日経新聞夕刊の「人間発見」は、25日から俳優の加藤剛さんです。加藤さんは、俳優生活50年のベテラン。テレビの「大岡越前」で、おなじみです。
・・・ところが、長く俳優をやっていながら、人前に立つ自信がありません。舞台初日の開幕までの心細さ。終演までの「魔の時間」を前に、鏡の中の自分の扮装姿を眺めると、映った相棒は何とも頼りない。開幕ベルが鳴り響き、背中を押されて舞台へ出ていきますが、常に自信がない。少年時代の学芸会も「役が付きませんように」とひそかに祈ったほどです。そんな私がなぜ俳優になったのか、実に不思議です。
思えば駆け出しの頃は、この仕事がそれほど恐ろしくなかった気がします。「人間の条件」(俳優デビュー作)をはじめ若い時分の映像を眺めていると、よくあんなことができたな、と驚きます。若さがそれをさせたな、と。だが、どんな仕事も完成はなく、どこで完成なのかがわからない。年とともに役を演じる怖さがわかってきたのでしょう・・
あの堂々とした大岡越前守の演技の裏(本当の姿)です。達人や名人というのは、こういうことなのでしょうね。
月別アーカイブ: 2013年2月
自分の命を、役所任せにしてはいけない
朝日新聞2月26日、「釜石の奇跡」で指導的な役割を果たした、片田敏孝さんのインタビューから。
国や自治体による被害想定作りに関して。
・・・こう言っては何ですが、ハザードマップを信じてはいけません。想定を否定しているわけではありません。頼り切ることが問題なのです。マップの安全圏を信じて安心しきって、その結果、命を落とす事態が起きるのです。相手は自然だから、時にはずっと大きな災害もある。
危険な場所を地図に示すことを過度に求める、行政依存の体質が問題です。行政の肩を持つわけではないが、防災だけでなく何かにつけて行政責任を言う、日本の社会構造みたいなものに、根源があると思えてなりません。自分の命を守るのを、他人任せにしてはいけない。自己責任ですよ・・
上司の役割
今日は、仕事の関係で、12:20頃に職場に戻って、弁当を広げました。今日はなぜか、静かに食べることができました。しかし、13:00になったとたんに、次々と職員が決裁やら相談にやってきました。
どうやら、Y秘書が私のブログ(ゆっくりさせてくれない職員たちと黒幕)を読んで、次の対策を考えたようです。
でも、部下の言うとおりに動くのが、上司の務めですね。Y秘書の指示に従いましょう。
金曜日に、×を2つもらった職員(若手職員卒業試験)は、今朝早く、修正した案を持ってきました。完璧にできていました。でも、100点を与えると慢心する恐れがあるので、あえて問題点を探して、「95点」と採点しました。満足せずに、さらに向上してもらうためです。きっと、将来有能な職員になってくれるでしょう。
上司の楽しみは、将来有望な職員を鍛えることです。復興庁には、各省のほか民間企業やNPOからの職員がいます。それぞれ有能な職員ですが、これまで「狭い職場」で生きてきました。
彼らに、復興の現場を見せ、内閣と与党はどう動いているかを見てもらい、どのように企画して段取りをつければ仕事が進むかを勉強してもらっています。若手職員では、なかなかそんな機会は、ありません。でも、復興庁では、これまでにないことをしていること、職員が少ないこと、仕事が忙しいので、若手職員でもいろいろなことが経験できます。
良いアイデアがなければ、進歩はありません。しかし、アイデアだけでは、企画は実現せず、世の中は動きません。その勉強ができます。
放課後には、元部下職員と一緒に「異業種交流会」に出ました。私は、「今日も、ホームページを加筆するので、先に帰るわ」と、皆より早く退席しました。去り際に、彼曰く「S省のS君は、よく仕事ができたが、さらに磨きがかかった、と書いてください」と。で、その注文を、こうして実行しています(苦笑)。
放射能の安全基準
2月25日の読売新聞社説は、「原発風評被害、放射能の基準から考え直せ」でした。
・・・放射能の安全基準について政府は根底から考え直すべきだ。政権交代はその好機と言えよう。・・
野田政権は、食品中の放射能基準を海外より厳格化した。政府の放射線審議会は、弊害が出ると警告したが、小宮山厚生労働相(当時)が政治的に押し切った。
その結果、基準超過が増え、食品の信頼回復は進まない。過去の核実験の影響としか考えられない放射性物質が検出され、出荷停止となった野生キノコもある。
