カテゴリー別アーカイブ: 政治の役割

行政-政治の役割

民主主義が機能する社会経済条件

1月8日の日経新聞経済教室、待鳥聡史・京都大学教授の「民主主義再生、政党改革が鍵 危機克服への道筋」から。

・・・最も正統性の高い政治的意思決定の方法として、民主主義が広く受け入れられるようになったのは19世紀半ば以降のことだ。それは代議制、すなわち普通選挙と議会の組み合わせの定着による。代議制民主主義は、有権者である一般市民の意向を議会の構成や大統領の選出に直接反映させながら、個々の政策決定は多くを政治家の判断に委ねることが基本原則である。
代議制民主主義を安定させた要因は、一般市民(マス)と政治家や官僚などの統治エリートのどちらか一方が圧倒的な影響力を持たないこと、マスの間に存在する多様な考え方を政権交代や権力分立により表出すること、統治エリートの専門能力を活用した判断を日常的には尊重し、有権者は選挙を通じて評価することにある。これらの組み合わせにより、迅速な政策決定と特定の勢力の過大な影響力排除を両立させてきた。
ところが今日、代議制民主主義を否定的に評価し、それとは異なる意思決定方法を追求する動きが先進諸国など各地で表れている・・・

・・・代議制民主主義の隆盛の出発点には、19世紀に生じた2つの決定的変化、すなわち国民国家の形成と産業革命があった。
前者は、地理的に区分された国家という領域内で、政治・経済・社会の活動がほぼ重なり合って行われ、そこに住む人々が国民としての意識を共有することを意味していた。普通選挙の広がりもこの文脈の上にある。
後者は、経済活動の中心が農業から商工業に変わり、特に工業部門で資本家・経営者と労働者の区分が生じることを意味していた。

国民国家の形成と産業革命により、政治の争点は一国内での経済的利益配分にほぼ集約された。20世紀に入ると、都市部での資本家・経営者と農村での地主の利益を代表する保守政党と、労働者や小作人の利益を代表する社会民主主義(社民)政党の対立が各国の政党間競争の基本構図となった。第2次世界大戦後には、政権交代を伴いつつ保守政党と社民政党が競争して、安定した経済成長とその果実の配分による生活水準の向上や社会保障の拡充が図られた・・・
この項続く

国際機関で日本人幹部を増やすには

1月8日の日経新聞、「国際機関幹部 増やすには」から。
・・・国際機関の主要ポストをめぐる争いが激しくなっている。米国の国力の衰えに乗じて、中国は影響力を拡大しようと積極的に動いている。世界的な秩序の土台となるルールを定める国際機関で、日本人が活躍していくには、どのような戦略が必要なのか。内外の識者に聞いた・・・

ケント・カルダー氏の発言から。
・・・何をすべきか。豊富な経験を持つ欧州に学び、彼らとの関係を培うのが重要だ。人口規模が小さいスイスや北欧諸国が要職を得ている。国際秩序への関心と貢献への意志の強さがあるからだ。
発展途上国と関係を深めることも大切だ。中国が数多くのポストを得たのは、アフリカ諸国との交流を著しく強化したことが大きい。
国際的な広報活動で、日本はあまりに控えめだ。私は新潟で横田めぐみさんの通った学校や拉致現場を訪れ、拉致問題は非道な人権侵害だと実感したが、世界は日本固有の問題とみている。同様の問題を抱える他国と組み、共通認識を広めるべきだ・・・

・・・教育の問題も大きい。浅川雅嗣アジア開発銀行総裁は米プリンストン大学で教えていた時の例外的な日本人留学生だった。自分の意見を持ち、遠慮なくディベートに臨んでいた。他の日本人は遅れて議論に参加したり、指されるのを待ったりしている。彼らも極めて正しい意見を持ち考察に満ちているが、それでは創造性は十分に発揮できない・・・。

