細谷雄一著『戦後史の解放Ⅰ 歴史認識とは何か―日露戦争からアジア太平洋戦争まで』(2015年、新潮社)が、勉強になります。先生の意図は、あとがきp281に述べられています。
・・・また、本書のタイトルが「歴史認識とは何か」となっているのは、本書の主たる目的がすでにいくつもある近現代の通史に新しい一冊を加えることではなく、あくまでも日本人が抱える歴史認識をめぐる問題の泉源を探ることだからである。日本が戦前に、対米戦争へ向けた道のりを歩み始める大きな原因が、国際情勢認識の錯誤にあったと本書では指摘している。そして現在の日本でも、歴史認識をめぐり、国際社会の一般的な理解とは大きく異なる、自己中心的な歴史理解が数多く見られる。安全保障政策をめぐる現在の議論の混沌も、そのような奇怪な国際情勢認識に基づいたものと考えている。すなわち、国際政治や国際法をほとんど学ばずして、日本国内の正義と論理のみでそれを語ることで、国際社会からは理解しがたい奇妙な議論が数多く横行しているのだ・・・
この項、続く。
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社会
エスカレーターの片側を空ける
8月13日の読売新聞夕刊が、「エスカレーター、片側歩行やめて…転倒相次ぐ」という記事を載せていました。エスカレーターの片側を急ぐ人のために空けておく習慣は、いまやかなりの程度定着しました。関西では左側を、関東では右側を空けます。ところが転倒事故が多く、鉄道会社では「片側を空けない」「歩かない」というキャンペーンを、5年前からやっているのだそうです。
私も、『新地方自治入門』p266で、片側を空ける習慣を、公共を作る「ルールの形成」の一つとして紹介しました。2003年のことです。良いことだと書きながら、疑問も持っていました。片側を空けたままで、エレベーターを待つ人の長い列ができていることがあります。それなら2列で乗った方が、倍の運送力があります。ときどき左に人が乗っているときに、その右に立つことがあるのですが、キョーコさんに「だめよ、空けておかなければ」と叱られます。2列で並んで乗る習慣は、いずれ定着するでしょうか。
地方移住
日経新聞8月12日東京面「新幹線と地域」、吉田忠裕・YKK会長のインタビューから。YKKは東京の本社機能の一部を、富山県黒部市に移転することを進めています。
・・・県外から新しく来る人は全く違う価値観や感覚を持っている。(黒部に)赴任した社員に聞いてみると、東京では当たり前の選択肢がないという不満が多い。生活面である程度は首都圏と同じように暮らせる環境を整える必要がある。
まずは新幹線駅からの2次交通がたりない。バスの路線が少ない黒部では通勤や買い物、子供の送り迎えに車が不可欠だ。奥さんや子供がいたら車が2台ないと生活できないという声をよく聞く。電車やバスの接続が悪いことも問題だ。せっかく速い新幹線で来たのに、駅で長時間待たされたら嫌になる。スイスは田舎町でも、特急列車を降りたらすぐにバスが出発する。
住宅の整備も必要だ。富山には首都圏の人のニーズに合った家が少ない。例えば黒部市内は木造2階建てのアパートはあっても、鉄筋賃貸マンションが少ないし、駅近くに家がない。数は足りていてもニーズに合っていなければ意味がない。会社としても無料バスや住宅、保育所の整備を進めているが、自治体ともっと連携していきたい・・・
吉田会長には、私が富山県総務部長の時に、しばしば意見を聞くことがありました。YKKは富山が発祥の地で、大きな拠点があるのです。世界で敵なしのファスナーメーカーを率いる社長として、どのようにしてその地位を守っておられるのか、興味があってお聞きしたものです。月の半分以上を海外出張しておられ、「コストがあわなくなった現地工場を、別の国に移すのが社長の仕事です」というようなことをおっしゃっていました。
さて、ご指摘の点はなるほどと思います。東京で生活している人が、地方都市に行くと感じる生活の不便さ。私も田舎育ちで、就職してからも自治官僚として地方勤務をしたのでわかります。もっとも、明日香村は1時間に1本しかバスがない田舎でしたが、勤務は3度とも県庁勤務でそれなりの都会でした。
住宅などは、これまで需要がなかったので、それに見合うマンションなどがなかったのでしょう。これは、順次解決していくでしょう。
