カテゴリーアーカイブ:政治の役割

官邸一強を支える日本政治の構造変容

2022年8月23日   岡本全勝

8月11日の朝日新聞オピニオン欄、松尾陽・名古屋大学教授の「「官邸のせい」言説はなぜ 権力構造の「健診」が必要」から。

・・・さて、事件の前から安倍政権については、既に多くのことが語られている。日本の歴史上、最長期間を務めた総理大臣。集団的自衛権の問題をはじめとして憲法問題についても積極的に動いた。
称賛であれ非難であれ、2010年代の長期政権の間は、メディアは彼の一挙一動を報道していた。すべてが彼や彼の周りに原因があるかのような言説もみられる。「官邸主導」や「官邸1強」、はては「独裁者」といった言葉が大手メディアやネット上にあふれていた。今回の事件後、「社会に分断をもたらした」という声も聞かれた。
このような言葉を憲法の観点からどのように受け止めることができるのか。近代憲法では、一人の人間、一つの機関に権限が集中しないようにする国家の枠組みが設けられている。ただ、この枠組みは、憲法典の規定だけではなく、社会、経済、政治の構造によっても支えられる。憲法典の規定だけで、権力集中が防げるわけではない。

「憲法」は英語でconstitutionであるが、もともとは「構成」という意味で、全体のバランスのことである。「You have a good constitution」は「健康ですね」と訳される。モンテスキューやマディソンなど、憲法の基本となる考え方を発展させた人びとも、国家や国を支える構造全体のバランスのことを考えていた。社会、経済、政治の構造に支えられながら、憲法上の制度は機能する。
このような仕組みが健全に機能しているとすれば、安倍元首相や官邸に権力が集中するはずはない。集中したとしてもチェック機能が働くはずだ。彼をめぐって展開された言説は誤解に基づくものであるのか、あるいは、このような憲法の枠組み全体にひずみが生じているのか。
ここで問題としているのは、安倍政権の内実ではなく、『すべて安倍首相や官邸のせいだ』といった言説を生み出した構造は何かということである。

鍵となるのは、この30年で生じている日本政治の構造変容である。冷戦の終結後、民意が反映される形でのリーダーシップが期待され、さまざまな改革が行われてきた・・・
・・・他方で、「政治主導」をスローガンとして、官僚の権限を弱める改革も行われた。各省庁の事務方のトップが大きな影響力を行使していたとされる事務次官等会議も09年に廃止された(数年後、次官連絡会議という形で復活したが、情報共有の側面が強いとされている)。また、各省庁でなされていた決定を政治家がひっくり返すという「事業仕分け」という象徴的な場も設けられた。

これらの改革だけが原因ではないものの、政党と政治家の関係、政官関係など、政治構造は大きく変容し、官邸や党の執行部に権限が集中するようになった。他方で、与党に対抗する規模の野党が長期的に形成されてきたとは言い難い。このように変容した構造の上に第2次安倍政権は成立していた。
以前に比べれば、リーダーシップが発揮される条件は達成されたのかもしれない。しかし、民意の反映のあり方は変わってしまった。安倍政権の内実だけではなく、それを支えてきた構造自体の検証も必要であろう。30年で移り変わった、この国全体のバランス、すなわち、constitutionを見直す「健康診断」が必要である・・・

佐々木毅先生。日本政治、改革か後退か

2022年8月16日   岡本全勝

朝日新聞文化欄連載「語る 人生の贈りもの」、佐々木毅・元東大教授の発言から。

第10回(8月9日
《海部内閣は自民党内の反発で政治改革に挫折し、91年に総辞職。バブル経済も崩壊に向かう》
平成初期の日本社会はエネルギーに満ち満ちており、力余って金権政治やバブル経済の問題を生みました。ただ、課題に立ち向かう政治改革のパワーも持ち合わせていました。

第13回(8月12日
第2次安倍政権下で首相官邸の力が強まりましたが、今度は後継の人材難に直面しています。官邸主導で政党の地位も議員の地位も下がり、自民党本部で何をしているかがよく見えない。政党は本来、人材育成や政策立案などに果たすべき役割は大きいのです。

まずは国会運営の改革が不可欠です。通年国会として野党議員の質問ばかりではなく、与党議員がもっと表舞台で働く。代わりに首相や大臣の出席を減らし、独自の調査機能を強化する。議院内閣制下の政府与党一体化を弱め、パーラメント(議会)が政策の質を上げるためにキャビネット(内閣)を厳しくチェックすべきです。

冷戦後に政治改革を進めた日本には、先進国クラブから脱落しかねない危機感があった。民間政治臨調や21世紀臨調を立ち上げて超党派の知恵を持ち寄り、粘り強く政策提言を続けました。
今また改革か後退かの瀬戸際にいます。諸学の知恵を生かして議論を重ね、よりよい政治を目指す。学問も言論も、積極的な政策提言により行き着く先は一つです。

