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社会

させていただくは、変

朝日新聞8月24日の「ことばの広場」は「させていただく」でした。
・・・元来の使い方について、敬語に詳しい東京外国語大名誉教授の井上史雄さんは「業務上のやりとりなど一時的な場面で、自分と身分的な違いがない相手への敬意を表すのに用いられた表現だった」と言います。
ところが戦後、人間関係が流動的になって、使われることが増えてきました。相手の許可が不要な場面や、自分の一方的な行為についてさえも、頻繁に使われるようになりました。
その理由には、この言葉が持つ便利さがあるようです。動詞にくっつけるだけで、場面を問わずに「相手に失礼のないよう私は配慮している」ということを、あらかじめ示せるからです。文法上、どんな動詞の後ろでも使える点も、重宝された理由の一つだそうです・・

私は、この言葉の多用に、違和感を感じています。地下鉄の駅で「扉を閉めさせていただきます」と放送されます。しかし、ドアの開け閉めは、乗客に許可を得るものではないでしょう。私は心の中で、「させたげないわ」と言い返しています(苦笑)。
食堂で空いたお皿を下げる際に、店員さんが「お皿を下げさせていただきます」と言うことは、おかしく感じません。こちらも「ありがとう」とか「ちょっと待ってください」と言えます。しかし、地下鉄の駅での放送のように、大勢の人を相手に、その人たちの意見を聞く気もなく、駅員の責任で「やってしまう行為」に、「させていただきます」はおかしいですよね。また、迷惑行為や違法行為は、「禁止します」であって、「禁止させていただきます」ではありません。

社会学

ジグムンド・バウマン、ティム・メイ著「社会学の考え方」(邦訳2016年、ちくま学芸文庫)を読みました。山本泰先生の最終講義に出て、社会学は社会をどのように見て、どのように説明しているのか、改めて勉強したくなったのです。ピーター・バーガー著「退屈させずに世界を説明する方法」(邦訳、新版2015年、新曜社)や、同「社会学への招待」(邦訳、新版2007年、新思索社)も読みました。寝床で読み続けている本も他に数冊あります。
大学時代には、マックス・ヴェーバーの没価値性(いまは価値自由と言うようです)や、カール・マンハイムの存在被拘束性を聞いて、なるほどと思いつつ、「そんなもんかいな」としか思いませんでした。
社会学の各論は、その後それぞれに触れたのですが、社会学の考え方・全体像を再確認したかったのです。寝ながら読むには、ふさわしくないのですが(反省)。
読んでみて、驚くような「新事実」はなかったです。私のふだんのものの見方が間違っていないと、自信がつきました。また、専門家は「このように考え方や、課題と分析を整理するのだ」とわかりました。門外漢が知りたいのは、その分野の地図です。まあ、教科書風に概説し詰め込むと、抽象的にならざるを得ないのでしょうが。
本を読んで、知らないことを得ることも、楽しみであり重要ですが、知っていることの再確認、あるいは専門家による整理を確認するのも、重要です。

補助犬

補助犬って、ご存じですか。厚生労働省、社会・援護局、障害保健福祉部、自立支援振興室の品川 文男補佐から、「政府広報番組に出演したから、岡本のホームページで広く世間に紹介しろ」との指示が来ました。品川君は、復興庁で被災者支援を担当し、これまでにない分野、これまで付き合いのない人たちと、新しい取り組みを試みてくれました。ありがとうございました。
フットワーク良く、現場に出かけるのです。もちろん、現場に行くと、新たな課題を拾ってきます。でも、それが行政の新たなフロンティアなのです。霞が関に閉じこもっているだけでは、新たな課題はわかりません。
番組は「身体障害者補助犬」についです。インターネットビデオで、約20分だそうです。開始直後35秒の頃に、当の本人である品川補佐が出演します。紺の上着を着て、まじめな顔で説明しています。

謝罪文化、パフォーマンス?

7月29日の朝日新聞オピニオン欄「それって不謹慎ですか」、マッド・アマノさんの発言から。
・・・日本には謝罪文化っていうのがある。企業が不祥事を起こすと、記者会見で幹部たちが雁首そろえて謝る、あれだよ。薬害事件で、突然、製薬会社の幹部数人が、一斉に額が床につくほど土下座した。これには本当に驚いた。
謝らないことには、世間が収まらない。「まず謝っちゃおう」というパフォーマンス、儀式だね。これで人々は留飲を下げるわけだ。でも謝ったからといって自らの責任を認めたわけではない。こんな目くらまし、僕は納得いかないよ。
こういう下地があるから「不謹慎だ」と批判されると、すぐ謝っちゃうんじゃないの。攻める方もおもしろがってやる。どちらも理詰めでは論争しない。これは日本人が最も不得意なんだ。
アメリカに10年ほど家族と住んでいたことがある。謝罪会見なんて一切、見たことない。とにかく交通事故でも謝ったらだめ、と友人からよく言われた・・・
・・・私ですか? 外では謝らないけどね、家では妻や息子にいつも謝っています。謝らないと収拾がつかなくなる。だから家庭の平和のためにね・・・