カテゴリーアーカイブ:政治の役割

曽我記者、安倍総理の評価

2022年7月22日   岡本全勝

7月17日の朝日新聞「日曜に想う」は、曽我豪・編集委員の「安倍氏の「顔」が改まるとき」でした。
・・・安倍晋三氏には二つの顔があった。
動と静、硬と軟。時流を引き寄せようと急(せ)く保守の原理主義者の顔と、現実と折り合う機会主義者の顔である・・・

・・・(自民党総裁選再出馬の際に)ただ、体調不良から一度目の政権を投げ出したことを世間は忘れておらず、谷垣禎一総裁や石原伸晃幹事長に後れをとれば終わった政治家と言われよう。そう指摘すると、うなずいていたが、後で安倍氏は携帯に電話をかけてきた。
「出馬する。勝負しての負けなら負けで仕方ない。それよりも、勝負できない政治家と思われた方が終わりだ」
リベラル色の濃い新政権の誕生を阻む保守の勝負どころとみたのだろう。谷垣氏が出馬を断念し、石原氏が失速して安倍氏は総裁に返り咲いたが、運を引き寄せたのは「動と硬」の顔だった。

晩秋に入り、民主党の野田佳彦首相が突然、党首討論で安倍総裁を相手に衆院解散を宣した。その夜、政権を担う場合の政策課題の優先順位づけを尋ねた。安倍氏の顔は「静と軟」に改まった。

「改憲は三番目だ」と明言した。「デフレ脱却が二番目。一番は、東日本大震災の復興を含む危機管理だ」と続けた。
一度目の政権の失敗体験があった。教育基本法改正など保守的改革の実現を急ぎ過ぎ、「消えた年金」問題で政権が混乱した結果、参院選で惨敗した。ならば民主党政権との違いを示すためにも、危機管理と経済政策の実を挙げたうえで改憲へと向かおう。そう考えたのだろう。
事実、改憲不要論を招くのは承知のうえで、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認と安保法制の成立を先行させた。特定秘密保護法も含め世論の賛否が割れる懸案を処理した後は、支持率と株価が堅調になるのを待ち、衆院解散の機会を計って政権を安定させた。「アベノミクスで得た政治的な資産を安保・憲法で使う」と説明するのを聞いた。

だが長期政権の弊害が覆い隠せなくなると、かたくなな顔が現れた。森友・加計疑惑など政権のゆがみが露呈しても説明責任を果たさず、コロナ危機に際しては地方や現場の異論をくみとれぬ官邸主導の弱点をさらけ出した。一番に見据えた危機管理能力が陰り、改憲の目標は果たせぬまま、体調不良により退陣した・・
詳しくは原文をお読みください。

地方創生の10年

2022年7月18日   岡本全勝

7月7日の読売新聞「参院選2022 視座を開く」開沼博・東大准教授の「地方創生 未完の10年」から。

・・・ 「地方創生」を安倍元首相が重要政策として掲げたのは2014年のこと。今回の選挙を終えれば今後3年ほど大きな国政選挙がない可能性が高く、地方創生が10年間で何を達成したのか、その締めくくりが問われる選挙とも言える。

とは言え、現実には「地方創生ってなんだったっけ、言われて久しぶりに聞いた」という感覚の人も多いだろう。確かに、いくつかの地方創生の成功事例は生まれた。東京五輪に向けてインバウンド需要を盛り上げれば、コロナ禍の中だからこそ地方移住が増えるのでは、といった期待もその時々に生まれてきた。ただ、いま振り返れば、それらは「少数のスター事例」や「一時のブーム」としてメディアで消費され、広い範囲に伝播・波及して持続可能な変化につながったようには見えない。少子高齢化、既存産業の衰退、医療・福祉の脆弱化、地域コミュニティーの崩壊といった日本全体が直面し、より深刻な危機を抱える地方の種々の問題は根治しそうにない。むしろ悪化している。
無論、何もやらないよりやったほうが良かっただろう、と見ることもできる。ただ、地方で肥大化し続ける不安・不満は、むしろこの10年で「あれだけ頑張ってもだめなのか」という絶望感と表裏一体のものとして強固に結びついてしまったようにも見える・・・

・・・「地方創生」というキーワードのもとで、過疎地域等の活性化、震災復興での地域づくりのあり方、福岡・大阪・名古屋・札幌などにおける東京とは違った日本の大都市モデルの構築など、それぞれ重要なテーマについて、この10年で様々な試みはあったはずだ。そこでできたこととできなかったことをまず検証すべきだ。残念ながら、そのような動きは見えない。「コミュニティーデザイン」などと呼ばれる、住民を巻き込んだ地域運営の方法論が洗練され、今後の人口や財政の動きを背景に私たちが思っている以上に深刻な未来がやってくるだろうという「地方消滅」論もあった。前向きな動きも見つつ、重い現実も直視すべきだ。

私は近年、3・11についての議論で「エンドステイト(最終的に皆が満足する状態)」を話し始めなければという主張をしている。目の前のことに追われ、ゴールが見えていない。改めていかなる「エンドステイト」を目指すか議論しないといつまでも復興は完了しない。日本の地方をいかにするべきか、ここにも「エンドステイト」を正面から議論する必要性を感じる・・・

強い自民が、知事選分裂を誘う

2022年7月16日   岡本全勝

7月12日の日経新聞に、斉藤徹弥・編集委員の「強い自民、知事選分裂誘う」が載っていました。今回の参議院選挙の結果を受けたものですが、それが知事選挙に与える影響です。このような分析もあるのですね。目の付け所が違います。

