カテゴリーアーカイブ:政治の役割

移民政策の矛盾

2025年8月1日   岡本全勝

7月23日の日経新聞一面「検証・日本の針路(2)」は、斉藤徹弥・編集委員の「外国人共生へ建前を排せ 移民政策の矛盾が露呈」でした。

・・・参院選での参政党の台頭は、在留外国人やインバウンド(訪日外国人)の増加に国民がうすうす感じている不満を顕在化させた。政府が建前では「移民は受け入れない」としつつ、現実には外国人の受け入れを増やしてきた矛盾が露呈したといえよう。
人口減少が進む日本では、外国人の力を借りなければ人手不足で社会機能を維持することもままならない。排外主義の芽を摘み、民主主義を守ってゆくためにも、建前を排して外国人の社会統合を真剣に考えるべき時期を迎えている。
参院選の終盤、政府は急きょ「外国人との秩序ある共生社会推進室」を内閣官房に設置した。その慌てぶりは、政府がこれまで外国人政策を自治体任せにし、本気で取り組んでこなかったと認めたに等しい・・・

・・・より重要なのは社会になじんでもらうための共生の充実だ。政府にも共生社会に向け中長期的な課題を挙げたロードマップはある。だが定住を前提とした移民と認めず、あくまで一時的な滞在者との位置づけでは共生にも力が入らない。
ドイツは第2次大戦後から多くの外国人労働者を受け入れてきたが、移民と認めたのは2000年代に入ってからだった。そこから社会になじんでもらう統合プログラムを始めた。
外国人がコミュニティーを形成するのは自然の流れだが、それが閉鎖的になるのが問題だ。英国は外とのつながりをどの程度保っているかを統合の指標として見える化し、社会の分断を防ごうとしている。
こうした取り組みにもかかわらず、欧州では難民危機などもあって排外主義的な勢力の台頭が著しい。日本の在留外国人は総人口の3%だが、増加ペースは年々高まり、参院選で現れたような反発もくすぶる・・・

・・・社会統合を考える際は、既存の制度をより透明でわかりやすいものにしていく視点も要る。外国人に選ばれる国になるうえで重要であり、それは日本人にとってもよいことだ。
外国人政策は対外政策の意味もある。学生支援では自国民を優遇する国も多いが、日本は平等主義が一般的だ。留学生の受け入れは各国の指導層に知日派を育てるソフトパワー戦略であると考えたい・・・

手続きを踏まない医療費値上げ

2025年7月21日   岡本全勝

日経新聞夕刊「人間発見」、7月7日は天野慎介・全国がん患者団体連合会理事長の「がん患者の声を届ける」でした。
・・・全国がん患者団体連合会(全がん連)の理事長、天野慎介さん(51)は2024年末から多忙を極めた。患者が支払う医療費の上限額を引き上げる高額療養費制度の見直し案を凍結させるためだ。患者の悲痛な声を国会議員などに届け続け、政府予算案は現行憲法下では初となる迷走の末に修正された。石破茂首相は「私の判断が間違いだった」として陳謝した・・・

・・・厚生労働省が社会保障審議会の医療保険部会に上限額引き上げを議題に上げたのは、年の瀬が迫る24年11月21日。毎週、部会を開いて12月12日までの1カ月足らず、たった4回の議論で、早ければ翌年夏から上限額を引き上げることで部会の了承を得ました。
厚労省が議論を急がせたのは、年明けに開会する通常国会に提出する25年度の政府予算案に医療費削減の柱として盛り込むためです。実際、12月25日に厚生労働相と財務相の閣僚折衝で、翌年8月から高額療養費の上限を順次引き上げることで合意しました。

「上限を引き上げると患者の自己負担が増える。政府予算案では、上限引き上げで国の支出(国費)が約1100億円減ると見込んだ。報道では、自己負担の限度額を年収に応じて高くして2.7〜15%上げ、平均的な年収となる約650万〜約770万円の世帯では限度額が最終的に月額約13万8千円となり、5万円余りも増えるとされた。」

具体的な引き上げ額は厚労省の部会では示されていませんでした。私たち全がん連では実際の影響が判明してから要望書を出すつもりでした。水面下で引き上げ額が決まっていく中、やむなく12月24日に政府に対して緊急の要望書を提出しました。
要望書では「高額療養費制度は治療を受けるうえでまさに命綱」などと訴えました。上限引き上げによって「生活が成り立たなくなる、あるいは治療の継続を断念しなければならなくなる患者とその家族が生じる可能性」を指摘し、引き上げの軽減と影響の緩和策の検討を求めました。
要望書は報道機関や記者にも送ったのですが、一部しか報道されませんでした。記者から「政府予算案が決まれば年明けの通常国会で修正されることはほぼない。もう決まっていることで、要望書の提出は遅すぎる」などという指摘も受けました。

