避難市町村

今日は、福島県葛尾村に行ってきました。といっても、村役場が疎開している福島県三春町にです。現在、原発事故で住民が避難をさせられた12市町村ごとに、復興庁でチームを作り、各自治体の課題の解決と復興計画づくりを進めています。チームの責任者は参事官を当てているのですが、私もできる限り現地に行って、話を聞くようにしています。先週20日が川内村、今日が葛尾村でした。
葛尾村も、阿武隈山地の東麓にある山中の村です。人口1,500人、これといった産業がありません。商業や医療などのサービスも、かなりの部分を、他の町に依存していました。原発事故を受けて、全村が避難しました。
村のかなりの地区は、年間20mSV以下です。インフラや住宅は、地震の被害をそれほど受けていないので、損傷は少ないです。しかし、特に警戒区域内の家屋は、1年半以上人が住んでいないので、傷んできています。
インフラ復旧に大きな作業は不要なのですが、住民が戻るかどうか、予測がつきません。商業などのサービスの再開と働く場の確保が、難しいからです。そして、住民が戻らないと、商店も工場も再開しません。他の町に避難した人たちは、町の生活の便利さや、子どもたちが転校先で友達を作っていることから、早期の帰還に二の足を踏みます。
これまで多少の不便があっても、ふるさとでの暮らしを守ってきた人たち。その人たちが、いったんふるさとを追われ、新しい土地になじんできています。今後の暮らしをどう立てるか。皆さん、難しい判断を迫られています。
かくいう私も、村(明日香村)では食べていけないので、東京に出てきた一人です。都会の狭い住宅、満員電車、土の見えない街で、ふるさとの野山を懐かしむしかありません。もっとも、私の場合は、職業を選ぶ際に自ら東京を選び、家庭を持ちました。それに対し、葛尾村の住民は、村で家族と暮らし、生業に就いているのに、突然追い出されたのです。