平成時代、日本企業敗北の時代

3月9日の日経新聞「平成の30年 日本企業、再生への苦闘 平成から次代へ」、小林喜光・経済同友会代表幹事の「敗北見つめ新境地開拓を」から。

・・・反省をこめて言えば、日本企業は平成時代に手痛い敗北を喫しました。世界の株式時価総額ランキングを見ると、平成の初めには世界トップ20社のうち14社までを日本企業が占めましたが、昨年末は1社も入っていません。米国と中国のデジタル系企業が上位を占有し日本の存在感はゼロです・・・

・・・さらに気がかりなのは、国民の多くがこうした危機感や問題意識を持つことなく、日々の生活に満足しているようにみえることです。内閣府の調査では74.7%の人が今の生活に満足と答え、しかも若い世代ほど満足度が高いです。
国民一般だけではありません。過去4年、経済同友会の代表幹事として政治家や官僚とも多く接触しましたが、かなり近視眼的だと感じます。選挙で頭がいっぱいで痛みを求める改革に踏み出せない。経営者でいえば、目先の業績を気にするあまり、長期の展望に立った投資や事業のリストラを先送りするようなものです。アベノミクスの6年間は株高や円安で心地よかったですが、新たな飛躍や成長のタネは生まれませんでした・・・

西條都夫記者の解説から。
・・・日立製作所は日本を代表する企業の一つだが、・・・ところが、巨体のわりに中身(利益)は貧弱で、30年分を合算した営業利益は10兆1千億円、純利益は1兆7千億円にとどまる。最近数年の復調がなければ、純損益の赤字転落もあり得た。昭和時代に築いた事業モデルや成功体験が行き詰まり、時代遅れになったのは誰の目にも明らかだった。
そんな状況を同社が直視し、本格的に改革に乗り出したのはリーマン・ショックで巨額の赤字を計上して以降の過去10年のことだ。一度は引退しながら、09年に会長兼社長にカムバックし、再建の指揮をとった川村隆氏は「昔の日立には悪い事業をやめる発想がそもそもなかった」という。

日立は巨大な共同体であり、働く人たちは大切な仲間だ。そんな彼らを共同体の外に放り出すことは許されず、業績が悪化すれば、賞与のカットなど痛みを全員で分かち合うことで、乗り切ろうとした。
だが、この手法には限界がある。競争力を失った事業を抱えながら、多少のリストラやコスト低減をしても、「沈む巨艦」は浮揚しない。見込みのない事業を外部に売るなど外科手術を勇気をもって実行したのが川村改革の特長だ。「なぜあの事業を切ったのか、OBや関係者から叱責され、つらい思いもしたが、それに耐えるのも経営者の役割だ」と川村氏はいう・・・
・・・過去の自分を否定し、新たな時代に適合する組織文化や事業モデルを模索する。日立の30年間の悪戦苦闘は、他の日本企業や日本経済全体の歩みの相似形である・・・
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