「1月開会の通常国会では冒頭、石破首相が施政方針演説でも高額療養費制度の見直しに言及した。事実上、既定路線になったとみられる中、患者の悲痛な思いを訴えた。」

従来の常識から言えば、政府予算案を修正させることはほぼ無理です。しかし24年10月の衆院選挙で自民党と公明党の与党は過半数割れしていました。「もしかしたら扉を開くことはできるかもしれない」というかすかな望みにかけるしかありませんでした。
要望書に対して、与野党の国会議員もほぼ無反応でした。「政府の方針に逆らうのか」という批判もありました。それでも患者とその家族を守らなければなりません。
まず25年1月17日から3日間で緊急アンケートを実施し、患者の声を集めました。同24日からの通常国会で質問してくれる国会議員も出ました。やっと扉が開き出しましたが、3月の政府予算案修正まで長い道のりでした・・・

生活保護引き下げ、違法判決

2025年7月18日   岡本全勝

6月28日の朝日新聞1面、「生活保護引き下げ、違法 最高裁「厚労相の裁量逸脱」 物価下落のみ考慮、誤りと指摘」から。

・・・国が2013~15年に生活保護費を大幅に引き下げたのは違法だとして、利用者らが減額決定の取り消しなどを求めた2件の訴訟の上告審判決が27日、最高裁第三小法廷であった。宇賀克也裁判長は、引き下げを違法と判断し、減額決定を取り消した。原告側の勝訴が確定した。
一方で判決は、原告側が求めた国の賠償は認めなかった。判決は裁判官5人のうち4人の多数意見で、宇賀裁判官は賠償も認めるべきだとする反対意見をつけた。

引き下げに先立つ12年の衆院選では、野党だった自民党が保護費削減を選挙公約に掲げて政権復帰した。国は13年以降、生活保護費を約670億円削減した。
この削減では、生活保護費のうち、食費などの生活費にあたる「生活扶助」の基準額が3年の間に平均6・5%、最大10%引き下げられた。引き下げ額を決めた厚生労働相は、物価の下落に合わせて保護費を減らす「デフレ調整」を行った。
判決は、生活扶助の額は従来、世帯支出など国民の消費動向をふまえて決められていたのに、今回の調整では、「物価下落のみ」が指標とされたと指摘。指標を変えることは、専門家による社会保障審議会の部会で検討されておらず、専門的知見との整合性を欠いているとして、判断過程を誤った厚労相に「裁量の逸脱や乱用があった」と結論づけた。

訴訟では、一般の低所得世帯と生活保護世帯の均衡を図るとした「ゆがみ調整」の是非も争われたが、判決は、統計などの専門的知見と整合しないとはいえず、不合理ではないとした。
判決は、国の賠償責任について、生活扶助の指標を変える議論が過去にあった点などを踏まえ、認めなかった。
宇賀裁判官は反対意見で、「最低限度の生活の需要を満たすことができない状態を(原告らは)強いられた」として精神的損害を賠償すべきだと指摘した・・・

諸富徹教授、「嫌税」の時代

2025年7月5日   岡本全勝

6月25日の朝日新聞オピニオン欄、諸富徹・京大教授の「「嫌税」の時代」から。

税金や社会保険料への忌避感が世の中で強まっている。政治家たちも「負担減」や「手取り増」を競い合い、来月の参院選は消費税など減税の是非を問う場にもなりそうだ。「嫌税」の状況が生まれた背景に何があるのか。見落とされていることはないか。税と社会保障に詳しい経済学者の諸富徹さんに聞いた。

――いま、なぜ税金がこうも嫌われるのでしょうか。
「物価上昇で低・中所得層に生活苦が広がっていることが大きいと思います。3年ほど前から賃上げが進んでいますが、物価に追いつかず、実質所得はむしろ下がっている。第2次安倍政権では消費増税が2回ありました。社会保険料はその前から上がり続けています。そこにインフレが重なった。ただ、これは直接の原因にすぎません」

――どういうことですか。
「根本の問題は日本の産業競争力が低下し、1990年代以降、賃金水準が横ばいだったことです。非正規雇用は約4割に拡大、経済格差も広がりました。昨年の衆院選では国民民主党が所得減税を訴え、躍進しました。本来、賃上げの不十分さを提起すべきなのに、いくつもの政党が税負担ばかりに焦点を当てたのはミスリードでした」

――なぜそうなりましたか。
「賃上げは民間のことなので、政策ではなかなか難しい。一方、税制は国会が決められる、というのはあったと思います」

――ネット上では税・社会保障の国民負担率が5割近いことを年貢になぞらえ、「五公五民」と批判する声もあります。
「言い得て妙というか、ある種の実態を表しています。江戸時代の農民のように、お上に搾り取られるばかりだと受け止められている。負担とセットで受益を実感できず、納税者の権利や、税のあり方を決めるプロセスへの参加の感覚を持てない。ここに大きな問題があります」

