消防大学校では、今日は、警防科(60人)の入校式がありました。明後日は、幹部科の入校式があります。ところで、国家公務員の目標による評価が、10月から本格的に始まりました。内容は、二本柱からなっています。
一つは、能力評価で、あらかじめ定められた項目ごとに評価されます。これは1年後の9月30日までが対象期間ですから、評価は来年です。もう一つは、業績評価で、各人が目標を申告し、その結果を評価します。最初の対象期間は3月31日までの、半年です。すなわち今回、この業績評価のための目標を、申告するのです。私も、申告しました。
この問題については、連載「行政構造改革」第2章四で官僚制の問題を取り上げ、その2(3)で公務員の評価を論じました。目標による評価には、このような個々の公務員の評価とともに、各組織についての業績評価も課題です。
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行政
日本の政権交代・社会勢力の争いではなかった
フランスの社会学者エマニュエル・トッドさんの発言(2009年10月21日、日経新聞夕刊)。
・・日本の政権交代に驚いたのは、近年のヨーロッパの動きとは、まったく異なるからだ・・しかも予想外だったのは、私が知る限り、年齢や社会階層による支持政党や投票行動に、大差がなかったことだ。フランスなら若者や労働者は、左派を支持する傾向が明確にある。してみると、日本は一つの「全会一致」から別の「全会一致」に変わっただけで、ある勢力の勝利によって過去を完全に断ち切ったのではない、と言えそうだ・・
再チャレンジ室記念日
今日は、再チャレンジ室の同窓会。2006年10月に発足したので、毎年この時期に、同窓会をしています。組織は2008年9月まで存続しましたが、実質的な活動は1年間でした。各省から、内閣官房に集められた「混成部隊」でした。苦労はあったのですが、内容の濃い仕事ができました。
時の政権の看板政策だったので、政権の交代とともに、縮小されました。しかし、再チャレンジしやすい社会をつくることの重要性は、変わっていないと思います。提言した若者総合支援に関しては、今年の春に「子ども・若者育成支援推進法」が、成立しました。実現してくださった関係者の方々に、感謝します。このように、今後も、政府と地方自治体の政策は、充実されると思います。
今日は、16人のメンバーのうち、東京にいない人を除き、14人が参加。それぞれ、新しい職場で、活躍しています。うれしいことです。
衆参の逆転
13日の東京新聞「時代を読む」は、佐々木毅先生の「再議決を封印するなかれ」でした。
・・参院における与野党逆転のため、基本的に法案は何も通らない、動きのとれない国会だ、というイメージがむやみに流布している。政治は停滞し、国民不在の政党間のやりとりしか展望できないかのような話ばかりである。これは誠に奇妙な事態であり、あえて言えば、一種の世論操作の匂いすらする。これでは、日本の政党政治に半ば死亡宣告をしているようなものである。
確かに新しい事態が生じたことは事実であるが・・新しい事態に対する戸惑いと興奮は理解できるにしても、「悪乗り」は究極的には政党政治の首を絞めることになろう。
「悪乗り」というのは、憲法はこうした事態に対する対策を定めているからである・・
改革を支える思想、他律的改革・自律的改革
11日の日経新聞経済教室は、西出順郎准教授の「国立大学改革の方向、企業家精神で経営力強化。独自の思想を原動力に」でした。
・・国立大学、特に規模が小さい地方大学は、教育研究活動や管理運営改革に全力を注いでいる。だが実際は、もっぱら付け焼き刃的で表層的な作業に追われていることはないだろうか。
この受け身的な改革姿勢はなぜ生じるのか。・・その根源的な理由はより内面的、精神的な部分に依拠しているように思われる。すなわち、「改革思想の脆弱性」である。ではなぜ、国立大学改革の思想的高まりがなおざりになったのか。想起される理由は三つある。
第一の理由は、法人化にいたる国立大学改革が新保守主義的思想を背景にした中央政府の行財政改革に主導され、独自の改革思想を形成できなかったことだ。・・国立大学は、政府の論理に押し切られ、自らの存在意義を主張する改革思想が構築できなかったのではないだろうか。したがって、法人化という国立大学改革は、他律的思想のもとでの改革に終始し、政府行革の「改革客体」から脱却することなく、国立大学が「改革主体」を演じることはなかったのである。
第二に、新保守主義的思想という議論の土俵においても法人化論議を主導せず、結果的に独自の改革思想の芽をつみ取ってしまったことだ。・・高等教育という公共財が政府の守備範囲としてどう再定義され、私立・地方自治体立大学との補完性においてどう位置づけられるのか、国立大学が率先して論陣を張ることは希有であった。
第三は、法人化後の新たな国立大学改革が要請される中、他律的な改革思想が逓減する一方で、その代替思想が顕在化しなかったことだ・・
このほか、公務員制度改革なども、この批判が当てはまるようです。