁舎の建て替えが進み、きれいな高層ビルが増えました。ところが、気になることがあります。
外から眺めると、窓際に書類が積み上げられている窓があるのです。執務室が狭く、置き場所のない書類や印刷物を、窓際に置いているのでしょうね。
執務している方からは、きちんと並べてあるのかもしれませんが。外から見ると、醜いです。

なぜ、今日こんな話題を書いているか。
東京国立博物館に行った際に、平成館の窓が、その状態にあるのです。
平成館は、展示室は2階までですが、どうやらその上に執務室(研究室?)があるようです。1階と2階は窓がないのに、その上はガラス張りなのです。そこから、書物と覚しきものの山が見えます。
建物の前で写真を撮っている人がいたので、改めて建物を見て、気づきました。職員の方に説明して、「やめた方が良いよ」と話しましたが、どこまで通じたか??

美を扱う仕事をしている人たちには、もう少し注意して欲しいですね。もちろん、霞が関が汚くても良い、ということではありません。
かつて、「大部屋と雑然とした職場」を紹介したことを、思い出しました。

冬の1日、展覧会巡り

暖かい今年の日本列島、先日から寒波が来ています。今朝の東京も、寒かったです。とはいえ、行っておかないと、展覧会が終わってしまうので、決心して出発。
駅の近くの薬屋さんの前には、行列ができています。聞くと、マスクを買う人の列だそうです。私も人混みに行くので、マスクは持っては行きました。「武漢インフルエンザ」の影響ですね。

まずは、上野の東京国立博物館の「出雲と大和展」へ。明日香村出身の考古学好きとしては、行かないわけにはいきません。
さて、どのように話を組み立て、展示品を選んだのか。なにせ、展示する品は、たくさんあります。話題を絞りこまないと、発散しますよね。
開催趣旨には、「日本書紀成立1300年」とあります。「その冒頭に記された国譲り神話によると、出雲大社に鎮座するオオクニヌシは「幽」、すなわち人間の能力を超えた世界、いわば神々や祭祀の世界を司るとされています。一方で、天皇は大和の地において「顕」、すなわち目に見える現実世界、政治の世界を司るとされています。つまり、古代において出雲と大和はそれぞれ「幽」と「顕」を象徴する場所として、重要な役割を担っていたのです」とも。
その点で、今回の展示は、成功したかな?

続いて、広尾の山種美術館「上村松園と美人画の世界」へ。広尾に移転して、もう10年が経つのですね。
展示品は、既に何度も見たものばかりですが、これはこれで納得。

次に、六本木の新美術館で、「ブダペスト―ヨーロッパとハンガリーの美術400年」。去年夏に、ブダペストに行ったのですが、美術館でゆっくりと見る時間はありませんでした。日本にいる方が、ゆっくりと見ることができるのです。
古いもの、良い作品がたくさん並んでいました。

管理職、中間管理職、職員の区分、2

管理職、中間管理職、職員の区分」の続きです。

日本の管理職の養成は、これまでは、「昇進の過程で身につけよ」というのがほとんどだったでしょう。前例通りの職場なら、見よう見まねで身につけることができます。また、部下たちも心得ていて、みんなで助け合って進めます。
ところが、管理職としての訓練を受けていない問題点は、新しい仕事に取り組む際、また方向転換する際に顕在化します。
管理職の任務は、いつまでに何をするかを職員に指示することです。それは、職員に任せてはいけません。あるいは、職員と会議をして決めることではありません。それでは、改革は進みません。

普段においても、いつまでに何をするか。それを決めて職員に指示するのも、管理職の任務です。多くの管理職は、それをしていません。「職員の自主性に委ねている」といえば、聞こえはよいですが。このような、部下任せ(すわり型)の上司は、いなくても一緒ですよね。
大部屋制や稟議制と相まって、責任の所在が不明確になります。管理職と職員が、「なれ合い」になってしまいます。「みんなで一緒に考え、働く」では、いけないのです。

日本の職場の生産性の低さは、管理職が管理職の仕事をしていないことから生まれます。決められた時間内に仕事を仕上げること。部下に過度な残業をさせないこと。それは、管理職の任務です。
働き方改革は、管理職に管理職の仕事をさせることだと、私は考えています。
この項さらに続く