・・・参院選は自民党の地方基盤の強さを浮き彫りにした。ただその強さは自民党の地方組織に野党を気にすることなく権力闘争に走りやすい環境をもたらす。統一地方選が控える2023年にかけて各地で相次ぐ知事選は、自民分裂の激しい選挙が増えそうだ・・・
・・・今後しばらく国政選挙がないとみられることから、自民党内の関心は県議を中心とした地方組織の権力闘争に向く可能性が大きい。その舞台になるのが知事選だ・・・負けた県連はもちろん、勝った県連でも知事選に向けて県議の主導権争いが激しくなりやすい・・・

・・・地方政治に詳しい東北大学の河村和徳准教授によると、自民党の県議はもともと分裂傾向にある。理由の一つが県内の地域格差だ。地方では人口の県都集中が進む。都市部の県議は無党派を重視する傾向を強め、古くからの自民党支持層の多い郡部の県議と対立しがちになる。
小選挙区の定着で県議から国政への道が狭まったことも背景にある。当選回数を重ねるベテラン県議が増え、若手県議は不満を抱きやすい。県連運営の主導権を狙い、県連執行部とは別の知事候補を担ぐ例も目立つ・・・無風の国政選挙は激しい知事選のゆりかごである・・・

維新の会で見える自民党の今後の道

2022年7月13日   岡本全勝

7月12日の朝日新聞オピニオン欄に、砂原庸介・神戸大教授の「維新の立ち位置 自民の動向が左右」が載っていました。日本維新の会を分析したものですが、自民党の今後の道を示した解説と私は読みました。

・・・55年体制下の自民は、右派で、かつ公共事業を通じた生活保障を重視する政党と見なされていたと思います。しかし現在の自民の中核支持層は、政治的には右派で、経済的には将来への投資を重視する。維新の支持層もここに重なります。取り合う支持層を見る限り、維新の競争相手は立憲民主よりも自民です。

維新が自民との対立軸を作ろうとしたら、まず経済の軸でしょう。リーダー層の政治的イデオロギーは自民に近いからです。経済の軸とは、人々のニーズを細かく分けて生活保障を重視するか、ざっくりと社会的投資を重視するかという対立です。維新は、岸田文雄政権は改革が足りないと批判しますが、自民との違いを明確にするために、自民が昔の生活保障重視に戻ったという印象を与える戦略でもあるのでしょう。

しかし、自民がこの先、以前のような政党に戻るとは考えにくい。生活保障を手厚くするといっても、公共事業を以前のようにはできません。農業や自営業者の支持基盤も細っている。かつて「抵抗勢力」が守っていたような利益を維持すると言っても支持は得られません。

いま自民には、世襲でスキルが比較的高い若手議員がかなりいます。この層の政治姿勢は極めて維新に近い。右派で将来への投資を重視し、社会を変えることに関心を持っている。党内で世代交代が進んでこの層が多数派になり、「改革」を進めていけば、立ち位置が重なる維新は国政での居場所を失い、「大阪の政党」に戻るかもしれません・・・

佐伯啓思先生「国を守るとは何を守ることなのか」

2022年7月12日   岡本全勝

7月1日の朝日新聞オピニオン欄、佐伯啓思先生の「普遍的価値を問い直す」から。

・・・ かなりラフなスケッチではあるものの、これが今日の世界の近似だとすれば、不安定な世界にあって、日本はどのように国を守ればよいのか。いや、そもそも何を守るのであろうか。
政府も多くのメディアも、日米同盟の強化によって日本も「国際社会」を守れという。現実に着地すれば、確かに日米同盟の強化しかないだろう。だがもしも、本当にこの戦争を専制主義から自由・民主主義を守る戦いだとみなし、「自由、民主主義、人権、法の支配」こそ人類の至上の価値だというのなら、それを守るためにも、その敵対者と対決するだけの軍事力を持たねばならないであろう。

実は憲法前文も次のように謳っている。「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。……われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって……」
まさしく、「自国のことのみに専念」するわけにはいかないとすれば、国際社会のためにも専制や圧迫と闘わねばならない。世界平和のためにも悪と戦う必要がある。安倍晋三元首相は、それを「積極的平和主義」と呼んだのであった。

だが多くの人はいうだろう。闘うとは命を賭す覚悟を決めることである。われわれは、自由や民主主義のために死ねるだろうか。国際社会のために死ねるだろうか。無理であろう。では、われわれは何を守ろうというのであろうか。
これは難しい問いである。ウクライナの多くの市民は、自由や民主主義のために戦っているわけではない。生命、財産のために戦っているわけでもあるまい。戦争の背景に何があるにせよ、眼前に出現した自国への理不尽な侵略、自国の文化や己の生活の理由なき破壊に対して命を賭けようとしているのだろう。そこにあるのは、理不尽な暴力に屈することをよしとしない矜持であろう。福沢諭吉的にいえば「独立自尊」である。

今日、世界の構造は著しく不安定化している。日本の憲法9条の平和主義は事実上条件付きのものである、なぜなら、9条の武力放棄は、前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」を受けているからだ。だが今日の世界ではもはやこの条件は成立していない。
何かのきっかけで日本もいつ他国の侵攻を受けるかわからない。その時、己の矜持や尊厳が試される。そういう時代なのである。とすれば、「9条を守れ」というより前に、「国を守る」という事態に直面する。その時、「国を守るとは何を守ることなのか」という問いを己に向けなければならない・・・