カテゴリー別アーカイブ: 経済

経済

円高になっても、企業の業績は落ちない

10月3日の日経新聞に、「通説を疑え」「「円高だと減益」本当? 11年で減益3回のみ」が載っていました。

・・・輸出で稼ぐ企業が多い日本。「為替が円高だと業績は減益になる」とのイメージは根強い。確かに個々の企業や事業は影響を受けるが、日本企業全体でも本当にそうなのか。
1998~2017年度の過去20年のうち、為替の年度平均が前年度に比べて円高・ドル安に振れたのは11年あった。この期間の上場企業の業績を調べてみると、意外にも「最終減益」となったのは1999、2008、11年度の3年のみにとどまった。様々な企業努力で円高のマイナス要因を吸収している姿が浮かび上がる・・・

・・・背景にあるのは、第1に海外への生産移転や原材料の現地調達だ。日本の自動車メーカーの米国での生産台数は17年で約380万台と30年前の10倍に増え、海外移転が進んでいる。
第2に、決済の工夫など為替対策の進展だ。ソニーは輸出で得た外貨収入と、輸入で生じる外貨の支払いを同じ通貨で相殺する「マリー(marry)」と呼ぶ手法を2000年以降、本格化。グループ内の為替・資金管理を一元化する会社をロンドンに設立した。
第3に、通信や建設など、為替の変動に左右されにくい非製造業が成長していることも影響していそうだ。非製造業の経常利益(金融含む)は19年3月期は26兆円の見通しで、製造業(24兆円)より多い。09年3月期以降は製造業を上回る状態が続く・・・

なるほど。「日本の経済は輸出依存」は、誤解ですね。個別企業に聞くと、業績の悪い企業は円高を理由に「困った」と主張するでしょうが、業績の良い企業は「黙っている」でしょう。原文をお読みください。

神野直彦先生の財政学

神野先生の続きです。『経済学は悲しみを分かち合うために』から、財政学についてポイントとなる文章を引用します。

P159
この拙稿で私は、二つの新しい試みをした。一つは、財政現象を経済システム、政治システム、それに社会システムという社会全体を構成する三つのサブ・システムの結節点として位置づける「財政社会学(fiscal sociology)的アプローチ」という方法論を提起したことである。もう一つは、こうした方法論から日本型税・財政システムを、集権的分散システムとして規定し、それが戦時期に形成されたことを解き明かしたことである。集権的分散システムとは、決定は中央政府が担い、執行を地方自治体が担うという特色を意味している。

P132
私がコルム(アメリカの財政学者)から学んだ最も重要な財政学への視座は、コルムの「財政学は伝統的に定義されているように経済学という広範な分野の単なる一部門ではない」という言葉に象徴されている。つまり、コルムは財政学を経済学・政治学・社会学・経営学・会計学などの社会科学の「境界線的性格(borderline character)」をもつ学問と位置づけていたのである。

P164
現在の新古典派にもとづく財政学あるいは公共経済学という財政学のメイン・ストリームは、財政現象を政治現象や社会現象と切り離して、ジグソー・パズルの小片のみを分析対象としているにすぎない。しかし、前述したコルムは、「財政学は官房学と古典経済学の奇妙な婚姻の産物である」と指摘している。
・・・ところが、古典派経済学は財政という現象を、市場経済という自然的秩序としての経済システムに対する攪乱要因として分析していた。もちろん、それは古典派経済学が市場経済を自然的秩序として信仰していたからである。そのため古典派経済学は、財政を分析するにしても、市場経済に与える財政の影響に対象が絞られていた。コルムの言葉で表現すれば、このようにして古典派経済学では「財政学という特殊科学の発展を抑えてしまった」のである。

P167
新経済学派の二元的組織論は、ワグナーの組織論を継承しつつ、総体としての経済組織が、公共経済と市場経済という二つの異質な原理にもとづく、経済組織から構成されていると理解する考え方である。しかし、こうした二元的経済組織論では、異質な組織化原理にもとづく経済組織の交錯現象として、総体としての「社会」を把握しようとする意図は存在するものの、非経済的要因を経済システムの動きに還元しようとする分析意図に帰結する。
新経済学派の二元的組織論では、共同経済はもっぱら権力体の経済である国家経済と位置づけられ、非共同経済は「資本主義的市場経済」と想定される。つまり、ワグナーによって自主共同経済や慈善的経済組織として位置づけられていたボランタリー・セクターやインフォーマル・セクターという社会システムの存在は、意識されないのである。
これに対して私が財政社会学に着目したのは、財政社会学では財政を、経済・政治・社会の各要素を統合する「社会全体」としての機能的相関関係(Funktionalzusammenhang)において理解しようとしていると考えたからである。しかも、財政社会学ではサブ・システムとしての狭義の社会システムについても、その意義を見失うことがないのである。

