「歴史遺産」カテゴリーアーカイブ

2004.07.29

月刊「自治研究」(第一法規)7月号に、株丹達也自治税務局都道府県税課長の論文が載っています。表題は「地方税の現状と2、3の課題について(上)」ですが、地方税のあり方を大きな視点から見た論文です。
例えば基幹税については、国税から独立した地方税とするのか、国税と似たもの(付加税)にするのかといった問題を、哲学と実務、歴史の観点から論じています。わかりやすく、今後の地方税のあり方や税源移譲についても、参考になります。今までにない、歴史分析にたった、しかも政策提言型の骨太の論文です。(6月30日)
続きが、月刊『自治研究』8月号に載りました。今回は「課税権の帰属のあり方」と「基幹税目以外の税源移譲」についてです。三位一体改革とも関連のある、重要な論点です。これまでにない、未来志向の議論です。

三位一体改革15

日々の三位一体改革
【躍り出た知事会】
最近の新聞の記事は、知事会が中心です。19日の日本経済新聞は、「知事会夏の陣」という見出しで、「結論先送り、合意点探る」でした。20日の東京新聞は、ずばり「闘う知事会」「補助金改革リストで主導権」「財源大幅削減怒りバネに結束」です。「国には判断能力がない」とも。
これほど、知事会や地方団体が政治の一面に躍り出たのは、初めてでしょう。優先順位をつけることができない官僚組織に対し、知事会が日本国の意思決定をするチャンスを得たのです。
国は、今月末に予算のシーリングを決めます。でも、それは「枠」でしかなく、地方団体の方が、実質を決めるということです。(7月20日)
【日本の行政の在り方の再検討】
22日付け読売新聞には、伊藤裕記者による解説「補助金削減」が載っていました。「地方自治体による補助金削減案の取りまとめが、中央省庁の抵抗と地方の足並みの乱れで難航している」というものです。「これまで『お願い知事会』だったので、現状では、国と対等に協議するだけの体制が整っていない」との指摘もあります。
しかし、「補助金は地方の個性を失わせ、各省縦割りの弊害の方が目立つ。補助金の見直しは、戦後日本の行政の在り方を再検討する意味がある」とハッパをかけています。そして、「小泉総理自身が、何のために今、この改革が必要なのかを、改めて国民に説明する必要があるだろう」と主張しています。(7月22日)
【補助金改革は制度改革と一体で】
23日付朝日新聞朝刊は、大きく、新藤宗幸千葉大教授と古川康佐賀県知事の対談「分権どうする、どうなる」でした。司会は、坪井ゆづる論説委員です。
「補助金の一部が一般財源化されても、霞が関は痛くもかゆくもない。制度改革案と一体で提案しなくちゃ」「義務教育を一般財源化・・と同時に、教育委員会をなくす」
「地方団体に国政参加の機会を設けようと、11年前に地方自治法を改正したのです。だから知事会はもはや単なる任意団体ではない。まともな意見を出したら、内閣はそれを法案化する政治責任が生じるし・・」などなど。
【史上初の霞が関パッシング(素通り)の予算編成】
日本経済新聞夕刊には、「ニュースなるほど」に「補助金削減リスト難航」という題で、中西晴史編集委員の解説が載っていました。
地方団体、正確には知事会の補助金削減案づくりの混乱振りを紹介した後、「全知事が、3兆円削減の優先順位をつけた案を示したらどうだろう」という提言です。そして、次のような指摘もあります。
「省益や権限保持の呪縛から逃れられない官僚たちが、補助金廃止の優先順位をつけるのは不可能だ。『史上初の霞が関パッシング(素通り)の予算編成』の幕が一部ながら開こうとしている意義を、知事たちは忘れてはなるまい」。
(7月23日)
【麻生大臣:中央集権、縦割り省庁では、優先順位はつけられない】
少し古くなりましたが、15日の全国知事会議での、麻生大臣の挨拶をもう少し詳しく紹介します。週刊「自治日報」7月23日号によります。そこには、知事のやり取りも載っています。
「本来、補助金削減は国が決めるべきだとの意見もあるが、時代は変わっている。・・補助金は、補助金を出している中央省庁の縦割り行政の中において、自分の地位、権力を維持するために必要な手段だ。それが必要か必要でないか、みなさんの方がよくご存じだから、・・決めるのはみなさんだというのが基本だと思う。」
「中央集権では、補助金が強力な武器であり、省庁縦割りでは、補助金廃止の優先順位をつけるのは難しい。その点で、知事会の力が問われている。ボールは総理の方から投げられている。地域主権、地方分権、地方自治などをすすめていく上で千載一遇のチャンスだ。ぜひ、取りまとめていただきたい。」(7月24日)
【小泉総理の発想:もっと出せ】
27日の閣議で、次のようなやり取りがあったそうです(28日付け朝日新聞など)。
金子大臣:地域再生のために補助金を統合簡素化して、自治体が使いやすくする。交付金にする。
麻生大臣:補助金統合は、補助金の温存に利用される懸念がある。
小泉総理:補助金廃止は、3兆円にとどまる必要はない。20兆円でもいい。中央官庁は、自らの権限を維持しようとして、地方への移譲を渋る動きも多い。それじゃあ、いけないんだ。自分の思想、考え方は、できるだけ仕事は地方にやってもらうということなんだ。
記者会見での細田官房長官の発言
総理は、「できるだけ仕事は地方にやってもらうんだ」ということを、強く発言しておられました。「20兆円でもいい」なんておっしゃっていましたけどね。まあ、それは勢いで言われたんでしょう。
心強いですね。総理は、「ぶれて」おられません。
ある人曰く、親父に「3万円分、買いたい本のリストを出せ」といわれた学生が、3万円分出しますか。私なら、親父に「本当はもっと買いたいんだけど、とりあえず」と言って、6万円分要求しますよ。(7月27日、28日)

