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行政

論文紹介

「日本政治研究」第2巻第2号(2005年7月、木鐸社)に、木寺元君の「地方制度改革と専門家の参加」が載りました。近年の大きな地方制度改革(市町村合併と地方財政改革)がなぜ進んだか、その際に専門家の参加が重要だったことを分析した論文です。
政治家や自治官僚にとって利益にならない改革が進んだ要素として、「アイデアの力」と、それが専門家を通じて実現したということです。専門家の参加として、地方分権推進委員会と経済財政諮問会議を挙げています(地方分権推進改革会議は別)。
一時進まなかった市町村合併が、近年動き出した要因(アイデア)として、次のようなことを指摘しています。すなわち、シャウプ勧告の「市町村優先の原則」が、その後、国・県・市町村の「機能分担論」に置き替えられ、市町村が決められた事務の実施に「閉じこめられたこと」。それが、「補完性の原理」によって、市町村優先主義・市町村を総合行政主体とする方向に転換したこと。この分析は興味深いです。
地方財政改革(主に地方交付税改革)については、経済財政諮問会議の民間委員の役割が指摘されています。これら専門家の参加は、従来の審議会への参加を越えた働きをしているというのが、論文の主旨です。またそれは、これらの政策が不人気な政策であって、政治家はできるだけ決定を行わない「避難回避の政治」だからという指摘もあります。なるほどと思う指摘です。地方制度改革だけでなく、そのほかの政策についてもこの観点から、なぜ進まないか・進んでいるかを分析してほしいです。
「日本には地方自治に関心を持つ関係者が多数いて、その関係は政策共同体と呼ぶにふさわしい。この問題に関する数多くの月刊誌や書物がこの共同体の存在を物語っている」ことも紹介しています。そうなんです。行革や公務員改革などを議論するときに、このような政策共同体や媒体がないんです。
私の論文も、多く引用していただきました。木寺君は、私が東大大学院に教えに行っていた時の、塾頭の一人です。お礼を含めて、紹介しておきます(2005年9月11日)

13日の読売新聞は、見開きで日本地図を載せ、各県別の郵便局密度と今回の投票結果を分析していました。面積当たり郵便局の多い都市部の県では、自民党が得票を伸ばし民主党は減らしました。一方密度の低い地方部では、自民党も民主党も得票率を減らしています。
面積密度で比べるのが良いのか、人口当たり密度で比べるのが良いのか。また、無所属の候補者(郵政反対派)をどう数えるのか、といった問題はありますが、良い企画だと思います。引き続き、今回の選挙結果の分析を期待しましょう。単に、有識者の座談会で終わらせずに。(9月14日)

日本経済団体連合会は、9月20日に「平成18年度税制改正に関する提言」を発表しました。今回も、第一に税財政の抜本改革を主張する中で、2007年度を目途に消費税を10%に引き上げ、その後も段階的に引き上げることを提言しています。何度か書きましたが、日本で最大の納税者集団(?)が増税を訴え、政府はまだだと言う、不思議な構図です。

