朝日新聞5月12日「自省する戦後教育学、閉鎖性・運動との結びつきに批判」から。
政府の教育再生会議の委員には、教員経験者はいても教育学者はいない。このことについて、苅谷剛彦東大教授は、「戦後教育学の敗北」と表現する。「雇用制度を議論する審議会に労働法学者がいなければ、世の中は批判するだろう。しかし、教育問題では、専門家は不要と思われている」。
広田照幸日大教授は、「社会科学・人文科学の一分野として考えると、教育学は閉鎖的で、その水準もはなはだ心寒い」と現状を批判した。理由として広田教授は、戦後教育学がもっぱら日教組など革新側の運動と結びついて研究を深めてきたこと、「子どもの発達」など独自の「教育固有の価値」を学問の足場にすえたため、他分野との交流が難しかったことを挙げる。政治や経済が教育に及ぼす影響も「子どもの発達をゆがめる」と頭から否定するため、影響の分析自体に消極的だった。
一方で80年代以降、管理教育批判が起き、思想的にも学校や教師の権力性が批判される。かつて親や子の側に立って国家権力と対決すると考えられていた教師が、権力側に立って子や親を抑圧する存在と見られるようになった・・
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うれしいような悲しいような
「全勝さんのHPが、とても参考になりました」との連絡をいただきました。ある地方団体の管理職の方です。事務の失敗があり、後始末とお詫びの記者会見をしなければならなくなりました。「そのような記者会見は初めてなので、緊張しましたが、HPの『お詫びの仕方』を参考に長時間の質問に耐えました」とのことです。
お役に立ててうれしいです。このような機会はない方が良いのですが、人間の組織では間違いは起きるものです。
公務員制度と実態
私は、日本の行政を論じるときに、これまで主に公表資料と私の経験とで話してきました。ところが、公務員法の解説や制度を解説した本はあるのですが、その機能や問題まで分析した本は案外見あたりません。ジャーナリストの書いたおもしろおかしい本は、たくさんあります。でも、それではねえ・・。
人事院の「公務員白書」は、仕組みや数字が載っています。しかし、まだまだ分からない点があります。例えば、各省に1種採用は何人いるか、その内訳(法律職・技術職とか)はどうなっているか、1種2種3種の人数、事務官・技官・研究職の数、本省と出先の数、平均的は昇進速度はどうなっているか、指定職は何人いるか、平均退職年齢はどうなっているかなどなど。探せばあるのかもしれませんが、簡単に分かる資料がないのです。これらは、法律の解説や制度の解説では、分からないのです。公務員制度改革論議が盛んですが、基礎資料が国民に共有されていません。
公務員制度改革と政治の責任
13日の東京新聞「時代を読む」は、佐々木毅先生の「公務員制度改革は大丈夫か」でした。
・・「公務員制度改革に関する政府与党合意」を公務員制度改革に取り組む政治部門の決意表明と考えた場合、率直に言えば、危機感の乏しさが気になる。
第一に、新たな人事評価制度の構築による能力・実績主義の実現が今度の「合意」の大きな柱であるが、その実施主体について全く新しい発想がない。役所と人事院が、それぞれ適宜実施すべしとする以上のものが全く見あたらない。これでは、従来と何が変わるのかと思っても当然である。この改革がどれだけ膨大なエネルギーとコストを要するかについて、深刻に検討した痕跡が見あたらない。霞ヶ関には人事部に相当するものがないし、公務員改革は実施主体のデザイン抜きには現実味を持たないに違いない・・・
第二に、「世界に誇れる公務員」を創るといったレトリックは別にして、霞ヶ関の現状をどう評価するか、どのような処方箋を考えているのかについても、危機感が見あたらない・・われわれが耳にするのは、優秀な人材が相次いで流出し、若い優秀な人材がそもそも集まらなくなった組織というイメージである。その病は深刻である。
その結果、日本政府の国際競争力の劣化は急速に進行している。これは公務員叩きがあらゆるところで、どこまでも続くという社会環境からの当然の帰結である。
国民に代わって公務員を直接に雇い入れ、管理責任を負っているのは政治部門である。公務員制度が劣化するならば、政治部門が国民に説明責任を負わなければならないのは当然である。この筋道からすれば、政治部門が公務員を「叩いて」点数稼ぎをするというのは本来邪道である・・・
正確には、原文をお読み下さい。
地域若者サポートステーション
これは、働く意欲や自信に欠けている若者を、応援する仕組みです。厚生労働省が応援し、地方自治体がNPOなどと協力して、実施しています。詳しくは、HPを見てください。「仕組み」と言ったのは、場所や施設は大がかりなものは不要です。相談する人が必要なのです。人材とノウハウです。まだまだ、世間では知られていないと思います。
本人以上に、親御さんが悩んでおられます。日本の教育は、学校に来た人だけを相手にします。そこから漏れ落ちた若者は、相談するところがありません。ご両親もそうです。企業に入れば良いですが、そこから漏れ落ちると、これまた行くところがありません。行政が次に関わるのは、生活保護か警察になるのです。
この施策の元祖は、イギリスにある「コネクションズ」です。イギリスは、若者の失業率も高く、妊娠や非行も多いです。そこで、このような施策が考えられたようです。あちらでは、警察や教育委員会も参加していますが、日本では、まだそこまでいっていません。また、向こうでは、ある年齢の若者を全員登録して対象としていますが、日本では、訪れた人を対象としています。
ここに、これまでの行政と、これからの行政の違いが、見えてきます。
まず、学校を作れば若者対策は終わり、という時代ではなくなりました。学校は、勝ち組を相手にしていたのです。ドロップアウトした若者を、行政は相手にしませんでした。見たくないものを見ない、これがこれまでの行政です。
次に、学校や企業といった「機関」「組織」ではなく、個人を相手にする必要があります。個人を把握できるのは、地域でしょう。ただし、現在は個人情報保護の問題があり、知っていても他人に教えられないこともあるようです。
次に、行政の縦割りは、ここでは大きな欠点になります。一人の人が悩んでいるのに、各機関が「私の仕事ではない」と言い出すと、たらい回し・漏れ落ちが出てきます。連携が必要なのです。イギリスでは、一人の若者にはある一人の相談員がつくそうです。
また、来る人を待っている「受付窓口型行政」では、だめなのです。出かけていく「出前型行政」が、必要になります。
「怠け者だから」とか「親の教育が悪い」と批判する人もいますが、それだけでは事態は解決しません。親も悩んでいるのです。また、問題ある家庭に若者を置いておく、あるいは帰すと、事態は悪化します。
まだ、このようなステーションは、全国で50か所しかありません。各地域でも、困っておられると思います。地域の若者を健全に育てることは、地方行政の大きな仕事です。もちろん、行政だけではできません。地域の人たち、NPO、そして最後はその若者たちを雇ってくれる企業の協力が必要です。しかし、それらの連携の場を提供できるのは、市町村役場だと思います。(5月1日)