4月8日の読売新聞、吉見俊哉・東大教授の「米国の支え、揺らぐ時代」から。続きです。
・・・私は、近現代の日本は、ほぼ25年ごとに変化するという仮説を持つ。明治維新(1868年)で近代化を始め、1895年の日清戦争を機にアジアに帝国主義的に拡張。1920年頃からは国家経営を誤り、軍国主義に走り、敗戦に至る。
戦後の45年からは復興と高度成長。70年頃からは安定成長と成熟。95年は阪神大震災とオウム真理教事件が起き、日本の長い「戦後」は終わり、経済は立ち行かなくなり始める。冷戦のタガが外れ、中韓は戦前・戦中の日本の行為を糾弾し始め、日本はたじろぐ。
日本は明治維新以後、右肩上がりの50年を経た次の25年で失敗した。敗戦からは右肩上がりの50年を経て、安定が損なわれている。95年から25年後にあたる2020年は東京五輪が再度開催され、当面はそれに向けてひた走るのだろう。五輪後の2020年代に日本は正念場を迎える・・・
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親米日本、その理由。吉見俊哉先生
4月8日の読売新聞「戦後70年想う」、吉見俊哉・東大教授の「米国の支え、揺らぐ時代」から。(1か月以上前の記事です。書こうと思いつつ、半封筒に入れたまま、鞄に眠っていました)
・・・親米を説明する3つの通説がある。まず「米国は民主主義をもたらし、復興を支援してくれた。感謝すべきだ」という説。それが本当なら日本人は義理堅いことになるが、私には疑問だ。次に「米国大衆文化の虜になったからだ」との説。だが、米国文化の影響は世界的で、日本は特別ではない。「占領改革で日本が骨抜きにされたから」という説もある。だが、日本の社会構造、ものごとの決定の仕組みはあまり米国化していない。
私は「米国こそが日本が戦後もアジアで支配的な地位を保ち続けることを可能にしたからだ」と考える・・・
・・・日本は戦後、アジアの経済的中心として栄える。戦前までの軍事的中心ではなくなるが、中心であることは変わらない。日本が明治維新以来の近代化で築き上げた「アジアの中心的地位」は連続する。一方で「米国に最も近い国」という地位も得た。戦前・戦中の振る舞いを巡る、近隣諸国からの激しい対日批判は抑えられた。日本は自らを変えないまま、この優位性を保つために「米国に最も近い国であり続けなくてはならない」と意識するようになる・・・
医学が発達したときに直面する「人間とは何か」
4月19日の読売新聞1面コラム「地球を読む」、山崎正和さんの「科学技術万能論」から。
・・・だが一方、現代の言論界には、正反対の未来論も台頭していて、こちらも無視できない影響力を見せているようである。名づければ「科学技術万能論」、科学の急速な進歩が人類の無限に近い繁栄を保障するという主張だが、現に相当の雄弁さでマスコミをも巻き込んでいる・・・
・・・新理論の中心人物にレイ・カールワイルという著者がいて、その代表作が『ポスト・ヒューマン誕生』という題で邦訳され、すでにかなりの増刷を重ねている・・20世紀後半以来、遺伝学、ナノ技術、ロボット工学が爆発的な発展を遂げ、進歩の速度から見て2040年ごろには文明に革命をもたらし、人間そのものを改造するだろうというのである・・
・・自信満々の著者だが、興味深いことに最後にきて、自分の立場について一抹の不安を漏らすのである。巻末に近い注のような一節で、彼は「なぜ自分が特定の人間かわからない」と告白する・・
人間を「操作する対象」「管理する対象」とすると、操作の主体であるべき自己が、居場所を失います。誰が主体で、誰が客体なのか。詳しくは原文をお読みください。
長い歴史と広い世界から、日本の発展を位置づける。2
岩波書店のPR誌『図書』2015年4月号川北稔先生の「近代世界システムと幻の耕地」の続きです。近代の成長をイギリスとアメリカが摘み取ったと同様に、東アジア台頭の成果を中国が摘み取るという見方に続いて、次のように書いておられます。
・・・近代システムの本質などということを気にせず、近代と、近代のあとにくるかもしれない世界―それどころか、近代以前の世界も―が、ほとんど同じような性格のものだと無意識に仮定しがちな歴史観からすれば、そのようにもいえるかもしれない・・・
まさにこの点です。日本は、19世紀後半から20世紀にかけて、めざましい成長を遂げました。しかしそれは、西欧が切り開いた近代工業システムという枠組み(パラダイム)においてです。「追いつけ追い越せ」というスローガンは、その限界を示しています。日本が、イギリスやアメリカがつくった経済・社会・政治の構造に代わるものを、提示したのではありません。
では、現時点で成長著しく、東アジア台頭の成果を摘み取るとして、中国さらには東アジアは、西欧がつくった近代工業システムに代わるもの、あるいはそれを越えるものを提示しているでしょうか。17世紀までの中国・中華文明は、西欧文明に対峙するだけのものを持っていました。しかし、21世紀の中国、日本、そして東アジアは、西欧近代文明に代わる「新しい文明」を、提示していないようです。
先生の主張は、原文をお読みください。川北稔先生は、ウォーラーステインの近代世界システムを日本に紹介したことで有名です。その視点からの分析です。ところで、先生は、私の高校の大先輩です。
長い歴史と広い世界から、日本の発展を位置づける
岩波書店のPR誌『図書』2015年4月号に、川北稔先生が、「近代世界システムと幻の耕地―歴史学のいま」第2回を書いておられます。
・・・「脱亜入欧」などというスローガンを掲げ、アジアのなかで、日本だけは別物と見ていた歴史が長いために、私たちは、いまだに一体としての「東アジア」史というものを実感しかねている。しかし、明治維新から中国の開放路線、高度成長までを一連の歴史として巨視的に眺めれば、明治以降の日本の台頭は、東アジア台頭の「はじまり」にすぎなかったことがわかる。
とすると、スペインやポルトガルやオランダが始めた対外進出と経済成長を伴う「西ヨーロッパの台頭」で、最後にイギリスやアメリカがその成果を摘み取ったように、いまや中国が東アジア台頭の成果を摘み取ろうとしていることになるのだろうか・・
歴史家が見ると、このような見方ができるのですね。確かに、私たち日本人は、「日本は特殊である」とか「日本人はすぐれている」という言説に浸りたがります。もっとも、これは日本だけではないでしょう。イギリス人だって、アメリカ人だって、中国人だって、程度の差はあれ同様でしょう。その国が隆盛を極めているときは、そう思いがちです。また、他国に比べ劣っていると感じた場合は、別の分野で「他国よりすぐれている分野」を探します。
明治維新が19世紀後半、日露戦争が20世紀初頭、中国の改革開放が20世紀末、中国の台頭が20世紀初頭です。他方、スペインやポルトガルが新航路を開発し、新世界を「略奪」して栄えたのは16世紀から、オランダの隆盛は16~17世紀、イギリスの隆盛は18~19世紀、アメリカの時代は20世紀。その間、5世紀あります。他方、日本の明治維新から中国の隆盛は、2世紀の間にも満ちません。このような世紀をまたぐ時間と、世界地図の観点から見ると、日本は東アジア台頭の先駆けであり、最後の到達点・果実は中国が得るとも見えます(この項続く)。