政と官2

6日の読売新聞「論談」で、飯尾潤政策研究大学院教授が、郵政法案の衆議院通過について、「自民内手続き見直しの時」を書いておられました。
「選挙公約の重視については、たとえ政権公約における表現が曖昧なものでったとしても、民主政治という点では大きな進歩であった」
「国会提出後の修正については、国会審議をふまえる意味でも、意味のあることである」「しかし法案提出時まで、自民党内の根本的な対立が解消できなかったのは、問題だった。小泉首相が郵政民営化を掲げて総裁になってから久しい。本来なら毎年開かれる党大会で、この問題が徹底的に論議され、大きな方向性について結論を得ておくべきであった。総選挙の政権公約も、それをふまえるべきであった」
「このように、自民党内手続きの変化は、過渡期の混乱の域を出ない」(7月7日)
(政治主導)
読売新聞政治部「自民党を壊した男-小泉政権1500日の真実」(2005年6月、新潮社)は、新聞に連載された「政治の現場」をまとめたものです。近年の政治の変化を取り上げていますが、私の問題関心である「政治主導」という点からは、「第4章新政策決定」の中の「経済財政諮問会議」「三位一体改革」、「エピローグ」の「知事会」が参考になります。(7月31日)
(官僚の政治任用)
29日の毎日新聞「闘論」で、官僚の政治任用について、松井孝治参議院議員と舛添要一参議院議員が主張を述べておられました。私は、お二人とは少し違った考えを持っています。いずれ詳しく述べたいと思います。その準備は、一橋大学の講義などで進めているのですが。(8月29日)
16日の読売新聞「論点」には、増田寛也岩手県知事が「小泉改革の行方、分権国家へ官僚主導打破」を書いておられました。
「郵政にとどまらず社会保障、財政再建、外交、国と地方のあり方を問う分権改革など、課題は目白押しだ。今回の国民の選択には、これらの改革の推進に向けた期待も込められていたはずである。」
「そこで注文がある。各省が好き勝手に振る舞ったり、もっぱら省益を追求したりしてバラバラに動く内閣運営は直ちにやめてほしいということである」「日本の内閣制度はこれまで、各省の事務は担当大臣が分担管理するという『分担管理の原則』の名の下に、首相の行政権の行使は実質的に制限され、各省主導型、省庁縦割り型になっていた。霞が関の官僚組織は、それぞれ業界団体や族議員と一体化した。これがすべての改革推進のネックとなってきた」
「『三位一体改革』では、昨年末の取りまとめの場面で、首相の指示などお構いなしに、各省と族議員が一緒に権益確保に走るドタバタ劇が繰り広げられた・・・」 続きは本文をお読み下さい。(9月16日)
日経新聞は22日から「官を開く 第1部それでも変わらない」の連載を始めました。第1回は「公益=官への固執」「民と分担、欧米に遅れ」でした。イギリスの会社にとって日本は「閉じた官僚王国」と映る。
「公立病院なども一括委託でなはなく、給食だけ、医療機器の整備ならと小出しにするだけで事業全体を考えていない」「『日本人は公と官を混同している』とオリックス会長の宮内義彦は語る」
財務省所管の独立行政法人が「生態系の回復を調査する事業は、民間にはノウハウがない」=よって官が行うと主張していることが紹介されています。市場化テストを、現在それで飯を食っている当事者に聞いても、反対の声が返ってくるのは当たり前ですわな。「私の仕事は不要です」という勇気ある人はいないでしょう。(9月22日)
22日の日経新聞「経済教室」では、佐々木毅学習院大学教授が「新政権に求める」「公約実現への体制整備急げ、官僚への丸投げを回避』を書いておられました。
「与党の体制整備と並行して、政権公約の実施主体である内閣もこれと共通の基盤の上に組織されなければならない。内閣を基点にして政権公約の具体的な内容を行政にも浸透させること、政権公約の解釈権を内閣がはっきりと掌握し、その実施を執拗に促すこと、これが必要な条件である」「どんなに議席数が多くても、公約実現に向けた体制が整備されなければ、その数の威力はほとんど意味を持たないと考えるべきであろう」

政治任用

私のもう一つの関心は、日本の行政と官僚制の機能不全です。長く官僚制の行き詰まりが指摘され、公務員制度改革が主張されています。今年は公務員総人件費削減が課題になっています。しかし、この3つの議論がかみ合っていないことはすでに指摘しました(問題は数より仕組み)
①部門間の「配転」がない=問題は数の削減でなく、社会の変化に定数見直しが追いついていないこと。現在のような一律削減ではむり。
②官僚のアウトカムの問題=公務員制度改革も必要だが、問題は官僚制の仕組み。部分部分に特化し、全体像を作れない。
③改革の仕組みがないことです。
私も大学院で講義したり、雑誌で主張したりしているのですが、まだ議論をまとめる=本にするに至ってません(時間がなくて・・。言い訳です)。
人事院の年次報告書が2年続けて、先進国の政治任用職の調査をしています。15年度版はアメリカ・イギリス・フランス・ドイツを紹介し、16年度版では大学教授による論文を載せています。官僚制を機能させる=改革を支える事務方にするためには、「政治家」「政治任用職」「官僚」をどう役割分担させるかが論点の一つです。各国とも、歴史・議会と政府の関係・政治家の役割・民間人との交流といった政治社会背景が異なり、これだといった正解があるわけではありません。簡単には、15年度版の概念図を見てください。
「政治任用職」という言葉は、誤解を招きそうです。政治家が任命される場合、民間人などが任命される場合、官僚が任命される場合を含め議論すべきだからです。日本の課題は、政治家が閣内に入って改革を進めようとしても部下がいないこと、現在の官僚制がセクショナリズムと既得権益にしがみついていることですから、それに対応する仕組みを作るべきなのです。私は、フランス型かドイツ型が、これからの日本に参考になると思っています。(2005年9月19日)
31日の読売新聞「決戦05衆院選」は、「霞が関の官僚」をテーマに、宮脇淳さんと加藤秀樹さんのインタビューを載せていました。加藤さんの主張に次のようなくだりがあります。「日本の公務員はおしなべて優秀な人が多いが、専門家として通用する人材となると、国際的に見ても少ない。本当に経済分析や法律の専門家と言える人は官庁にどれほどいるだろうか」
青山彰久記者は「給与や定員の削減規模の数字を合わせるだけでは、省益が優先して様々な改革が進まない問題が解決するはずもない。・・・総人件費の削減という主張だけで有権者をはぐらかさず、『官僚とは何か』を問い、公務員制度改革の具体的な中身を論争する必要がある」と述べています。 (2005年8月31日)
5日の日経新聞は、「マニフェストを中心にした経済官僚100人アンケート」結果を載せていました。
詳しくは紙面を見ていただくとして、特徴的なのは、世代間で違いがあることです。まあ当然といえば当然ですが。霞ヶ関の人事慣行について、63%の人が見直し不可避と考えています。良いとは思わないがやむを得ないと考えているのが、30%です。また、省庁幹部の政治任用については、進めるべき21%、進めるべきでないが44%でした。
そうか、僕も「経済官僚」なのか。でも、質問項目が、やや雑じゃないですかね。図表が記事本文の記述と対照になっていないことも、読みにくいですよ、O記者。(9月5日)
7日の朝日新聞は1面で「9.11総選挙、争点を追う」で、内田晃記者が「霞が関改革、人数先行。分権の道、各党示さず」を書いていました。「(国家公務員の)純減目標は、公務員の定員を管理する総務省などが難色を示し、議論は先送りになった。・・『量』の改革は、言うほど簡単ではない。さらに『小さな政府』を目指すなら、国の権限をどう減らすかという『質』の改革が避けられない。その試金石となるのが、国から地方へ権限や財源を移す地方分権改革だ・・」。
この指摘の通りです。もはや、シーリング方式での国家公務員削減は無理があります。既存定数を所与として、各省ほぼ一律の削減をする、それを原資に必要なところを増やすといった方式は、現在のような転換期には不十分なのです。
公務員削減は、一律でなく内田記者の言う「質的改革」をしなければ、有意義な結果は出ないでしょう。その一つがもはや国の重点施策でなくなった公共事業の所管組織の削減、もう一つは地方分権による権限と補助金削減に伴う公務員削減、規制緩和による権限削減に伴う公務員削減です。もっとも、このような改革は、現在の日本の官僚制が実行する(官僚同士が協議して決める)ことは無理なのでしょう。政治主導が必要とされるのです。
もちろん、公務員改革には、このような人数の削減だけでなく、私が主張しているような「仕組みの改革」(国家官僚群創設)が必要です。(9月7日)