三位一体改革14

日々の三位一体改革続き
【政治過程における対等関係】
13日の日本経済新聞「経済教室」は、新藤宗幸千葉大教授の「道州制、まず広域連合で」でした。そこでも触れられていますが、道州制や市町村合併は、分権の「受け皿論」と呼ばれています。三位一体改革は、私の位置づけでは「第2次分権」です。そして、この次に「第3次分権」として規制の分権があります。それと合わせて、受け皿論が出てくるでしょう。
また、先生の論文では、道州制の試みとして北海道が取り上げられています。「北海道の構想力いかんによって、自治体主導の地方制度改革に重要な一石となり、政治もまた構想の具体化を図らざるをえなくなる」
そうです、3兆円の廃止補助金を地方団体に選んでもらう「骨太の方針2004」と同じように、今や国と地方は政治過程においても、上下から対等の関係になったのです(これは、第1次分権改革の想定していなかったことでしょうが)。そうなると、地方団体は単なるスローガンや要望だけでなく、自らどのような責任を引き受けるか、覚悟が試されています。(7月14日)
【給与の半額と教育の質】
14日の読売新聞朝刊には、青山彰久記者の解説「国の義務教育費負担」が載っていました。見出しは「廃止の是非、知事会で議論へ 教育の質向上へ包括的改革を」でした。
なぜ今回、義務教育負担金が廃止議論の対象になるのかが述べられています。さらに、「既得権を守る論争、権限争いに終止してはならない」ことを指摘しています。
特に次の主張が、重要です。「そもそも、教職員給与の半額を国が持つだけで、義務教育の質が維持できる訳でもない」。そうです、教育の議論を、職員の給料(しかも金額論争ですらなく、国が負担金で出すかどうか)の議論に矮小化してはいけません。
そして、「まずこの国庫負担金を税源移譲の対象にすることだ。・・都道府県の権限は、極力市町村に下ろす包括的な方向へ議論を進める必要がある。」と主張しています。
これだけはっきりした主張は、わかりやすいです。新聞の解説には、往々にして「・・は問題である。・・も問題である。みんなでよく考えなければならない」といった、結論のわからない記事も多いです。それに比べ、何とわかりやすいのでしょう。しかも、全国知事会で議論をする前日にです。ありがとうございます。(7月15日)
全国知事会議
(議論はまだまだ必要)
15日には全国知事会議が開かれ、補助金削減案づくりの議論をしました。席上、麻生大臣は「地方分権の千載一遇のチャンス。知事会の気概が問われている」とハッパをかけました(産経新聞など)。
新聞各紙が報道しているように、知事さんの間では、いろんな意見があって、まだまとまっていません。私も、そう簡単にまとまる話ではないと思います。「岡本は、三位一体改革の旗を振っていながら、無責任な」との批判を受けそうですが。
これは、霞ヶ関の役人でもまとまらない問題、経済諮問会議でもまとまらない問題、政治家でもまとまらない問題なのです。そして地方団体も、これまで「補助金廃止」というスローガンは唱えていましたが、具体的な議論は去年始まったばかりです。
また知事会は、これまでそのような難しいことを決めた経験がありません。多数決で決める、といったことをしたことがないのです。
これから十分議論をして、何が国の責任なのか、どこまでを地方が引き受けるのかを明らかにしてほしいです。でも、「一人でも反対があるなら進めない」というようでは、改革は進みませんわなあ。
(政治過程の変貌)
2000年の第1次分権改革で、国と地方は「上下」の関係から「対等」の関係になりました。それは機関委任事務制度廃止でした。今回、「補助金削減案を地方がつくる=国の予算を地方団体に決めてもらう」ということになりました。国の政治過程に、地方団体が正式に参加することになったのです。
分権改革でも想定していなかった、国の意思決定過程において、「国と地方が対等に」なったのです。第1次分権改革は、事務の執行過程における制度的改革でした。それに対し、今回は意思決定過程での変化、というか意図せざる改革です。そういう意味でも、今回の三位一体改革は、意義深いものです。
学者も、官僚も、政治家も想定していなかった、「日本の政治構造の改革」が進んでいるのです。月刊「地方財務」8月末号に、こういう分析も載せる予定です。(7月16日)
今回の地方団体による廃止補助金案決定が日本の政治に持つ意味については、日本の政治3も参照してください。

