復興庁では、今日9日に、「住宅再建・復興まちづくりの加速化措置(第4弾)」を公表しました。
今回のポイントの一つは、商店街の再生です。住宅やインフラの復旧が進むと、街の諸機能が必要となります。住宅と道路が復旧しただけでは、人は暮らしていけないのです。商店や病院など、さまざまなサービスが必要です(もちろんこのほかに、働く場や人と人とのつながりなども必要です)。
これまでは、事業の再開支援や仮設商店が施策の中心でしたが、これからは、商店の本格再開や商店街を作ることが中心になります。そのために、必要な手順を示し、専門家の派遣や補助金も使って、商店街の整備を支援します。この施策作りには、経産省が、汗をかいてくれました。
街全体が流された地域では、街の賑わい再生のために、このような支援も必要です。政府の災害復旧としては、これまでにない施策です。
月別アーカイブ: 2014年1月
日本は安定した社会、しかしマイナス面も
1月7日の日経新聞経済教室、猪木武徳先生が「日本の針路」で、ロンドンの「エコノミスト誌」の記事を紹介しておられます。いま世界で、どの国が政治的に安定しているのか、社会の不安が小さいのかを探った報告です。
評価項目は5つ。第1は「社会的不安」で、核物質の取り扱いを巡る政府の管理能力。第2は、憲法体制が秩序ある政権交代を可能にしているか。第3は、政体を揺るがすような国際紛争に巻き込まれているか。第4は、現在あるいは将来の武力衝突の有無や可能性。第5は、デモや市民の暴力的集団活動があるかです。
調査結果では、日本は、世界第2位で「極めてリスクの低い国」です。他は、ノルウェー、スウェーデン、スイス、オーストリアなどです。社会の安定性は、世界に誇るべきことです。
ただし、それを手放しに喜んではいけないというのが、先生の主張です。すなわち、この安定した社会の中にいると、他の多くの国が大きな社会不安を抱えていることや、世界の政治が不安定である事実の認識を甘くします。そして、日本が活力のない国になってしまわないかという心配です。このあたりは、私が極めて単純化しているので、詳しくは原文をお読みください。
指摘の通りでしょう。ジャパン・アズ・ナンバーワンと慢心したところで、日本の発展は停滞しました。また、安定した社会に安住していると、変化や革新は起きません。若さは、エネルギーにあふれ、しかし不安定です。それに対し、成熟は、安定しますが、発展はありません。
そしてこの指摘に続いて、中国リスクを指摘しておられます。
アメリカ型組織・人事と日本型組織・人事。5
日経新聞1月6日企業面「経営の視点」に、「明日のリーダーはいるか。「選ぶ」から「つくる」へ」が載っていました。
アメリカの大企業で、経営刷新のためにトップを外部から選んでくる例があります。しがらみがなく、違った見方ができる人材が改革に取り組み、企業を再び成長軌道に乗せた例も多いです。しかし、結果を出せず、その後のトップ選びも混乱して形成戦略がぶれだして、企業が低迷期に入る例もあります。また、社外の人材ばかりに頼れば、社内の士気は上がりません。
トップになる候補を内製し、準備している例も多いとのことです。日本の例として、日立製作所が紹介されています。
・・各事業責任者やグループ企業トップなど、約40の重要ポストを選定。それぞれのポストについて、どのような候補者がいて、一人ひとりにどんな経験を積ませて育てるかを、中西宏明社長と人事部門が話し合う。技術部門が長い人材なら、海外販売会社の責任者に命じるなど、本人には簡単でないハードルを課す。彼らは、将来の会社のリーダー候補だ。
勝てるシナリオを作る能力や決断力、ビジョンを社内に示して共感させる力など、リーダーに求められる資質は多様になった。リーダーは出来合いの人材から「選ぶ」のでなく、意識的に「つくる」のが世界の流れだ・・
人材を、社外から「買ってくる」アメリカ型、組織内から「選ぶ」日本型、そして意識的に「育てる」新しい型があるようです。
平成26年仕事始め
人は信念によって行動するのではなく、行動によって信念を生む
(人は信念によって行動するのではなく、行動によって信念を生む)
宇野重規先生の『民主主義のつくり方』その3。
次のような、プラグマティズムの考えも紹介されています。
人は人生においてしばしば、十分な根拠を持たずに選択をしなければならない。むしろ、真に重要な決断とは、明確な答がないからこそ重要なのかもしれない。
不十分な根拠しかないのに、判断を下さなければならないとしたら、人は自らの信念に依拠するしかない。というよりも、人は行動に駆り立てられて、はじめて自らの信じる理念を見いだすのだろう。
信念を共有しない人々の存在を許さないイデオロギー的対立をいかにして克服するか。62万人もの犠牲者を生んだアメリカ南北戦争を経験した哲学者がたどり着いたのが、このプラグマティズムです。
「答がわからない」ということが、世界観の大前提です。各人の理念を、形而上学的・神学的に正当化することは難しい。ただ、その理念を行動に移し、その結果を見て事後的に評価することだけが可能である(p181以下を要約しました) 。
納得します。人は初めから、統一された哲学や信念をもって、それに従って行動や決断をしているのではありません。日々の行動の積み重ねが、その人の信条体系をつくりあげるのでしょう。
今、あなたが100円持っているとして、それでお菓子を買うのか、街頭募金に寄付するのか、貯金するのか。休日の朝の1時間、寝ているのか、体操をするのか、庭の草取りをするのか。ちょっとした判断ですが、それが積み重なって、あなたの信条体系を作っています。
もちろん、その際には、両親、友人、先生や社会の教え、本を読んで、身につけることも多いです。でも、いくつかある選択肢の中から、一つを選ぶのは本人であり、その結果に責任を負うのも本人です。