「なぜ日本ばかりが謝罪しなければならないのか、という疑問を持つ人もいます」という問に対しては。
・・この20年ほどで、戦争の記憶に関する「グローバル記憶文化」とでも呼ぶべきものが生まれました。それは、国家が過去に行った行為について新しい国際規範ができた、ということを意味します。
戦後すぐは、その規範は存在しませんでした。国家の首脳は1950年代、「ごめんなさい」と言って回ったりはしなかった。この「謝罪ポリティクス」につながる新しい記憶文化が生まれた理由のひとつはホロコーストです。欧州連合(EU)が創設される過程でホロコーストはヨーロッパ共通の記憶になりました。多くの国が追悼の日を設け、教育を始めた。EUが1990年代以降に北・東欧に広がると、この記憶も広がった・・
日本は長い間、戦争の記憶に関して何もする必要がなかった。強固な日米関係に支えられていたからです。中国は共産主義国だから、存在しないのと同じだった。しかし、冷戦が崩壊し、日米関係が唯一の重要な国際関係ではなくなった。
アジアと向き合うことを余儀なくされ、90年代になって突然、日本政府は戦争の記憶に対処しなければならなくなったのです。それは世界的な「新しい常識」です。自民党が国内政治として扱おうとしても、それとは別種の国際環境が存在している。米下院が慰安婦問題で非難決議をしたのも、その流れです・・
月別アーカイブ: 2013年8月
海外メディアの日本報道
(海外メディアの日本報道)
朝日新聞8月20日オピニオン欄、キャロル・グラック教授(コロンビア大学)へのインタビューから。
「参院選でも大勝した安倍政権について、米メディアでも右傾化を懸念する意見が見受けられますが」という問に対して。
・・実は、うんざりしているんです。過去数カ月間の日本に関する報道で、ナショナリズムや軍国主義といった言葉が実に多く使われています。世論調査の結果を考えれば、そんな心配はないことがわかるのに。
日本に関する海外メディアの報道は極端で、しかも浅い。日本がすぐに軍国主義になることはないし、憲法9条への支持はまだ強い。なのにメディアは安易にラベルを貼る。橋下徹大阪市長の慰安婦発言も好例です。まるでウイルスのように、あの種の発言は広まる。日本人の多くは発言に賛同しているわけではないのに、米国人はそれを知らない。
以前から感じているのですが、日本はいつも極端な言葉で形容されます。経済問題でもそうです。1980年代には「世界を支配する」、90年代には逆に「日本は終わった」と報じられ、その後、日本はほとんど無視された。安倍首相が再登板してアベノミクスを言い立てると、おお、欧州ができなかったことをした、再び日本に注目しよう―。私は歴史家だから確信していますが、世の中は決して、極端から極端へは変化しない。歴史は、短距離走者ではないのです・・
「前回政権時、安倍首相は『戦後レジームからの脱却』を掲げていましたが、これはどう思いますか」に対して。
・・同種のことを言い始めたのも、別に安倍首相が最初ではありません。戦争が終わって70年近く経つというのに、いまだに「戦後」という言葉を使っているのは日本だけ、という点は実に興味深いですが。
日本が戦後という言葉を使い続けた理由は、それだけ、この体制が安定したものだったからでしょう。諸外国では、このように使われる言葉を見つけられません。その理由のひとつは米国です。米国が、日本の記憶とシステムを『冷凍』していたから。そして日本にとっては、それが快適だった。おかげで天皇は象徴となり、民主的で平和な国家が続いている、と・・
この項、続く。
仕事をしながら介護をする
読売新聞8月19日朝刊スキャナーに、「働き盛り、介護で離職」が載っていました。
総務省の調査では、介護をしながら働く人が291万人います。今後も増えるでしょう。しかし、仕事と介護の両立は負担が大きく、介護を理由に離職した人が年間10万にも上ります。本人にとっても大変、企業にとっては損失、社会にとっても大きな課題です。
子育ては女性にしわ寄せされてきましたが、介護しながら働く人の数は、男女に大きな差がありません。
子育てに比べ、介護は先が見えないこと、長期にわたることも指摘されています。また、子育ては子どもの成長が喜びになりますが、介護は元気だった親が衰えていくのを見ることで、苦しいです。
