2月19日の衆議院予算委員会質疑の会議録です。最後の質問者は、黄川田徹議員(民主党、元復興副大臣)でした。質問の3つめに、復興庁の役割について問われました。
○黄川田(徹)委員 復興庁の役割、司令塔としての役割なんでありますけれども、各省庁の縦割りを打破するということ、ここが一番大事だと思います・・
・・そこで、さすがに四年も迎えますと、各省庁の職員も全てかわったと思っております。ごく一部、携わっておる方もおりますけれども、復興庁本体、あるいはまた岩手、宮城、福島の復興局なんかも大分かわっておると思います。震災復興の思いというものがやはり一番大事だと思っておりまして、発災直後に瓦れきの山からどうやって復興するんだという、その思いを持った人間が異動になったりしておりますので、その原点は忘れずにしっかりと取り組んでもらいたい、こう思っておるわけであります・・
そうですね。職員は、だいたい2~3年で交代しています。復興庁では、発災当初から携わっているのは、私くらいですかね。後で議員にお会いしたら、「固有名詞は挙げなかったよ」とのことでした。
月別アーカイブ: 2015年3月
民間企業からの職員の苦労、2
先日の続きです。
(後藤君)
東日本大震災からの復旧・復興の「見える化」について、HP等の立ち上げ、拡充を担当した。つちおと情報館では、多くの関係機関と連携し、今年度完工予定の全地区掲載に向けて取り組んだ結果、開始時(平成25年9月)の131地区から約4倍の517地区(平成27年2月末時点)に拡充できた。
実際、被災地から県外へ避難されている方から、防集移転地区の定点観測写真を楽しみにしている旨のメールを頂いた。工事が着々と進展している様を見える化することで希望を示し、復興に向けた貢献ができたのではないかと思う。
(T君)
復興加速化の代表的な取組である住宅再建・復興まちづくりに携わることができたのは、土木を専攻してきた私にとって光栄であるとともに、実際の業務において政策立案のプロセスを経験できたことは自身にとって大きな収穫となった。特に「住宅再建・復興まちづくりの加速化のためのタスクフォース」では、毎回会議直前まで資料が固まらず準備が大変だったが、会議が開催され、新聞、TVで報道されるのを見ると強い達成感を得ることができた。
4年目の報道を振り返って
今年の3.11は4年目なので、報道の量は減ると思っていました。しかし、2月下旬から3月12日までの新聞とテレビの報道は、大変なものがありました。各紙が、1面で連載を組んでくれました。質と量ともに、去年より多かったかもしれません。私は、各紙に目を通すだけでも大変でした。皆さんは、どう思われましたか。
3.11をめぐる報道には、「犠牲者を悼むもの・遺族や被災者の心情」と「復興の現状と課題」とがあります。もちろん、前者も重要ですが、私の立場からすると、後者が気になります。その点で、今年の報道は充実していたと思います。
まず、事実に基づかないステロタイプの批判がなかったことです。「阪神・淡路大震災の復興に比べ、遅れている」といった、単純な批判はありませんでした。まだ時間がかかる住宅再建なども、進捗状況をデータに基づき伝えてもらいました。さらに、産業復興、健康やコミュニティの再建が重要なこと、原発事故からの復興が難しいことも、客観的に伝えてもらいました。
また、全体のバランスがとれていたこともあります。新聞記事には時々、大きな課題を取り上げずに、小さな課題を大きく取り上げることがあります。今回の各紙の報道では、そういうこともありませんでした。
1年前との違いとして、高台移転や土地のかさ上げの工事が本格化し、事業が進んでいることも、挙げられます。3月11日の朝日新聞1面、坪井ゆづる仙台総局長の「東日本大震災4年、見えてきた現実」が、その点をわかりやすく書いています。
・・1年目はガレキの山だった。2、3年目は道路や防潮堤がずんずん延びた。そして4年目、まちづくりも動きだした。原発被災地は無残に取り残されているが、復興は各地でカタチになりつつある。そんな現場を歩くと、カタチが見えてきたからこそ実感する悩ましい現実がある・・
