カテゴリー別アーカイブ: 政治の役割

行政-政治の役割

7か国財務相会合、対面会議で困難案件に合意

6月9日の読売新聞に「課税合意「サプライズ」法人税最低15% G7財務相、対面で結束」が載っていました。
・・・ロンドンで開催された先進7か国(G7)財務相会合は5日、世界共通の法人税の最低税率や米IT大手などを対象とする「デジタル課税」の導入に向けて具体的な水準で一致した。対面形式の復活やG7の結束を示したい思惑が重なり、「サプライズ」の合意を生んだ。
「歴史的なことでしょうな。つくづくそう思います」。麻生財務相は8日の記者会見で満足そうに振り返った。
G7会合前、米国が法人税の最低税率を「15%以上」と明記することを強く求めたのに対して、議長国の英国は慎重な姿勢を示していた。日本政府内では当初、共同声明に具体的な数字を盛り込むのは難しいとの見方が大勢だった・・・

・・・雰囲気を一変させたのは、約2年ぶりとなる「対面」の会議形式だった。オンライン会合は事務方が仕切った段取りに沿って行われるケースが多く、政治家同士の微妙な駆け引きには向かない。7か国の財務相は今回、顔と顔をつきあわせて個別会談や非公式の意見交換を重ね、急速に相互理解を深める。麻生財務相はG7が結束を示すことの重要性を説いて回った。
「デジタル課税の具体策を明記できれば、英国は『最低税率15%以上』を受け入れるかもしれない」。会議前にあった漠然とした期待が、時間を経るにつれ確かなものに変わっていく。
会合の終盤。英国のスナク財務相が「利害対立はあるが、我々に大事なのはメッセージを出すことだ」と呼びかけると、室内に大きな拍手がわいた・・・

・・・世界では法人税の引き下げ競争が40年近く続き、米調査機関タックス・ファンデーションによると、1980年に40・11%だった世界の平均税率は2020年に23・85%に下がった。税制は工場やオフィスなど物理的拠点を根拠に課税しており、国境を越えてネットビジネスを手がける巨大IT企業に適切に課税できていない。国際的な最低税率の設定とデジタル課税のルール作りは、こうした問題を是正する狙いがある。
ただ、国際的な合意への道のりは険しい。法人税率を低く抑えるなど税制優遇で海外企業を誘致してきた国々が反発している。財務省内では「G7の合意は一里塚」との声がある・・・

「国会」がない国際社会では、合意を得るのが難しいです。この動きが進むことを期待します。日本のマスメディアは、このような国際行政についての報道が少ないですが、もっと伝えてほしいです。
リーマン・ショック後の麻生内閣の国際貢献(IMFへの1千億ドルの拠出)について、官邸の記者会見ではまったく反応がありませんでした。記者クラブにいる政治部記者が、ことの重要性を理解してくれませんでした。担当した浅川・総理秘書官(現アジア銀行総裁)と、がっかりしたことを思い出します。

個人の尊重、個人データの保護と利活用

6月2日の朝日新聞オピニオン欄「DX(デジタル化による改革)なんのため?」、曽我部真裕・京都大学教授の発言「利活用で個人の尊重を」から。

・・・民間ではDXが進み、行動履歴までもがデジタル技術で個人データとして記録され、やり取りされています。
なぜ行政のDXだけがこんなに遅れたのか。理由は、個人データの「利活用」よりも「保護」に長らく重きが置かれてきた歴史にあります。
プライバシーという権利は日本国憲法には明記されていませんが、13条が定める「個人の尊重」から導き出されて保護されてきました。データの「利活用」は、情報の漏洩や乱用などは13条で保障されるプライバシー権の侵害になります。さらに、個人のデータがプロファイリングなどのデジタル技術で分析され、意思や選択を操作されることは、「個人の尊重」を脅かすとみなされてきたのです。

しかし、コロナ禍は、行政が個人データを適切に扱えないことが、別な意味で「個人の尊重」という価値を損ねていることをあぶり出しました。この苦い経験を踏まえてこれからの行政は「個人の尊重」を保障するために、データの積極的な利活用に踏み切るべきではないでしょうか。
その際、自分のデータがどこでどのように使われているかを知ることができる透明性の高い仕組みにすることが不可欠です。また、霞が関のシステム改革や民間人材の登用も必要になるでしょう・・・

不作為の失敗、ワクチン開発

6月1日の読売新聞連載「政治の現場 ワクチン」、「国産の開発「周回遅れ」」から。

・・・4月16日、東京・霞が関で開かれた会合。長机に感染予防のアクリル板が並ぶ会議室で、参考人として出席した東京大学医科学研究所教授(ワクチン科学)の石井健は、こう問いかけた。石井の問いに、厚生労働省の官僚など、参加者は黙ってうつむくだけだった。
「日本のワクチン開発は周回遅れだ。10年おきに同じ議論を繰り返す反省を、どう今後に生かすのか」
石井の問いに、厚生労働省の官僚など、参加者は黙ってうつむくだけだった。