――権利と参加ですか。
「そもそも近代国家の税とは、国民が公的サービスを政府に委託し、やってもらうために払うものです。欧米では市民革命を通して、納税者は税の集め方と使い方を決める権利を持つという原理が確立されました。一方、日本はその経験がないまま明治時代を迎えた。大日本帝国憲法で納税は臣民の義務とされ、財政民主主義、つまり税負担と権利・参加をめぐる議論は深まりませんでした」

――日本国憲法で国民は主権者となり、選挙で政権を選ぶ営みを重ねてきました。税をめぐる意識も変わったのでは。
「確かに消費税の導入や増税への反発で、内閣がいくつも倒れたことがありました。ただ、財政支出や負担のあり方、国家の姿を考え、代わりのビジョンを示すものにはならなかった。今も負担面ばかりが注目され、成熟した権利や参加の意識は根づいていないと思えます」

――何が必要ですか。
「今の現象や不満を、政府や政治家、研究者が真剣に受け止め、改革を進めることです。具体的には、産業構造の転換や生産性向上を通じて、企業が持続的に賃上げを進められる環境を整える。そして若い人への投資を増やし、非正規労働者の待遇も改善する。これらは経済や産業、雇用のあり方に踏み込む難問ですが、放っておけば社会の分断が進み、民主社会の基盤が揺らぐと危惧しています」

家産制国家の復活?

2025年7月3日   岡本全勝

6月13日の日経新聞経済教室、野口雅弘・成蹊大学教授の「根源に「家産制」の復活」から。

・・・法の支配の反対は人の支配である。このときの「人」は特定の個人の信条、パーソナルな好み、あるいは気まぐれなどを指す。
権力者のパーソナルな命令に従いたくない。少なくとも命令の理由について議論する機会が欲しい。法の支配を支えるのは、理由なき支配を押し付けられたくないという個々人の気持ちである。そしてこうした気持ちが持続的に共有されることで成り立つエートス(倫理的な構え)によって、法の支配は維持される・・・

・・・ところが近年、法の支配の危機がいわれることが増えた。とりわけ大統領に返り咲いたドナルド・トランプ氏の言動を巡っての指摘である。行政機関の縮小・解体のため設置された「政府効率化省」(DOGE)は権限の不明確さや利益相反で批判されている。政権の方針に従わない人々、組織への制裁も露骨だ・・・
・・・トランプ氏の統治について、いま注目されている言葉がある。長らく忘れられていた家産制(パトリモニアリズム)である。ウェーバーが「支配について」で100年前に論じたものだ。父による家族の支配を意味する家父長制を国全体に拡張したシステムが、家産制である。これにより国家は巨大な「ファミリービジネス」になる。政治リーダーは従順なフォロワーをえこひいきし、恭順を引き出す。近代的な意味での法の支配は「人がだれかを問わず」が原則だが、家産制では逆に「人しだい」で対応が変わる。

ウェーバーによれば、家産制は近代的な官僚制以前の伝統的な支配形態である。合法的支配の典型である官僚制では、恣意性が可能なかぎり除去され、計算可能性が高められる。過去、行政課題が増大し、業務が複雑になり、専門性が求められるようになると、権力者のパーソナルな要素に依拠した家産制は行き詰まった。とりわけ財政、軍事、司法の分野で、素人の判断が通用しなくなるからだ。
家産制はしだいに官僚制の論理に席を譲っていった。当時、ウェーバーが危惧したのは恣意的な支配ではなく、むしろ過剰な官僚制化のほうであった。

1970年代にはイスラエルの社会学者S・N・アイゼンシュタット氏らによって「ネオ家産制」の概念が用いられた。アフリカなどの途上国で、形式的には近代国家だが実際には縁故や個人的なネットワークが政治的決定や利益の配分に重要な役割を果たしていることに注意が向けられた。
一方、今日の家産制論の主たる対象は前近代的国家や途上国ではない。米国の比較政治学者スティーブン・E・ハンソン氏とジェフリー・S・コプスタイン氏は共著「国家への攻撃」で、ハンガリー、イスラエル、英国、米国などで進行する家産制化による近代国家の原則の破壊について論じている。親近者やお気に入りを要職に登用すること、司法制度への介入、性的マイノリティーや多様性の否定といった現象を、彼らは家産制の概念と関連づけて説明している。
なぜ21世紀になって家産制がリバイバルしているのだろうか。私がとくに強調したいのは、この体制が、新自由主義以後の状況で可能になっている点である。定期的に繰り返されてきた官僚制批判や公務員バッシングが、えこひいきのない公正な行政という理念をおとしめてきた背景がある・・・