「暴君ーシェイクスピアの政治学」

「暴君ーシェイクスピアの政治学」(2020年、岩波新書)を読みました。これは勉強になります。お勧めです。

著者は、シェイクスピア研究家です。「ヘンリー六世」「リチャード三世」「マクベス」「リア王」「コリオレイナス」等の作品を基に、暴君がいかにして暴君になるのか、権力簒奪者がどのようにして権力の座に着くのかを描き出します。シェイクスピアをこのように読むのかと、感激しました。

指導者になろうとする人の話が嘘とわかっていながら、大勢の人々が信じます。地位も理性もある人が、その者に従います。そして、誰もがそんなことはないと思っていた「ふさわしくな人物」が、指導者に選ばれます。
このような観点からシェイクスピアの戯曲を読むと、出てくるわ出てくるわ。「同工異曲」とも思えるくらいです。
一つの救いは、そのような成り上がりの指導者が、長く地位を保つことなく、自滅することです。

著者は、本書の執筆のきっかけを、「今回の選挙を見て」といった趣旨としています。明言していませんが、トランプ大統領を念頭に置いて書かれたことは明白です。シェイクスピアと著者の警告は、どの時代にも通用するのでしょうが、現在のアメリカだけでなく、その他の国、日本にも当てはまる問題です。

公共政治空間の日米の違い

アメリカでは、ジョー・バイデン前副大統領が、大統領選挙で勝利を確実にして、7日に演説をしました。各紙が、その概要と全文を伝えています。例えば、朝日新聞。副大統領に就任予定の、カマラ・ハリス上院議員の演説も。朝日新聞
日本では10月26日に、菅総理大臣が、就任後初の所信表明演説を行いました。

大統領選挙の勝利宣言と総理の所信表明演説を並べることは、からなずしも適当ではありません。大統領の就任演説と比べる方が、適切でしょう。しかし、ひとまずこの二つを並べてみます。
そこに、二つの国の国政の課題、そして二人の指導者の意識の違いを読み取ることができます。それ以上に、二つの国の政治に関する考え方、政治への期待の違いを見ることができます。民主主義国家、先進国といっても、これだけ「政治」は異なるのです。
参考「曽我記者、「政局」はもういいかもしれない

曽我記者、「政局」はもういいかもしれない

朝日新聞ウエッブ「論座」に、曽我豪・編集委員が、「「政局」はもういいかもしれない」を書いておられます(11月11日掲載)。

・・・「政局」という言葉の意味、みなさんはわかりますか? 自分には謎だった・・・思えば、この数カ月間、政界は「政局」ばかりだった・・・世間に向けて発信する論戦よりも、身内の多数派工作が優先される様は、与野党に共通する。あっちもこっちも「政局」なのである・・・

・・・ただ、それらはいずれも表の論争に依らぬ、水面下の隠微な「多数派工作」に過ぎない。自民党と立憲民主党という二大政党が、明快な政権公約と連立政権構想を有権者に掲げ、政権選択を仰ぐという本来の政党政治のあり方からは、なんとも程遠い「政局」である。
そもそも、自分が投じる一票が、結果としてどのような政権を生むのか、それが十分に可視化されないままでは、安心して投票所に向かうことなどできないのではあるまいか・・・

・・・それにしても、都構想の住民投票にせよ、米大統領選にせよ、事前の予想のいかに空しいことか。
何が争点であり、勝敗によって何が起きるのか、投票に向けてそうした基礎情報を十分に提供するのがメディアの本務であるはずなのに、勝敗の事前予想ばかりが世間を賑わせる。論議が生煮えのまま投票自体がポピュリズムに流れ、なおかつ結果が僅差で終われば、残るのは分断されたという感覚だけ。主権者たる有権者が直接、重要政策や政権を決めることができる民主主義の方策が、かえって対決の火種を残す皮肉な結果となる。

しかも現在は、新型コロナウイルスという未体験の危機の真っ只中である。感染の再拡大が続く諸外国の状況を見ても、拡大防止と経済活動維持の二つの課題を同時に解決する処方箋は簡単には明示できておらず、だからこそ、局面ごとにその都度「最適解」を探り当てる繊細な政策遂行の技術と、国民からの信用が必要となろう・・・政治家も政治記者も、「政局」ばかりを模索し、書いている場合ではない・・・
原文をお読みください。