4年目の報道を振り返って

今年の3.11は4年目なので、報道の量は減ると思っていました。しかし、2月下旬から3月12日までの新聞とテレビの報道は、大変なものがありました。各紙が、1面で連載を組んでくれました。質と量ともに、去年より多かったかもしれません。私は、各紙に目を通すだけでも大変でした。皆さんは、どう思われましたか。
3.11をめぐる報道には、「犠牲者を悼むもの・遺族や被災者の心情」と「復興の現状と課題」とがあります。もちろん、前者も重要ですが、私の立場からすると、後者が気になります。その点で、今年の報道は充実していたと思います。
まず、事実に基づかないステロタイプの批判がなかったことです。「阪神・淡路大震災の復興に比べ、遅れている」といった、単純な批判はありませんでした。まだ時間がかかる住宅再建なども、進捗状況をデータに基づき伝えてもらいました。さらに、産業復興、健康やコミュニティの再建が重要なこと、原発事故からの復興が難しいことも、客観的に伝えてもらいました。
また、全体のバランスがとれていたこともあります。新聞記事には時々、大きな課題を取り上げずに、小さな課題を大きく取り上げることがあります。今回の各紙の報道では、そういうこともありませんでした。
1年前との違いとして、高台移転や土地のかさ上げの工事が本格化し、事業が進んでいることも、挙げられます。3月11日の朝日新聞1面、坪井ゆづる仙台総局長の「東日本大震災4年、見えてきた現実」が、その点をわかりやすく書いています。
・・1年目はガレキの山だった。2、3年目は道路や防潮堤がずんずん延びた。そして4年目、まちづくりも動きだした。原発被災地は無残に取り残されているが、復興は各地でカタチになりつつある。そんな現場を歩くと、カタチが見えてきたからこそ実感する悩ましい現実がある・・
現地を見て記事を書いていること、データを基に客観的に分析していることがわかります。型にはまった政府批判は、椅子に座ったままで書けます。しかし、これだけの分量の記事を書こうとすると、テーマの設定、取材先の選定、データの分析など、大変な労力が必要なのです。その点について、感謝します。
情緒的な批判、抽象的な批判、定番の政府批判では、私たちも対応が難しいのです。データや具体事例による指摘なら、私たちも対応できます。ありがとうございました。