難しいのは、車依存社会をどう変えていくかです。地方は、鉄道やバスが衰退し、車社会になっています。当時、私の部下で「家にあるテレビの数より車の数が多い」という職員がいました。夫婦は1台のテレビを一緒に見ますが、車は2台必要なのです。夫婦とおばあちゃん、成人した子ども2人の5人家族だと、テレビは茶の間に1台か子どもの部屋にあと2台ですが、車は5台です(婆ちゃんは乗らない、夫婦が1台ずつ、子どもも1台ずつ、それに農作業用の軽トラックで5台)。
お店やレストランも、郊外のバイパス沿いにあって、車がないと行けないのです。富山に赴任早々の時です。勤務時間が終わって秘書に「今日は町をぶらぶらして、それで気に入ったところで晩ご飯を食べて帰るわ。公用車は要らないよ」と言ったら、「部長、そんな贅沢は許されません。どこで何を食べるかを決めて行かないと、歩いてぶらりと入る店はないです。店を決めてくださったら、そこまで車で送ります」と叱られました。商店街の中に、レストランが少ないのです。郊外型レストランを決めて、車で行くということです。これは誇張した話ですが(苦笑)。
笑い話に、夕ご飯の支度をしているお母さんが、子供に「醤油が切れたので、買いに行ってきて」と言うと、子供が「じゃあ、お母さん車で送って」というのがあります。多くの地方において、生活の隅々まで、自家用車を前提に成り立っているので、この生活の仕組みを変えるのは大変です。
歴史は書き換えられるもの
2か月ほど前から、歴史学の本を、続けて読みました。まずは、川北稔著『私と西洋史研究ー歴史家の役割』(2010年、創元社)。それに触発されて、福井憲彦著『歴史学入門』(2006年、岩波テキストブック)。そして、E・H・カーの『歴史とは何か』(邦訳1962年、岩波新書)を再読。さらに、谷川稔著『十字架と三色旗ー近代フランスにおける政教分離』(2015年、岩波現代文庫)です。
『私と西洋史研究』は、たまたま本屋で見つけたのですが、川北先生が高校の先輩なので、読んでみようと思ったのです。内容は、玉木俊明・京都産業大学教授が聞き手となって、川北先生の研究生活を回顧した本です。ところが、読んでみると先生の経験談とともに、歴史学の意味と役割がこの半世紀にどう変わってきたかが語られています。私は、歴史学はそんなに変化するものではないと思っていたので、先生の記述に眼を開かされました。
・・・私の親友で都出比呂志君という考古学者がいます。阪大で私をずっとサポートしてくれた人で、われわれの世代ではピカ一の考古学者です。日本の古代国家の成立にかんする彼の学説がありまして、これはもうずいぶん前に彼が唱えたものなんですが、もう何十年にもなるのだから、とっくに崩れていないといかん。「だけど、川北さん、崩れへんねん。これは何かおかしい」と彼は言うんです。
僕も、ちょっと口はばったいけれども、「帝国とジェントルマン」とか言いだして、帝国史の研究会とか生活史とかいろいろやって、ある時期まではずいぶん発展して、けっこう皆さんに認めてもらうということができました。しかし、「帝国とジェントルマン」というのはひとつのシェーマなのだから、どこかで崩れるはずのものだと思っています。大塚史学というものは・・・(p201)。この項続く。
会計帳簿が変える世界の歴史、2
『帳簿の世界史』第13章は、「大恐慌とリーマン・ショックはなぜ防げなかったのか」です。
大恐慌をきっかけに、アメリカでは、グラス=スティーガル法を作り、銀行業と証券業の兼業を禁止します。また、証券取引委員会(SEC)が設置されます。
1975年にSECは、「全国的に認知されている統計的格付け機関」を制度化し、ムーディーズ、スタンダード・アンド・プアーズ、フィッチの3社を指定します。この3社が、企業や国家の債権格付にお墨付きを与えたのです。ところが、その監査法人が、顧客である会社の監査とともにコンサルティングを行います。そこに癒着が生まれます。1999年には、グラス=スティーガル法の「銀行業と証券業の分離」規定も廃止されます。
エンロンの破綻により、粉飾決算に加担していたアーサー・アンダーセンが解散に追い込まれます。
・・・エンロンの一件で皮肉なのは、アーサー・アンダーセンが行った監査の一部は十分にまともだったことである。優秀な中堅クラスの監査担当者は、2001年に、エンロンの疑わしい取引と不正経理を明白な証拠とともに上司に告発した。ところが年間1億ドルのコンサルティング・フィーを失うことを恐れた幹部は、この告発を無視したのである・・・(p325)。