行政の責任、不作為・先送り

アスベスト被害と行政による対策の遅れが、問題になっています。26日には関係閣僚会議で、過去の各省の対策について、検証結果をまとめました。27日付の朝日新聞「時々刻々」は、その検証結果を検証しています。
「あわせて7省庁から出された検証内容の中で、環境省の報告書には『反省の弁』らしきものが目立った。それは、自分たちは規制しようと思ったのに横やりが入ったー。こんな他省庁への当てつけと裏腹でもある・・・旧通産省の幹部から『・・・産業保護の観点からも問題がある』と反対された。旧労働省からも『工場内は当省で規制しているから外へは出てないはず・・・』と、やんわりと牽制された。・・・こうした霞が関の縦割り行政のひずみは、報告書に明記されていない」
「もっとも環境省も、77年から旧環境庁で大気中の石綿の濃度を調査していながら、89年まで大気汚染防止法による規制を行わなかった対応については、正当化に終始する」
「報告書では、『省庁間の連携の不十分さ』の具体例として、90年に旧環境庁が中心となって開かれた関係省庁連絡会議が、3年後に2回目を開いたきり有名無実化していたことも明らかになったが、この評価をめぐっても省庁間の見解は異なる、厚生労働省は・・・継続しなかった理由は『環境省が主催なのでわからない』。これに対し環境省は『昔の話を持ち出して、こちらの動きが鈍いという話にしている』と反発。責任の押し付け合いを露呈した格好だ」
まだ十分な検証がなされていないので、はっきりしたことは言えませんが、ここからかいま見られるのは、「官僚の不作為」と「縦割り行政による無責任体制」です。私は官僚制の欠点の一つが、不作為だと思います。「××をやった」「こんな実績を上げた」ということは書かれますが、必要なことを怠った、先送りしたという検証はあまりされません。
この記事は、省庁からの発表をそのまま記事にするのでなく、書かれていないことを検証した良い記事だと思います。

輸入商社としての東大と官僚

22日の朝日新聞「戦後60年」は、東大でした。「小宮山宏学長は『世界一の総合大学を目指す』と宣言した」「日本はすでに30年前には先進国になっていたのだから、東大も世界の先頭を目指すべきだった。しかし明治以降、あらゆるものを外国から輸入してきたから、その発想がなかった」
「南原先生の時代は、欧米のものを持ってきて大衆に配るのがエリートの役割でした。今の日本は、高齢化、少子化、環境問題など、世界でも未知の問題が集中する『課題先進国』。モデルを追いかける時代から、自分でモデルを作らなければいけない時代になった。そして私たちが作るモデルが世界標準になる。知識の輸入ではなく、先頭に立つ勇気が必要だ」
かつて天下国家を考えていた東大生が、今は自分のことしか考えなくなっているという指摘があることに対しては、 「日本は国家や企業のために頑張ることを通じて個人を作ってきた社会だった。これからは個人が自分のために頑張る中からリーダーが生まれ、結果的に社会に貢献する」
その東大とセットになっていたのが、霞が関の官僚でした。欧米から先進行政を輸入し、日本中に行き渡らせました。各省は「総輸入代理店」であり、官僚は地域で生じる問題を拾い上げ解決する訓練を受けず・そのような思考はありませんでした(拙著「新地方自治入門」p57,p287)。