池上先生の新著

池上岳彦立教大学教授が、「分権化と地方財政」(岩波書店)を出版されました。「シリーズ:現代経済の課題」の1冊としてです。そこでは「分権的福祉政府」を提唱し、税、交付税、地方債にわたる分析と改革案を述べておられます。三位一体改革への言及もあります。
地方財政は、今もっともホットな学問分野になっています。新聞記事だけでなく、次々と論文や書籍が出版されます。国庫補助金廃止と税源移譲は、理論的裏付けに基づきスタートしました。そして、現実に改革が進むと、新たな問題もでてきます。すると、また理論が展開します。このような学問と実行のキャッチボールで、三位一体改革が進むんだと思います。

三位一体改革13

日々の三位一体改革:続き
【足並みの乱れ】
今朝(7月7日)の日本経済新聞は、昨日の続きで「なるか地方発補助金改革:下」を載せていました。「自治体、足並み乱れる」という見出しで、「地方側は、知事と市町村長、そして市町村長同士で意見が違う」こと「都市と地方の意見も違う」ことを取り上げています。しかし、「地方案のとりまとめは、権限移譲を獲得する布石として千載一遇のチャンスのはず」と述べ、地方団体にハッパをかけています。
また、同紙の「経済教室」では、神野直彦東大教授が「東京問題は解消可能」という論文を寄稿しておられます。そこでは「三位一体改革は補助金廃止・税源移譲であるが、その目的は公共サービスの負担と供給を、国民に身近な空間で決定できる仕組みを作ること、国民が自分の生活と社会のあり方を決定できる権限を強めることである。」
「ところが、こうしたビジョンを明確にした改革は、既得権益を奪われまいとする勢力から激しい抵抗に遭う。」「改革を阻止するための常套手段は、常に分断工作である。三位一体改革の場合は、それが東京問題であり、東京とそれ以外の自治体との対立をあおり・・」です。ぜひ、本文をお読みください。(7月7日)
【全体像を示せ】
今朝(8日)の日本経済新聞の「経済教室」は、増田岩手県知事の論文でした。「分権国家の全体像を示せ」という表題です。私も、その趣旨には賛成です。しかし、霞ヶ関(国家官僚)も永田町(中央の政治家)もそれを示せないところに、問題と難しさがあるのだと思います。官僚は全体像を示すどころか、抵抗勢力になっているのですから。だからこそ、三位一体改革には、単なる税収の帰属の変更だけでなく、「この国のかたち」=政治構造改革の意味があるのです。
私の考えは、「走り走り考える」「考えながら走る」という方法です。現在の「三位一体改革」は、正にこれです。
14年:三位一体の方向を決めた。しかし、芽出ししかできず。
15年:そこで、3年という期限と4兆円という補助金削減目標額を決めた。これで、補助金削減1兆円は達成。しかし、一般財源化は少なく、また補助金選定に困難。
16年:そこで、一般財源化目標を決め、補助金は地方団体に選んでもらうこととした。
こうして、「堤防」を補強し、徐々に幅を狭めて、流れを作ってきたのです。というか、この方法しか、今の日本では進まないと思います。詳しくは、月刊「地方財務」8月号に書きました。(7月8日)
【国税と地方税の組み替え】
今朝の日本経済新聞「経済教室」は、持田信樹東大教授による「協調的分権を目指せ」でした。平等なサービスを目指す「行政的分権」や、自己責任と競争を目指す「競争的分権」ではなく、公平と効率を目指す「協調的分権」を提唱しておられます。
