東京大学広報誌「淡青」2014年3月号に、馬場靖憲教授が「東大産学連携の歴史と展望」(p15)を書いておられます。
・・日本の大学は、特に東京大学は、欧米の先進技術を吸収して民間へ技術移転するための組織でした。大学は国の発展を支えるエンジンであり、意識するまでもなく産学連携は盛んだったのです。戦時中、国家のために産業界と連携して軍艦や兵器を作ったのは、いわば当然でした。
そうした反省から、戦後は産学連携が下火になります。1960年代には、大学紛争の影響もあり、大学が企業と関わること自体がタブー視され、産学連携は停滞しました。それが、1998年のTLO法(大学等技術移転促進法)策定を機に、再び熱を帯びていまに至るわけです・・
なるほど。社会と研究の関係について、この説明はわかりやすいです。
司馬遼太郎さんは、明治期の帝国大学を「文明の配電盤」と表現しました。後進国の日本が先進国に追いつく際には、帝国大学や官僚の役割は明確でした。しかし、追いついたときに、「輸入総代理店」の役割は小さくなりました。
大学は、教育分野では有為な社会人を育成するという役割を続けつつ、研究分野においては先進国と伍して最先端の研究を行うことになります。自然科学系は、この転換に成功したようです。研究者は、国境を超えて活躍しています。イギリスやアメリカの学会誌に論文を載せ、ノーベル賞などの国際的な賞も得ています。
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社会と政治
大震災、変わらない日本社会、変える日本社会。2
4 すると、私たちがすべきことは、「何を変えるか」を考えることです。
その一つは、原発の管理政策や想定外の大災害への備えなど、今回明らかになった欠点や教訓を踏まえた対応です。科学と社会や政治との関係も、見直すべきでしょう。「防災から減災へ」は、その一つです。
また、被災地を元に戻すだけでなく、「課題先進地」ととらえ、新しい地域社会作りに挑戦することです。過疎、人口減少、高齢化、産業空洞化に対して、どのようにして活力ある地域社会を作っていくかです。復興庁では、「新しい東北」という概念で、地元の人たちとそれに取り組んでいます。
その他に、私が期待して試みているのが、「社会を支える官・共・私=行政、NPO、企業のあり方の変化」です。藤沢烈さんのインタビューや拙稿「被災地から見える町とは何か~NPOなどと連携した地域経営へ」で述べていることです。
この変化は、政府が「指導」したり予算を付けただけでは、実現できません。公共施設や制度資本は行政が作ることができますが、関係資本や文化資本は、行政だけでは作ることができません(拙著『新地方自治入門』p190)。企業(経営者と従業員と株主)、NPO関係者、有識者、そして国民の意識が変化する必要があるのです。それを直接変えることはできませんが、誘導することはできます。関係者で協働しながら、国民を巻き込んでいくのです。良い事例を積み重ね、マスコミがそれを報道してくれることで、国民に認知されます。
5 社会は、「変わるもの」か、「変えるもの」か。
社会学者なら、日本社会の変化を「観察」して、その特徴をまとめれば済みます。しかし、社会の参加者である官僚も国民も、観察だけでは不十分で、「何をどう変えるか」にかかわる必要があります。そして「そのためにどうするか」を考えなければなりません。もちろん、社会は自ら変わるものですが、ある理想像があるのなら、それに向かって変えていくべきです。
私は、既に述べたように、現地の地域社会に関しては「過疎、人口減少、高齢化、産業空洞化地域で、どのようにして活力ある地域社会を作るか」(新しい東北)であり、日本社会の意識に関しては、「公共を支えるのは行政だけではなく、官・共・私=行政・NPOや中間集団・企業の3者であることへの変化」(企業との連携、NPOとの連携)と考え、挑戦しています。
また復興行政に関しては、目標を「国土の復旧」だけでなく「暮らしの再建」へ範囲を広げることや、「前例がありません」といった「官僚批判の定番」を克服することも、試みています。
6 大震災を「戦後日本」を終えさせるもの、そして「ポスト戦後」の契機と位置づける考え方もありますが、それについては、別途書きます。
追伸
朝日新聞オピニオン欄3月13日に、塩野七生さんが「東日本大震災3年。これからを問う」で、「あれから3年がたちました。日本は変わったと思いますか」という問に、次のように答えておられます。
・・外から見てきて思うのは、現状への不満や抗議が日本を満たしている感じがすることです。ローマで日本の新聞を見ても悲観的なことばかり載っていて、読むと暗くなる。この3年で変わったか変わっていないかを問題にするよりも、重要なのはこれからどうするかです・・
大震災、変わらない日本社会、変える日本社会
「震災から3年、社会の変化」(藤沢烈論文)の続きです。
これまでもしばしば、「震災で、日本は変わったか」という質問を受けました。この質問をされる方の多くは、「変化を期待していたのに、変わっていない」という認識を基にしておられます。そのようなときに、私は、「どの分野をさして、議論しておられますか?」と、議論の土俵の設定から話を始めます。私の暫定的な答は、次の通りです。
日本社会は、大きくは変わっていません。
1 あれだけの大災害にあって、被災者も国民も、冷静に対応しました。略奪も暴動も、起きませんでした。
これは、他の先進国にも途上国にも見られない、すばらしい社会であり国民性です。このような社会は、変わることなく育てていく必要があります。
2 大震災は大きな被害をもたらしましたが、日本全体から見ると、限られています。3県の人口やGDPは、約5%程度です。避難者の数だと、人口の0.4%です。その他の地域と国民が支援することで、復旧・復興できるのです。
日本国民の大半が大きな被害にあったなら、違った光景が広がっていたかもしれません。
3 (質問者は)「どの点が、どのように変わるべきであった」と、考えておられますか?