安倍首相の教育再生改革

2022年8月13日   岡本全勝

8月1日の朝日新聞「安倍元首相の「教育再生」改革、功罪を聞く」、児美川孝一郎・法政大教授へのインタビューから。

――全体の評価はどうですか。
安倍さんの政策というと、「愛国心」を書き込んだ2006年の教育基本法の改正、道徳の教科化など保守的な印象が強い。
しかし後半は、プログラミング教育の必修化や1人1台端末を配るGIGAスクール構想など、産業界に向けた人材育成を目指す政策が増えてくる。国家主義と市場主義が車の両輪のように進んできたといっていいでしょう。

特徴があるのは、政策の決め方です。官邸に諮問機関を置き、官邸主導で猛スピードで決めていった。かつては自民党文教族、旧文部省、中央教育審議会と曲がりなりにも教育界が関与し、現場の実態が反映される余地があったが、それもない。
そうした頭ごなしの政策が失敗に終わった例が、大学入学共通テストでの記述式問題の導入や英語民間試験の活用です。民間企業の力を借りて強引に乗り切ろうとしたが、破綻しました。

――最も大きい政策は。
教育基本法の改正です。戦後変えられずに来たが、ついに山が動いた。国家主義ラインの「伝統と文化」「道徳心」といった文言だけでなく、「能力」「資質」といった経済界向けの人材育成につながる文言も入っている。
安倍改革の集大成は前文に初めて教育基本法を掲げ、17年から19年に改訂された今の学習指導要領です。「何を学ぶか」だけでなく、「何ができるようになるか」という資質・能力まで書き込み、国による縛りがきつくなった。
「ゆとり教育」批判を恐れて量も増えている。スクラップはなく、ビルド、ビルド一辺倒。どこまでできるようになっているかは全国学力調査で測られ、競わされる。子どもも教員も疲弊しない方がおかしい。

在来線 国の予算わずか

2022年8月11日   岡本全勝

7月31日の読売新聞「JR考(3)」「在来線 国の予算わずか」から。

・・・「鉄道局はとにかく予算が少ない。他の局から見れば鼻で笑われる規模だ」。今年初めて国土交通省鉄道局に配属された中堅キャリア官僚は言う。

総延長約2万キロ・メートルのJRを所管する鉄道局に割り当てられる予算は約1000億円。国交省全体の2%弱にすぎない。そのうち約800億円は、整備新幹線の建設費に充てられるため、在来線に使える金額は残された年間約200億円だ。JR東日本が28日公表した利用者の極めて少ないローカル線の赤字額は2019年度で693億円。鉄道局が在来線に割ける予算が、いかに限られた規模であるかが分かる。

一方、国交省の道路関係予算は毎年、予算全体の3割にあたる1・7兆円程度を確保し、道路整備に充てることができる。同じインフラ(社会資本)を扱うのでも予算額の桁が違う。総延長約128万キロ・メートルに及ぶ道路を管轄する国交省道路局の力の源泉となっている・・・

幸せも民主主義も理想状態ではなく、そこを目指す過程

2022年8月9日   岡本全勝

「人生における幸せは、理想とする状態(幸せと感じる状態)とともに、それを目指して努力する過程です」と、拙著『明るい公務員講座』で書きました。例えば豊かさが一つの幸せの指標だとすると、大金持ちになることは幸せです。しかし親からもらった金と、自分で稼いだ金とを比べると、後者の方が金額で少なくても、うれしさは勝るでしょう。幸せは目標とする「理想状態」であるとともに、それ以上にそこを目指す「努力の過程」です。
『明るい公務員講座』では、幸せな家庭も二人でつくらなければならず、与えられるものではないとお話ししました。それは定常状態ではなく、日々努力しなければならないのです。

連載「公共を創る」で、民主主義について書いていて、同じようなことを思いました。戦争に負けて、日本国憲法によって民主主義を手に入れました。当時の人は、戦前の抑圧された政治や社会から解放され、とても喜んだそうです。さて、その後の世代はどうか。生まれたときから民主主義制度は与えられています。そして、努力しなくても、この状態が通常だと考えています。

日本国憲法は70年以上も改正されず、世界で最も古い憲法になりました。その間に、環境権や人格権など新しい人権が生まれましたが、日本国憲法は1946年で止まったままです。与えられた憲法を守って、そこから進化する努力をしていないのです。平和についても同様です。戦後の日本は努力しなくても平和がもたらされると考えていました。ならず者が出てくると、それを排除しなければ平和は維持できません。そして、憲法が前提とした「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」という条件がなくなりました。平和に関する考え方も憲法も変えなければなりません。民主政治も平和も、理想とする状態ですが、努力する過程がないと、実現しません。

ではなぜ、人生においても政治においても、幸せや理想は定常状態ではなく、努力する過程なのか。それは、人生も社会も止まっているのではなく、常に変化しているからです。生身の人間とそれが集まった社会は、天国のように時間が止まった世界、喜怒哀楽を感じない世界ではないのです。