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行政

省庁再々編

最近、省庁再編の議論が出ています。前回の再編経験者として、意見を求められることがあります。何度かこのHPでも書きましたが、ここで私の考えを整理しておきます。私は、もう一度再編をするなら、哲学が必要だと思っています。
(局の再編はカルタ取り)
今議論になっているような、担当業務・局を課題に従って再編することは、必要なことです。どんどんやればいいと思います。企業や地方団体は、しょっちゅうやっています。しかし、それはいわば並び替え、「カルタ取り」です。100ある局を、どう13省に組み替えるかでしかありません。前にも言ったように、家の間取りの変更です(「省庁改革の現場から」p192)。これは、省庁再編の軸とすると、第3番目です。
ただし、前回の再編は小さな政府を目指し、省庁の数を半減させました。今度新しい組織を作るとするなら、14番目の省=純増にするのかです。増やせばいい、となれば簡単ですが。小さな政府を目指すなら、この総数は守るべきでしょう。すると、新しい省をつくったら、代わりにどこかを減らさなければなりません。再編を提言する方には、「それは純増ですか」「省の総数を増やさないとしたら、どこを減らすのですか」と質問してください。
このような組み替えは、官僚に任せると現状維持か焼け太りになるので(自分の省が小さくなる案には反対します)、有識者の意見を聞いて、政治家が責任を持って、決断するしかないと思います。
(政治主導への対応)
では、第2番目は何でしょうか。それは、政治主導の強化に対応した組織改革だと思います。簡単には、内閣官房・内閣府のあり方検討でしょう。官邸を支える内閣官房・内閣府、そしてその機能を期待されながら効果が見えない総務省を含め、官邸を支える官僚機構をどうするかです。
内閣官房・内閣府には、この6年間、それなりに機能を発揮してきました。そのために、いろんな組織ができています。再チャレンジもそうですが。これからも、時代と社会の変化に対応するため、このような組織は次々と生まれるでしょう。しかし、それらをいくつもぶら下げたままでは、内閣官房・内閣府は、お化けのような組織になる恐れがあります。これらを順次、各府省に移植する必要があります。それが省庁再編につながるなら、それは意味があります。また、13省庁からの出向者で、臨時的な組織を生み続けるのか。これも課題です。新しい課題に対し、内閣として取り組む場合の、官僚機構・システムの問題です。
(霞ヶ関のあり方)
そして、第1番の軸は、霞ヶ関=省庁の仕事のあり方だと、私は考えています。何度か書いたように、この100年間、日本の行政は業界振興を仕事としてきました。それは、産業界・建設業・農林水産業だけでなく、教育業界なども含めてです。これからは業界振興でなく、そのルールを作ることと、消費者である国民の保護が、行政の主たる仕事だと考えています。また、民間にできることは民間に任せ、地方にできることは地方に任せればいいのです。発展途上国の行政から脱皮すること、これがたぶん、次の省庁再編の軸の一つになるのでしょう。また、それくらいでないと、省庁改革とは言えないと思います。私のいう哲学とは、このような意味です。

日本の官僚は内弁慶

21日の朝日新聞「水平線/地平線」に、吉岡桂子さんが「国際機関の長、ねらえる人材磨け」を書いておられました。国連など国際機関の職員に日本人が少ないことは、よく知られています。その事務局長にも、日本人は少ないのだそうです。それらのポストは、年齢では50代後半で、政治家や事務次官・局長を務めた人がほとんどだそうです。そして、そのポストを取るためには、会議に何度も顔を出して、人物を知ってもらう必要があるとのことです。そのようなポストを取るとしたら、若いときから送り込むことが必要なのでしょう。
ここで私が言いたいのは、日本の官僚は内弁慶だということです。国際機関、国際社会で活躍しようとする人は、少ないのです。それは、官僚の出世コースになっていないのでしょう。「官僚は黒子」といえばそれまでですが、こんなところでも「輸出」が少ないのは、発展途上国なのですかね。
国際機関だけでなく、国内でも「対外試合」をしない。これは日本の官僚の悪いところです。身内だけで議論して、ムラ社会で威張っている。もちろん、日本の中でしか議論をしていない私も、その一人です。他人を批判する資格はありません

審議会

2001年の省庁改革の際に、審議会の整理を担当しました。
その考え方は、「中央省庁改革における審議会の整理」月刊『自治研究』(良書普及会)2001年2月号、7月号に、まとめてあります。
その時は、なかなか大変な作業だったのです。萩原靖企画官(現日立製作所)、福井仁史企画官(現福岡大学教授)が、中心に進めてくれました。
ポイントは、官僚の隠れ蓑といわれる審議会を、廃止縮小することです。ところが、審議会の中には、2種類のものがあるのです。一つは、政策提言をするもので、もう一つは、審判機能のものです。
前者が、官僚が政策を立案する場合に、有識者の意見を聞きましたといって、隠れ蓑に該当するものです。責任の所在が、不明確になるのです。後者は、恩給の裁定に不満がある人を審査するとか、航空機事故の調査をするとか、専門家に調査をしてもらうものです。前者は政策立案過程であって、後者は法令実行過程です。後者は、問題ありません。
その時は二つを分けて、前者を整理しました。が、今となっては、反省もあります。もっと法令上、明確にしておくべきでした。簡単に言うと、名称を分けておけばよかったのです。前者は「審議会」で、後者は「審査会」とか。名は体を表す。そうしておけば、二つの違いが、もっとみんなにわかってもらえたでしょうに。次回への宿題です。

省庁再編6周年

1月6日は、2001年に省庁改革が行われた日です。もう、6年も経つのですね。その後、比較的順調に運営されていると、私は思います。日本の官僚は優秀ですから、器さえ与えられれば、それをうまく運用します(もっとも、それが本来の組織目的を十全に発揮しているかは、別の場合もあります)。もちろん、改善すべき点もあります。時代が変われば、行政のありようも変わります。また、運用してみて不都合な点は修正し、よりよいものが分かったら、それを取り入れればいいのです。当時の言葉を借りれば、省庁の組み合わせは家の間取りのようなものです。絶対なものでなく、必要があれば変えればいいのです。
ただし、私は、今度の再々編には、別の哲学がいると思います。前回は、省庁の数を減らす、官邸機能を強化するが哲学でした。1府12省庁の組み合わせを変更することも良いことですが、それは省庁再編とは言えないでしょう。
部局を再編することは、民間企業だけでなく県や市町村では、しょっちゅうやっています。国でも、食糧庁を廃止し内閣府に食品安全委員会が作られました。また、新しい課題に取り組むため、内閣官房にいくつもの組織が作られています。これらを含め各省の組織を、分離併合することも必要でしょう。しかしそれでは、再編とは言えないと思います。それ以上の哲学がいると思うのです。新車でいうと、マイナー・チェンジでなく、フルモデル・チェンジです。
例えば、産業・業界振興から国民・消費者保護へ、裁量的育成・事前調整からルールづくり・事後監視へと、行政の任務は大きく変わっています。そのような軸から省庁を作りかえるといったことが、必要だと思うのです。