現地を見て記事を書いていること、データを基に客観的に分析していることがわかります。型にはまった政府批判は、椅子に座ったままで書けます。しかし、これだけの分量の記事を書こうとすると、テーマの設定、取材先の選定、データの分析など、大変な労力が必要なのです。その点について、感謝します。
情緒的な批判、抽象的な批判、定番の政府批判では、私たちも対応が難しいのです。データや具体事例による指摘なら、私たちも対応できます。ありがとうございました。
民間企業からの職員の苦労
復興庁には、民間企業から参加してもらっている職員もいます。先日、「私たちの苦労も、ホームページに載せてください」との要求がありました(かつては、職員の突き上げでしばしば載せていたのです)。仕事の流儀がまったく違う官庁に来て、苦労したと思います。感謝の気持ちを込めて、掲載します。今日は、まず2人を載せます。本人が書いてきた文章に、少し私が手を入れています。
(秋元君)
出身地でもある福島県を中心とした原子力災害地域の風評被害対策を担当しました。「風評被害に苦しむ地元の復興に貢献したい」という思いを汲んで、風評被害対策を担当させてもらいました。自身の強みである「地元の知識」や「経団連とのパイプ」を活かし、大臣などの視察の際の被災地産品のPRや民間企業への訪問活動等を行いました。
特に企業マルシェについては、経団連に大規模なマルシェ(10月3日)を開催頂いた他、福島関連のマルシェの開催数を増加(平成25年度43件→平成26年度4~12月約70件)させることができました。
(Y君)
正直、役所の作法や仕事のやり方に慣れるのにかなりの時間と労力を必要としましたが、復興庁の一員として復興に取り組めたことを誇りに思います。2年間の得難い経験を会社に持ち帰り、今度は自社の事業や商品を通して社会に貢献していきたいと思います。
次回は、残る2人を載せます。なお、この4人は本庁勤務です。3県においた出先機関(復興局)にも、たくさん来てもらっています。
藤沢烈さんの新著
藤沢烈さんの新著を紹介します。『社会のために働く 』(2015年、講談社)。藤沢さんは、このホームページでもしばしば取り上げている、NPOの代表です。大震災の発災直後から、ボランティア活動と復興庁をつなぐ復興庁の非常勤職員の一人として、私たちを助けてくれました。
このNPOは、被災地で肉体労働的支援をするのではありません。被災地で求められている課題を調べ、その解決に協力してくれる相手(企業やNPO、国など)を探して紹介するのです。彼は、これをコーディネイトと呼んでいます。労力の支援でなく、知恵の支援といったら良いでしょうか。コンサルタントが、問題を分析して企画を提案するのに対し、コーディネーターは、その企画を実行するところまで伴走するのです。また、問題解決を自ら指示してやってしまうプロデューサーでは、被災地や被災者が主体になりません(p22)。この指摘は、わかりやすいです。
この本は、被災地での支援をきっかけに生まれた、新しい社会貢献的事業や、企業による新しい支援のあり方の実例紹介です。事例紹介が具体的で、わかりやすいです。「社会課題の解決が新しい価値創造になる」というのです。
企業による復興支援には、CSRによるものと事業とがあります。また、金銭や物資の提供といった渡しきりの支援と、現地の課題解決のために継続して行う支援があります。震災を機に、社会を変える新しい動きが出ています。それも、企業やNPOによってです。新聞報道などで断片的に取り上げられていますが、このようにまとまって紹介してもらうと、わかりやすいです。
終わりの方に、私も出てくるのですが、過分な評価に、恥ずかしいです。でも、民間の若手には、私はそう見えていたのですね。ただし、私の発言が「東京弁」で書いてあります。これは大きな間違いです(笑い)。