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避難市町村

2012年9月27日   岡本全勝

今日は、福島県葛尾村に行ってきました。といっても、村役場が疎開している福島県三春町にです。現在、原発事故で住民が避難をさせられた12市町村ごとに、復興庁でチームを作り、各自治体の課題の解決と復興計画づくりを進めています。チームの責任者は参事官を当てているのですが、私もできる限り現地に行って、話を聞くようにしています。先週20日が川内村、今日が葛尾村でした。
葛尾村も、阿武隈山地の東麓にある山中の村です。人口1,500人、これといった産業がありません。商業や医療などのサービスも、かなりの部分を、他の町に依存していました。原発事故を受けて、全村が避難しました。
村のかなりの地区は、年間20mSV以下です。インフラや住宅は、地震の被害をそれほど受けていないので、損傷は少ないです。しかし、特に警戒区域内の家屋は、1年半以上人が住んでいないので、傷んできています。
インフラ復旧に大きな作業は不要なのですが、住民が戻るかどうか、予測がつきません。商業などのサービスの再開と働く場の確保が、難しいからです。そして、住民が戻らないと、商店も工場も再開しません。他の町に避難した人たちは、町の生活の便利さや、子どもたちが転校先で友達を作っていることから、早期の帰還に二の足を踏みます。
これまで多少の不便があっても、ふるさとでの暮らしを守ってきた人たち。その人たちが、いったんふるさとを追われ、新しい土地になじんできています。今後の暮らしをどう立てるか。皆さん、難しい判断を迫られています。
かくいう私も、村(明日香村)では食べていけないので、東京に出てきた一人です。都会の狭い住宅、満員電車、土の見えない街で、ふるさとの野山を懐かしむしかありません。もっとも、私の場合は、職業を選ぶ際に自ら東京を選び、家庭を持ちました。それに対し、葛尾村の住民は、村で家族と暮らし、生業に就いているのに、突然追い出されたのです。

避難者との意見交換会

2012年9月24日   岡本全勝

今日は、復興大臣のお供をして、東京都江東区の東雲(しののめ)住宅へ、福島県から避難しておられる方の話を聞きに行ってきました。この住宅は、国家公務員住宅を東京都が借りて、避難者に提供しています。平屋の仮設住宅と違い、高層アパートです。約1,200人の方が、福島県から避難しておられます。代表の方8人に話を聞きました。
原発避難区域からの避難者は、帰る見込みが立たない人も多く、不安な状態におられます。帰ることが可能になった区域、例えば南相馬市小高区も、まだ上下水道が復旧していないので、片付けに帰るのも難しいです。水道とトイレが使えないのです。
1年半の間放置してあるので、雑草が生え、またネズミも繁殖しているとのことです。いろいろとご不満や心配を聞きました。これに、どうお答えするか。頭をひねります。

長期避難者の生活拠点検討協議会

2012年9月22日   岡本全勝

今日、福島県郡山市で、長期避難者の生活拠点検討協議会を開きました。参加者の都合で、18:00~20:00という時間帯でした。土曜日の夜にお集まりいただき、ありがとうございます。
この会議は、県と復興庁が主催し、避難区域となった12市町村と、避難者をたくさん受け入れている県内の5市との会議です。当分帰還できない住民のために、住宅を建てます。その課題を検討する会です。資料を載せました。

借り上げ住宅は生活条件が良いのですが、仮設住宅は条件が悪いです。通常は2年で出て行くことを想定しています。しかし、原発事故では、5年以上帰ることができない地域もあります。
避難者の中には、(賠償金をもらって)自ら家を買って出ていく人のほかに、帰還できる日まで待つ人、しばらく待って考える人、もう帰らずに定住する人がいます。この人たちのために、住宅を建てます。
当然、住まいだけでなく、教育や病院、介護といったサービス、さらには働く場所も必要です。受け入れ自治体のまちづくり計画や都市計画などとの整合性を取る必要があります。「仮の町」とか「町外コミュニティ」と呼ばれていますが、受け入れ側の自治体にとっては、市内に突然「よその人の町」ができたら困ります。

今日の協議会は、受け入れ側の自治体に、住宅を作ることをお願いする会です。市長さんたちからは、避難者が閉鎖的にまとまって住むのではなく、地元住民と溶け込んで暮らすよう、分散型の住宅を作ってほしいとの要望が出ました。今後、個別の市ごとに、実務的な詰めを行います。
どこに、どれくらいの数の、どのような形の住宅を作るか。公共サービスはどう提供するかなどなど。検討課題はたくさんあります。「何人が、いつまで住むか」ということをとっても、予測が難しいのです。

自治体間の職員応援

2012年9月21日   岡本全勝

岡山市が職員を公募して、宮古市に送ってくれます。その職員採用が決まりました。合計5人の職員を送ってくださいます。すでに3人の職員を応援に出していますが、さらに任期付き職員を採用して、送ってくださいます。ありがとうございます。
先日、「東京都が47人を採用して送ってくださる」ことを紹介しました(9月4日の記事。長浜市は9月9日の記事)。都庁にお礼に行って、気づきました。都や大きな市が職員を採用して送ってくださる際には、職員研修をじっくりとしてくださいます。会計事務や文書事務だけでなく、公務員倫理もです。
他方、被災地の自治体、特に小規模な自治体では、即戦力が期待されていて、かつ職員研修にそんなにも時間を割くわけにはいきません。東京都などで職員研修を受けた職員なら、折り紙付きです。この点も、送り出し自治体に、お礼を申し上げます。

「自治体や役所は、とかく前例踏襲で、新しいことをしない」と批判されます。でも、今回の被災地支援を見てください。かつては、消防と警察を送ることと、物資と義援金を送ることが、主な被災地支援でした。それが今回は、職員応援、被災者受け入れ、事務の代行など、次々と知恵を出して新しいことに挑戦しています。
阪神淡路大震災がボランティア元年と呼ばれましたが、東日本大震災は、企業の社会的責任と自治体の新たな支援の元年と言えると思います。
これらの新しい取り組みも、一覧表に整理する必要がありますね。今回の大震災で、政府が取った新しい取り組みは、こちら

川内村の復興

2012年9月20日   岡本全勝

今日は、福島県川内村に行ってきました。原発事故で避難を余儀なくされた12市町村について、復興庁で各自治体ごとのチームを作って、県と一緒に課題を解決することとしています。帰還を始めている自治体、帰還の準備をしている自治体、まだ当分の間戻れない自治体と、条件が違うので、各自治体ごとに進めることが効果的と判断しました。復興庁の参事官を、それぞれチーム長としているのですが、今日は第一回目でもあり、私もついて行きました。
川内村は、阿武隈山地の東麓にある、盆地の村です。のどかな山村の風景が広がっています。村に行くのは、去年の秋以来です(2011年10月29日の記事)。その後、村長が帰村宣言をして、役場も戻っています。住宅の周りで、除染作業が進められていました。また、村の中心部では人通りも増えて、去年とは様変わりでした。人がいるといないとでは、これだけも違うのですね。
ただし、まだ戻っている人は多くありません。理由は、放射能への不安、サービス再開が進んでいないこと、働く場が失われていることなどです。
この村は、双葉郡を生活圏としていました。東へ山を下りると、20分で富岡町です。病院や高校、さらに勤め先も、この富岡町に依存していました。ところが、富岡町の帰還は、まだめどが立っていません。すると、南のいわき市、西の郡山市のサービスに頼らざるを得ませんが、山道で1時間半以上かかります。
このように分断された地域経済・生活圏を、どのように復興するか。大きな課題です。