日本の移民政策
8月25日朝日新聞オピニオン欄、ザ・コラムは、有田哲文編集委員の「移民政策、「だましだまし」に迫る限界」でした。
・・人口減少への対策で、わが国の政治家があまり語りたがらないテーマがある。移民である・・
・・日本には、外国人の技能実習制度がある。建前は実習だが、3年を上限に外国人を労働者として使える・・日本は移民政策の代わりに、変な建前を作ってしのいできた。単純労働は禁止だが、研修や実習ならかまわない。日本人の血を引く日系人なら、3世までは出稼ぎに来ていい―。そんな「だましだまし」は、もうやめにした方がいいのではないか・・
・・移民政策の両輪は、「社会的包摂」と「戦略」である。前者が、外国人を底辺に追いやらずに共生するにはどうすればいいかを考えるものだとすれば、後者は、国力を維持するためにどれだけの人をどう受け入れるかという、冷徹な態度である。
過去20年、社会的包摂は、それぞれの地域で試行錯誤を重ねてきた。しかし、戦略の方はまだこれからだ。
外国人支援を続けてきた多文化共生センター大阪の田村太郎さん(42)は、少子高齢化に立ち向かうための戦略が必要で、外国人受け入れ政策も、その一環として考えるべきだという。
「単純に日本の人口が減る分を外国人で穴埋めしろというのは、乱暴だし無理な話。女性が働きやすい社会をつくるなかで、外国人の力も借りるべきだ」。洗濯や掃除などの家事労働を担う産業を育てるとともに、外国人に労働許可を出していくことを提案する。希望すれば長く働くことができ、いずれは永住資格も得られる。日本版移民制度といってもよさそうだ。「男女とも働きやすくなれば、世帯の所得が増え、子どもも生みやすくなる。欧州には実例があります」
移民政策を語るのは、どこか心が痛む。自分たちのやりたくない仕事を押しつけようとしているだけではないか。でも、日本人だけで人口減少社会を乗り切れるとも思えない。
「だましだまし」は大人の知恵だったのかもしれない。しかし今必要なのは、もっと別の知恵である・・
太郎さんが、有田記者の記事に出てくるとは。世間は狭いですね。
通訳つき講演
今日は、国際研修交流協会の国際セミナーで講演をしに、裏磐梯まで行ってきました。私の役割は、復興の成果と課題をお話しすることです。時間が限られているので、最も簡単な3枚紙で、お話ししました。
内外から来られた100人もの方が、聞いてくださいました。さまざまな職種の方である上に、同時通訳つきなので、なるべく通訳しやすいように心がけて、しゃべりました。資料は日本語でしたが、英文も用意しておくべきでした。
他の講師の講義も聴きながら、「どのように話すと、聞いてわかりやすいか」を考えていました。U副知事の話は、内容といい、資料といい、しゃべり方といい、堂に入ったすばらしいものでした。
私は、普段から早口なうえに、次々と話したいことが頭に浮かぶので、話が飛んでしまいます。
まずは、ゆっくりと話すこと。これは、発声をゆっくりすることではありません。それよりは、文章と文章の間に、息継ぎを入れることです。一度、試してください。
次に、主語と述語をわかりやすく、短い文章で話すこと。特に通訳があるときは、自分が通訳だったら「どんな話し方だと、通訳に困るか」を、考えてみてください。長い文章の最後に。「・・とは、私は考えません」なんてこられたら、困りますよね。
通訳がある場合は、さらに単語にも、注意が必要です。日本人同士なら伝わる単語も、外国人に伝えようとすると、難しい場合があります。「がれきの広域処理」といっても、「広域処理」は、解説が必要ですよね。
欲張って、多くの内容を話そうと考えないこと。話のポイント、覚えて帰ってもらいたいことは、3つまでです。それ以上は、講演では無理です。そして、そのポイントを繰り返し伝えること(1、2、3の次は「たくさん」。2008年8月16日)。
自分が聴衆だったら、どれだけ覚えて帰ることができるか。それを考えたら、細かいことやたくさんのことは、伝わりません。
磐梯高原は気温20度で、さわやかでした。新幹線とバスの窓から見える田んぼでは、稲が実り穂を垂れていました。まだ青いですが。家に帰ると、近所で高円寺阿波踊りが始まっていました。こちらは熱気がむんむんです。