原真人記者、リーマンショックを考える

7月21日の朝日新聞読書欄に、原真人・編集委員が「リーマンショックから10年 人類史レベルで変化を考える」を書いておられます。

・・・世界経済を震撼させたリーマン・ショックから今年で10年。「百年に1度」と言われたあの危機は多くの教訓を残した。だが、のどもと過ぎれば熱さ忘れるの例えどおり、住宅バブルの崩壊で痛い目にあった反省はどこへやら。いま私たちが目の当たりにしている世界経済はリーマン直前をもしのぐ資産バブルのふくらみようである。
率直に言って、近い将来、世界規模でのバブル崩壊が再び起きる可能性は小さくない。10年前の教訓をいま改めてかみしめておく価値は十分ある・・・

として、リーマンショックを考える図書を紹介しておられます。それも、単に羅列するのではなく、それら図書の持つ意味も解説してあります。例えば、関係者の回顧録は貴重ですが、自分の行動を正当化しがちです。
近過去の歴史を勉強することは、難しいです。教科書にはまだ載っておらず、定番の解説書がどれなのか。一般人には、わかりません。このような読書欄での紹介は、役に立ちます。

そして、最後に次のように締めくくっておられます。
・・・リーマン後の経済状況を短期でなく、もっと長い時間軸でとらえ直そうという本の出版が増えているのも最近の傾向だ。
『世界経済 大いなる収斂』は、ICT(情報通信技術)革命でアイデアの移動コストが極端に下がり、世界の富と知識の分布が急激に変わる姿を描く。
経済成長やグローバル化を当たり前のものでなく相対化してとらえ、人類史レベルで世界経済の変化を考える。そんな機運が生まれたのも、一種のリーマン効果と言えるかもしれない・・・

私たちの持ち物のほとんどは、月に1回も使わない

5月25日の日経新聞オピニオン欄、村山恵一さんの「シェア経済、小国が抱く大志」から。

・・・20世紀に社会にたまった非効率や固定観念を取り払う突破口にシェアはなり得る。久しぶりに訪ねた国でそう感じた。オランダだ。運河が目を引く首都アムステルダムを中心にシェアの試みが進む。
マイホイールズは25年の歴史を持つカーシェア会社だ。創業者はヘンリー・メンティンク氏、65歳。1980年代末、生産に膨大なエネルギーを使うという米国車の記事を読んだのが転機となった
放置せず、自分にできることから始めようと、車1台を隣人と3人でシェアした。輪は拡大し、いま5万人が3千台を使う。大半がシェアを申し出た個人の愛車だ。
大量生産・消費の象徴である自動車に挑んだシェア界のレジェンドに続けと若い起業家も動く。
ピアバイは工具やパーティー用品などを近所で貸し借りするサービスを担う。最高経営責任者のダーン・ベッドポール氏は火事で家を失い、友人らの助けでしのいだ経験を持つ。「私たちの所有物は月1回以下しか使わないものが80%」と所有という常識を疑う・・・

・・・オランダと「分かち合い」の風土は切り離せない。経済が沈み失業率が高まっていた82年、政労使の「ワッセナー合意」でワークシェアに踏み切り危機を乗り越えた。水害に直面しながら協議・協力して干拓地(ポルダー)をつくってきた国民の伝統が背景にある・・・

小峰隆夫教授「なぜ経済出動は繰り返されるのか」

4月28日の日経新聞「経済論壇から」で、小峰 隆夫・大正大学教授の「なぜ財政出動は繰 り返されるのか」(週刊東洋経済4月28日号)が紹介されていました。詳しくは原文をお読みください。

・・・私が長い間抱き続けている疑問の一つは、日本ではなぜこれほど経済対策 (景気対策)と称する財政出動が繰り返されるのかということだ。
ざっと計算したところ、1990年以降、昨年までの経済対策の事業規模合計は優に 400兆円を超える。これには金融措置など水増し的な部分も含まれており、すべ て政府の歳出増加になったわけではないが、「それだけのおカネを使えばもっといろいろなことができたのではないか」「これがなければ現在の財政赤字はそうとう減っていたはずだ」と考えてしまう。政府はかなり巨額の機会費用を払って経済対策を繰り返してきたといえる。
先進諸国の中で、これほど頻繁に、かつ巨額の経済対策を実行してきた国はない・・・

その理由の一つとして、「お上依存型」の「社会主義的経済観」が残っているのではないかと指摘しておられます。
経済がうまくいかないと、「政府が対策を講じるべきだ」と期待 し、「政府は政策によって経済をコントロールできる度合いが大きい」と考えすぎているのではないか。
また、経済学者の意見が反映されていないのではないか、とも。
正統的な経済学では、財政で景気変動を平準化するのは非常時に限り、平時には金融政策でこれを行うべきだと考える。財政政策で成長率を引き上げることはできるが、その効果は一時的なものにとどまるから、持続的な成長は実現できない。