そして、国庫補助金の一般財源化のほか、交付税財源となっている消費税の地方消費税への組み替え、地方財政計画の見直しを主張しておられます。(7月9日)
【あれも問題、これも問題。ではどうするの】
今朝(11日)の朝日新聞には、「格差社会:下」として、「都市と地方」が取り上げられていました。読んで思ったことをいくつか書きます。
1 義務教育費国庫負担金を(廃止して税源移譲し)、人口割で配った場合の試算を載せていました。東京は800億円増え、北海道は200億円減るというものです。
→これって、何を主張したいのですかね?三位一体改革を止めろと言う主張でしょうか。
実は現在でも、義務教育負担金は、必要額の2分の1しか配られていません。残りの額は、地方税と交付税で賄っています。国の負担率を2分の1から10分の10にすれば、より格差はなくなります。「国庫負担は国の責任だ」と主張する人たちも、なぜかそれは主張しないのですが。記事は、そのような主張とも読めませんし。
2 「公共事業や地域振興に補助金と交付税をつぎ込んだが、それによって地方が甘え、配分のゆがみがひどい。地方が自立するよう三位一体改革を進めている。しかし、現実には新たな地域格差が生じている。景気回復の恩恵を受ける地域と取り残され疲弊する地域をどうするか」という主張について。
→こういう主張って、ありがたいような、そうでないような。景気回復の地域間格差を埋めることを、交付税に期待されても困るんですよね。これまでは、それを公共事業で埋めたんです。でも、それが地域の自立に逆行しているというのが、現在の共通認識でしょう。
全国で標準的行政サービスが実施できるように財政保障をすることは交付税の任務ですが、景気回復の差による地域間の「元気さの違い」を埋めることは、交付税には荷が重すぎます。シャッターの続く商店街を活性化することは、交付税には無理です。
→で、この記事はどうしろと、言いたいのでしょうか。「地域間に経済回復の差がある」という主張は、わかります。「公共事業、補助金、交付税による格差是正は地域の甘えを助長した」「義務教育負担金を人口割にしたら差が広がる」も理解できます。で、これらをつなぎあわせれば、どうしろと主張しているのでしょうか。「それは官僚が考えろ」ということでしょうか。
問題点の指摘は、マスコミの重要な使命です。でも「これも問題」「あれも問題」といっていると、結局、改革は進まないんですよね。全てを解決する「魔法のような解決案」はありません(かつては、お金で全て解決したんですが)。より問題の少ない改革案を組み合わせるしかないのです(ではな
いでしょうか、辻さん)。
私は、現在進めている三位一体改革は、この問題を次のように解こうとしていると考えています。
①国家が保障する行政サービス(安全・教育・福祉)の範囲を限定すること。この範囲の外は、地域で自由にしてもらう。地域振興などは、一定部分は財政保障しますが、それ以上は地域の自由に。もちろんその分は、地域での差が生じます。
②国家が保障する部分(財政保障)であっても、まずは地方税に税源移譲し、それで足らない分は使いやすい一般財源(地方交付税)で保障する。国庫補助金は資源配分のムダを生じるので、なるべく減らす。です。(7月11日)