問題なのは、野田政権が年1ミリ・シーベルトの被曝線量を安全と危険の境界線としたことだ。年1ミリ・シーベルトは法的に放射性物質を扱う施設の管理基準に過ぎないのに、この線引きを食品基準にも適用した。
国際放射線防護委員会(ICRP)も、年1ミリ・シーベルト以下が望ましいとしている。ただ、野田政権との違いは、これを超えても直ちに危険とは見なさないことだ。
ICRPは総量で100ミリ・シーベルトまでなら明確な健康影響は検出できないとの立場だ。ICRPが考える1ミリ・シーベルトは、安全性に余裕を見込んだ数値で、合理的に達成できるなら、との条件も付く。
世界には、大地などから年10ミリ・シーベルトの放射線を浴びる地域がある。病院の放射線診断で1回に約7ミリ・シーベルト被曝することもある。
1ミリ・シーベルトでの線引きは、16万人近くの避難者の帰還を遅らせる要因にもなっている・・
また、日経新聞ネット版(1月17日)には、次のようなフォーブスの記事も載っていました。「原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)」が出した報告書を基にした「放射線と発がん、日本が知るべき国連の結論」です。
・・・昨年12月、極めて重要な報告書が粛々と発表された。そこに結論として書かれているのは、原子力科学の専門家が長年にわたり主張してきたことだ。―つまり、約0.1シーベルト(Sv)または10 rem以下の放射線の被曝(ひばく)は大した問題ではない・・
報告書により、世界はようやく正気に戻り、人体に害を与えないことに無駄な時間を費やすのをやめ、実際に悪影響を及ぼす問題、そして本当に注意を必要とする人々に目を向けるようになるかもしれない。例えば津波によって引き起こされたインフラや経済への打撃、あるいは福島周辺の真のホットスポットの除染。さらには、人体に影響を与えない程度の放射線量しか浴びていないのに、被曝の恐怖に怯えて暮らし、まさにそうした不安に心身をさいなまれている何万人という日本人をケアするといったことだ。また、日本政府においては真剣に原発再稼働の準備を始めたり、国際原子力機関(IAEA)や米国政府からの改善案に耳を傾けることだ。
この報告書によって、低線量の被曝が個人と大規模な集団の健康に及ぼす影響について言えること、言えないことがはっきりするだろう・・
土日の暮らし、速記録と講演録とは別物
昨日土曜日に、短時間だけ出勤したら、別の幹部が出勤していました。顔を見合わせて、「出てきているのですか」「平日は、自分の仕事が片付かないからなあ」と、言い訳を交換。
これまでにない仕事の場合は、前例通りやボトムアップができないので、どうしても上司の役割が多くなります。彼は、出張も多いので、大変です。休日は電話もかかってこず、部下の「攻撃」もないので、仕事がはかどります。
今日日曜日は、部下の作業を家で待って、メールで送ってもらいました。ごめん。
他方、今日は朝から1日がかりで、講演の速記録に手を入れました。まあ、私のしゃべりが悪いのですが、送ってもらった速記録は、とてもそのまま活字にはできない代物です。耳で聞けば、理解できると思うのですが。
昨年7月に講演したもので、こんなしゃべり方をしたのかなあと思いつつも、細部は覚えていません。もちろん、レジュメと資料を配ってそれに沿って話をしているので、加筆修正はできます。
考えるに、講演(速記録)と講演録は、別のものですね。講演の際には、聞いていてわかるように、漢語を使わず話し言葉に言い換えます。また、聴衆の顔を見ながら、繰り返したり、かみ砕いたりします。そのまま活字にしたら、冗長で読みにくいですよね。
例えば、NHKのニュースは、記者が書いたものを、アナウンサーが読み上げます。そしてそれが、インターネットに載ります。わかりやすい文章です。でも、あの原稿をつなぎ合わせても、講演にはならないと思います。目の前にいる聴衆を相手にする語りと、目の前にいない聴衆を相手にする語りとは、違うのでしょう。テレビで見る放送大学は、学生を前にした教室での授業とは、別物のようです。講演(速記録)をそのまま活字にできる達人もおられるでしょうが、私には無理です。
ところで今回は、先週月曜日に、職場に速記録が届いて、「金曜日までに返送しろ」と指示がありました。7か月間放置されていて、5日後に加筆して提出しろと・・。珍しい経験をしました(苦笑)。よって、提出期限には、間に合いませんでした。