(簡単な三位一体の経緯と金額)
「地方財政改革の経緯」の年表が、追加しているうちに大きくなって見にくくなりました。そこで、簡単にした「三位一体改革の経緯(簡略版)」を作りました。また、金額を簡単に整理した図表「三位一体改革金額イメージ」も作りました。「三位一体改革の目標と実績」や「地方案の実現度」とともにご利用下さい。ただし、数字は丸めてあったりして正確でないこと(見やすさを優先したこと)をご了解下さい。(10月8日)
(地方団体も自らに厳しく)
12日の読売新聞「論点」に、木村良樹和歌山県知事が「地方分権改革、自治体は質、効率競え」を書いておられました。「小泉政権の重要課題である三位一体改革が、ヤマ場を迎える。地方が政府に出した案に沿って改革が進むよう、郵政民営化と同様に首相の強い指導力を期待したい。同時に、政府に対して分権を主張する以上、我々にも自らを厳しく律して住民に信頼される地方政府になる責務がある。これに努力することが、分権改革の推進力になると思う」
12日の日経新聞夕刊は、「義務教育費国庫負担金。首相、削減を明言。文科相に検討を指示」を伝えていました。「首相は官邸で中山成彬文科省と会談し・・・『政府の方針を踏まえて検討してほしい』と述べ、税源移譲を念頭に検討するよう指示した」「首相は記者団に『8500億円を移譲すべきか』聞かれ、『そうですね。規定方針ですからね』と強調した」
(首相の責任)
また同紙は、「ニュースの理由」で、中西晴史編集委員が「三位一体数値目標達成に現実味」を解説しておられました。「昨年末の調整最終局面で小泉首相は『私の出番はないように』と”ドタ逃げ”した実績もある。選挙に圧勝し、郵政民営化法案成立のメドがついたことから、首相は年末の予算編成の焦点でもある三位一体改革に力を入れる」「来年度予算案で仮に目標数字を達成したとしても依然として補助金の大半は国に残る、2期改革への道筋を小泉政権の間につけられるかどうかも課題だ」
あわせて「地方の収支尻」を図表にしておられました。地方から見てプラスは、税源移譲予定の2.4兆円(予定3兆円)、マイナスは、補助金削減の3.6兆円(予定4.2兆円)と交付税等の削減2.9兆円です。(10月12日)
(審議会行政の終焉)
12日の中教審の特別部会答申案について、各紙が大きく報道していました。読売新聞は「中教審答申素案、首相と対決姿勢」。朝日新聞は「義務教育費せめぎ合い。地方自由裁量を。文科省格差を懸念」「首相の視線は未定の6000億円に」。毎日新聞は「三位一体改革。官邸、短期決着目指す」「最終攻防へ、族議員勢いなく」。日経新聞は「首相あくまで地方移管」「審議会行政曲がり角に」です。
各紙とも大きく伝えていますが、重点が異なります。読売新聞は、審議会と首相を対等に位置づけた記事でしょうか。日経新聞は、審議会行政が政治主導の前に終わろうとしていることを述べています。読売新聞は過去の日本政治の枠組みにたった記事、日経は日本の政治構造や政治過程が変わることを分析した記事、と私は思います。小泉政治を鋭く分析している読売新聞、政治主導を唱える読売新聞にしては、首尾一貫しない残念な記事ですね。
「・・・毎日新聞は地方側の削減案について数合わせの色彩が強いことは認めながらも、発展途上時代を引きずり、中央統制が今も強い日本の教育行政を変える転機になると再三指摘してきた。その点で、素案の内容には「結局、国の権限の低下を恐れているだけではないか」と失望せざるを得ない・・・。
昨年11月の時点で、この問題は決着をつけておくべきだったのだ。むしろ、中教審は政府・与党内の対立を回避するための道具にされた感がある・・・。
今回の審議が「カネ」の話に焦点が当たり、「義務教育はどうあるべきか」という本来のテーマがかすんでしまっているのも残念なことだった。
問題は今後だろう。中教審は文科相の諮問機関に過ぎない。三位一体改革の原点に立ち返り、内閣と地方側との協議の場で決するのは当然だ。そして「教育の地方分権」の趣旨を貫くため、いずれ小学校分も移譲を進めるべきだ。大事なのは原則である。対立する双方の顔を立て、国の負担率を切り下げてお茶を濁すという見方も依然ささやかれる。そんな妥協方式だけはとらない方がいい。」
また、12日夜には、「国と地方の協議の場」が久しぶりに開かれました。(10月13日)
(公共事業の税源移譲、理想と現実戦略)
「改革の狙いは使い道を縛る補助負担金を縮小し、地方の財政の自由度を高めることにある。補助負担金はその趣旨に沿うものから順に廃止すればいい。最悪なのは裁量の余地の少ないものを優先し、廃止ではなく、補助負担率引き下げで済ませることだ。配分作業は変わらないから、霞が関のスリム化にもならない。
実際には最悪のシナリオ通りに進んでいる。昨年11月の政府・与党合意で、地方側の提案にない国民健康保険負担金の負担率引き下げを加えてから本来の軌道を外れ始めた。」
「改革が狙い通りに進まないのは、税源移譲すれば最も地方の自由度が高まるとみられる公共事業や施設整備関係の補助負担金を対象から外したのが大きい。建設国債を原資としているから税源移譲の対象にできないという理由だが、公共事業などを聖域にしたら改革は成り立たない」
その通りです。公共事業や施設整備を、税源移譲の対象とすべきです。これらのいくつかは国債が財源ですが、道路整備については特定財源ですから、「国債が財源なので税源移譲できない」という主張は成り立たないはずです。関係者は明確にはしませんが。もちろん、国債が財源であっても、それは仮の財源(つなぎ)であって、その償還財源(最終財源)は国税ですから、これも税源移譲対象になります。
もう一つの指摘については、私は、結果として「数字あわせ」的な面があっても、仕方がないと思っています。もちろん、生活保護費の負担率を下げるなどはもってのほかで、許されることではありません。
なんだかんだと理屈をつけては改革を先送りしてきたのが、日本の近年の政治です。完璧な理想を求めることは良いことです。しかし、政治の世界で、それは無い物ねだりでしょう。多くの場合、「不完全だ」とか「今と変わらない」という主張は、守旧派の隠れ蓑です。「官僚とはできない理屈を考える動物である」は、確か曾野綾子さんの名言でした。
少々不完全であっても、まずは第一歩を進めること。これが今の日本の政治に必要なのです。もちろん、大幅に骨抜きになって、当初の目的を達しないのは論外ですが。
14日の読売新聞解説欄では、青山彰久記者が「ヤマ場の三位一体改革」を書いておられました。国と地方の協議の場が、日本の政治過程に持つ意味を取り上げています。
「瞬間的に設置が決まった協議の場だが、持っている意味は重い。内政の政策立案に地方が参加することには、今も政府部内や与党内で抵抗がある。特に補助金の存廃の判断は従来、予算査定した財務省の権限で、それを頭越しにする手法は異例だった。だが、政権が分権改革を掲げた以上、教育やまちづくりなど生活に密着した政策に、現場に責任がある地方が加わるのは必然的な流れといえる。むしろ地方は責任ある立場で国と対等に協議する必要がある」(10月14日)