もちろん、原発の安全神話は崩れました。科学者に対する信頼や、原発行政を管理していた省庁や東電に対する信用も、崩れました。しかしそれは、日本社会の意識構造全体を変えるまでには至っていません。
第2次大戦で日本が負けたといったような場合とは、異なります。国土の物理的破壊が、社会の意識的変化になるには、それなりの条件が必要です。
そして、日本社会の意識構造全体が変わる際には、政治構造の変化を伴うのでしょう。今回の大震災は、未曾有の大災害でしたが、そこまでは至っていません。国民は、政府に対する不信を募らせましたが、他方で一定の信頼も続いています。(政権交代はありましたが)、日本の政治体制、代議制民主主義、内閣や行政に対して、評価しています。あるいは、これに変わる代案はないと、考えているのでしょう。
「抜本的な改革」は聞こえはよいですが、何をどう変えるか明言しないと、それだけでは内容を伴っていません。それよりは、現体制を前提としつつ、欠点や課題を解決することを、国民は支持しているのだと思います。
この項、さらに続く。
震災から3年、社会の変化。開かれた行政へ。2
震災から3年、日本社会はどう変わったかについて、藤沢さんの言葉を借りると、次のように要約できます。
行政にあっては、単体で公共を担っていくことが困難であり、企業やNPOと連携する必要性に気付いた。つまり、閉じた行政から開かれた行政へと変化した。例えばNPOに対しても、以前は行政の委託先として下請け的な位置づけだったが、対等なパートナーと認識が変わってきた。
企業は、社会をつくる一員であるという想いを、より強くした。企業が社会を支えるために一定のコストをはらうという認識を、日本でも株主自身が持ち始めている。
NPOについては、ボランティア型から、組織型経営へと変化しつつある。企業が社会的事業を行う際に説明責任を果たす必要があるように、NPOも企業と同等以上のマネジメントを用いて、目標設定から実行・検証を行うことが求められている。
この項、続く
震災から3年、社会の変化。開かれた行政へ
藤沢烈さんが、いろんなところで活躍しています。東北復興新聞のインタビュー「震災から3年。東北はシリコンバレーと並び世界的な成長地域になる」に、「この3年で起きた、社会的な変化」について、次のように述べています。
・・行政、企業、NPO、それぞれのプレイヤーの考えや位置づけから変化を整理したい。
行政は震災により、単体で公共を担っていくことが困難であり、企業やNPOと連携する必要性に気付いたと言える。つまり閉じた行政から開かれた行政へと変化した。以前は行政の委託先として下請け的な位置づけだったNPOに対しても、事業企画の段階から話を聞いてくれるようになった。例えば我々RCFでは岩手県釜石市や福島県双葉町の中に入って、復興支援員制度の活用に向けた仕組みづくりやコミュニティ支援に関する議論からご一緒させてもらっている。
こうした連携の中で、縦割りが指摘される行政においても旧来からの役割意識を変化させようとする柔軟な姿勢が見られるようになった。震災を機に明確な意識変化が起きていると感じる。
企業は、社会をつくる一員であるという想いをより強くしている。有名な経営者が寄付などの大きな支援を決定したと報道されることもあるが、実は経営者の決断を支えた従業員や株主の存在を忘れてはいけない。東北に対して熱意を持った企業社員たちが、時には復興に携われなかったら退社を辞さないくらいの気概を見せながら、各地で復興支援活動を牽引した事例は多い。また株主の社会意識も高まっている。ヤマト運輸が宅急便1個につき10円、総額140億円を超える寄付を行うと発表した際、株主総会で割れんばかりの拍手が起きたと言う事例が象徴的だ。社会貢献に積極的なアメリカのように、企業が社会を支えるために一定のコストをはらうという認識を、日本でも株主自身が持ち始めている。
こうした行政や企業の変化に対応してその役割を大きくしているのがNPOだ。この3年で数多くのNPOが復興支援に携わってきたが、ボランティア型から、組織型経営へと変化するNPOの存在を感じる。企業が社会的事業を行う上では、当然説明責任を果たす必要があり、その一端を担うNPOにも自ずと、企業と同等以上のマネジメントを用いて、目標設定から実行・検証を行うことが求められてきている。営利vs非営利といった構造ではなく、企業とNPOが高いレベルのマネジメントを持って対等なパートナーシップを組んでいく事例がいくつも出てきている。
しかし、行政や企業の変化に対してNPOはもっとスピードを持って対応していかなくてはならないとも感じている。今後、NPOはその役割が更に大きくなっていくことを確信している・・