政府は、これまでも国産ワクチン開発の提言を繰り返し受けてきた。2010年6月には「新型インフルエンザ対策総括会議」が、国家の安全保障の観点から、ワクチン製造業者への支援や開発の推進、生産体制の強化などを求めていた。
結びは、こんな一節だ。
「発生前の段階からの準備、とりわけ人員体制や予算の充実なくして、抜本的な改善は実現不可能だ。今回こそ、体制強化の実現を強く要望する」
こうした提言は、この間、顧みられてこなかった・・・

・・・1980年代まで、日本は世界に先駆けて水痘や百日ぜきなどに取り組むワクチン先進国だった。だが、効果より副反応の問題が目立ち始め、状況は変化した。
92年、予防接種の副反応をめぐる訴訟で国が賠償責任を問われると、94年の予防接種法改正で接種が国民の「義務」から「努力義務」へと変わった。国主導から個人の判断に委ねる形になり、接種率も下がっていく。国も製薬会社もワクチン開発に及び腰となり、研究開発の基盤は弱まっていった・・・

・・・だが、時の政権与党や厚労省は、ワクチン接種に慎重な日本人の国民性を強調するあまり、「国産ワクチンが出来ても、世界に先駆け日本が承認するのは難しい」「海外で使用後の方が、安全性を見極められる」と開発に後ろ向きだった。
まさに、政官の不作為が露呈したと言える・・・

コロナ対応に見る日本政治の問題

5月31日の日経新聞、芹川洋一・論説フェローの「なぜコロナに敗れたのか」から。

・・・思えば日本という国家の劣化をあらわしているのではないのだろうか。1945年の敗戦、90年代の経済敗戦、そしてこんどが3度目のコロナ敗戦だ。
第一の「緩い」のは制度である。法体系がそうなっている。欧州型は厳しい人権の制約がある。同時に厳しい統制もある。日本は個人への規制も行政への統制も緩やかだ。
憲法には私権を制限する緊急事態条項がない。改正後のコロナ対策の特別措置法も強い罰則はない。個人をしばるのは空気という無言の同調圧力である。法律しばりではなく世間しばりだ。
個人の権利を優先する考え方の背景には、政府が個人情報を管理することへの強いアレルギーがある。国家に対する抜きがたい不信感によるものだ。それが行政のデジタル化をおしとどめている要因でもある。
行政の対応も緩い。ワクチン接種予約の受け付けでも差をつければよいものを、それはしない。平等にやろうとして電話回線がパンクして、混乱を助長する・・・

・・・第二の「ばらばら」は運用の問題だ。90年代からの政治改革と省庁再編・内閣機能の強化をつうじて、政府と自民党による二元体制をあらため、首相官邸に権力を集中するかたちを整えた。しかしコロナの対応では、やはりうまく回らない・・・
一義的には厚労省の対応のまずさによるものだが、官邸が全体と流れをつかんでチームとしてまとまって手を打つことができないでいる。
国と地方の関係もギクシャクしどおしだ。とくに国と東京都の意思疎通の悪さは目をおおわんばかりである。
割拠主義はある意味で、どこの組織にもある話だが、それを乗りこえて権力を一元化し、統一的な運用をめざす政治の運びが道半ばだということを今回、いやというほど思い知らされた・・・

・・・第三の「呑気」は人の問題だ。政治家の危機意識の欠如である。特措法の改正などにしても国会がなかなか動かなかった。安倍内閣で安保法制をまとめ防衛上の危機への備えは一応進めたものの、感染症にはまったく備えがなかった。
準備がないから対応はどうしても場当たり的になる。最悪の状態を想定しそこから危機をいかに最小化し管理していくかに失敗する・・・

対話の必要性

対話の技法」の続きです。納富信留教授は、次のようにも発言しておられます。

・・・変化の激しい現代は、権威主義体制の方が素早い決断ができるので、民主主義体制の側が負けてしまうとの危機感があります。「1時間議論して得られた決定と10時間議論して得られた決定が同じなら、1時間で決まった方が効率的じゃないか」という、時間と効率の発想があります。しかし、これはまずいんじゃないか。
皆が意見を出し合い、一緒に考えることは、仮に自分とは反対の意見が最後に通ったとしても、自分も一員として参加したという意識を生みます。その決定について「自分に責任がある」という自覚をもたらします。これは、少数者の勝手な決断によって皆が納得できずに不満がたまり、かえって後始末が大変になるより、長期的には効率的ではないでしょうか。
格差問題を考え、社会的弱者を救済するといった議論でも、専門家任せにするのではなく、皆が参加することが、社会を大きく変える力になります。皆を巻き込んで議論すること自体、共感や「気づき」を生む。それが弱者にとって励みになることもあります・・・

大震災後の町の移転復旧の際にも、これを考えました。「政府が、移転先を決めれば、早くてよい案ができる」との意見がありました。しかしそれでは、住民が満足しないでしょう。全員の意見が一致する移転案は難しいです。そして、他人から与えられた案だと、文句だけを言っておればすむのです。それは、民主主義の思想に反します。