カテゴリーアーカイブ:政治の役割

維新の会で見える自民党の今後の道

2022年7月13日   岡本全勝

7月12日の朝日新聞オピニオン欄に、砂原庸介・神戸大教授の「維新の立ち位置 自民の動向が左右」が載っていました。日本維新の会を分析したものですが、自民党の今後の道を示した解説と私は読みました。

・・・55年体制下の自民は、右派で、かつ公共事業を通じた生活保障を重視する政党と見なされていたと思います。しかし現在の自民の中核支持層は、政治的には右派で、経済的には将来への投資を重視する。維新の支持層もここに重なります。取り合う支持層を見る限り、維新の競争相手は立憲民主よりも自民です。

維新が自民との対立軸を作ろうとしたら、まず経済の軸でしょう。リーダー層の政治的イデオロギーは自民に近いからです。経済の軸とは、人々のニーズを細かく分けて生活保障を重視するか、ざっくりと社会的投資を重視するかという対立です。維新は、岸田文雄政権は改革が足りないと批判しますが、自民との違いを明確にするために、自民が昔の生活保障重視に戻ったという印象を与える戦略でもあるのでしょう。

しかし、自民がこの先、以前のような政党に戻るとは考えにくい。生活保障を手厚くするといっても、公共事業を以前のようにはできません。農業や自営業者の支持基盤も細っている。かつて「抵抗勢力」が守っていたような利益を維持すると言っても支持は得られません。

いま自民には、世襲でスキルが比較的高い若手議員がかなりいます。この層の政治姿勢は極めて維新に近い。右派で将来への投資を重視し、社会を変えることに関心を持っている。党内で世代交代が進んでこの層が多数派になり、「改革」を進めていけば、立ち位置が重なる維新は国政での居場所を失い、「大阪の政党」に戻るかもしれません・・・

佐伯啓思先生「国を守るとは何を守ることなのか」

2022年7月12日   岡本全勝

7月1日の朝日新聞オピニオン欄、佐伯啓思先生の「普遍的価値を問い直す」から。

・・・ かなりラフなスケッチではあるものの、これが今日の世界の近似だとすれば、不安定な世界にあって、日本はどのように国を守ればよいのか。いや、そもそも何を守るのであろうか。
政府も多くのメディアも、日米同盟の強化によって日本も「国際社会」を守れという。現実に着地すれば、確かに日米同盟の強化しかないだろう。だがもしも、本当にこの戦争を専制主義から自由・民主主義を守る戦いだとみなし、「自由、民主主義、人権、法の支配」こそ人類の至上の価値だというのなら、それを守るためにも、その敵対者と対決するだけの軍事力を持たねばならないであろう。

実は憲法前文も次のように謳っている。「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。……われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって……」
まさしく、「自国のことのみに専念」するわけにはいかないとすれば、国際社会のためにも専制や圧迫と闘わねばならない。世界平和のためにも悪と戦う必要がある。安倍晋三元首相は、それを「積極的平和主義」と呼んだのであった。

だが多くの人はいうだろう。闘うとは命を賭す覚悟を決めることである。われわれは、自由や民主主義のために死ねるだろうか。国際社会のために死ねるだろうか。無理であろう。では、われわれは何を守ろうというのであろうか。
これは難しい問いである。ウクライナの多くの市民は、自由や民主主義のために戦っているわけではない。生命、財産のために戦っているわけでもあるまい。戦争の背景に何があるにせよ、眼前に出現した自国への理不尽な侵略、自国の文化や己の生活の理由なき破壊に対して命を賭けようとしているのだろう。そこにあるのは、理不尽な暴力に屈することをよしとしない矜持であろう。福沢諭吉的にいえば「独立自尊」である。

今日、世界の構造は著しく不安定化している。日本の憲法9条の平和主義は事実上条件付きのものである、なぜなら、9条の武力放棄は、前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」を受けているからだ。だが今日の世界ではもはやこの条件は成立していない。
何かのきっかけで日本もいつ他国の侵攻を受けるかわからない。その時、己の矜持や尊厳が試される。そういう時代なのである。とすれば、「9条を守れ」というより前に、「国を守る」という事態に直面する。その時、「国を守るとは何を守ることなのか」という問いを己に向けなければならない・・・

原発事故と政府の役割

2022年7月5日   岡本全勝

6月18日の朝日新聞、小熊英二慶大教授の「責任あいまい、問い続けて」から。
・・・今回の判決で、電力会社の責任が重くなったともいえます。国の監督責任を狭く解釈した判決と考えられますから、電力会社にしてみれば、国に言われなくても災害を予測して安全対策を施す責任は事業者にあると宣告されたようなものです。電力会社が原発を運転するハードルが上がったとも言えるでしょう。
そもそも原発とは、核を扱うものです。過酷事故がおきたら民間企業が負担しきれない可能性がある。そのため米国では事業者の賠償責任額に上限があり、それを超えたら大統領が議会に補償計画を提出することになっています。つまり最後は国が補償する。最終責任は国にあるわけです。
ところが日本では、国の責任が明確でなかった。

1961年制定の原子力損害賠償法によれば、原発事故の賠償は事業者が負担します。でも現実には事業者の手にあまる事故が発生する可能性はあります。そこで賠償が一定額を超えた場合は、国が事業者を「援助」すると定められています。国と事業者のどちらに最終責任があるのか不明確といえます。米国と同じく国が最終責任を負う制度も検討されたのですが、省庁の反対で実現しなかった。
この例が示すように、日本の原発は、誰が最終的な責任を負うのか、あいまいなまま運転されてきた。その結果として生じたのが、過酷事故は起こらないという「安全神話」だったと考えられます。事故が起きたら誰が責任を負うのか不明確なのであれば、「事故は起きないはずだ」としておくのが無難だからです。
しかし東京電力福島第一原発の事故が起き、責任の所在が現実の問題になりました。それはまず、事故対応に現れました・・・

・・・それでも原発を運転するなら、事故が起きないように対応する責任が誰にあるのか、過酷事故の時に誰が最後に対応するのか、誰が巨額の賠償を最終的に負担するのか、責任の所在を明確にすることが必要です。
こうした問題が未解決なことを明確に示したのが今回の訴訟の意義でしょう。今後の社会には、責任の所在を問い続けることが求められます。事故は現実に起きました。安全神話に頼る状態にはもう戻れません・・・

個人や民間では負いきれない責任を、必要な場合に肩代わりするのが保険の仕組みであり、さらには政府の役割です。企業にだけ責任を負わせると、企業はリスクのある事業に手を出すことを控えるでしょう。

法令でなく要請で規制することの弊害

2022年6月9日   岡本全勝

5月26日の時事通信社コメントライナーに、武部隆・時事通信総合メディア局専任局長が、「マスク着用「マナー」は変わるのか」を書いておられます。
日本はコロナ禍において、マスク着用を法令ではなく、要請ですませました。罰則付きの規則でなく、マナーとしたのです。ところが、それは弊害を生んでいます。
武部さんのお子さんは、感覚過敏と自閉症で、マスクを着用できません。すると、外出できないのです。理髪店は当初はマスクなしでの調髪を認めてくれていたのですが、途中から「マスクなしの来店お断り」となりました。どうやら他の客から文句が出たようです。

武部さんは、法令による禁止の例として、障害者が利用する自動車の駐車例外を挙げています。申請すれば、駐車禁止の場所でも駐車できる章票が交付されます。これを出しておけば、県が指定した場所に限り駐車禁止の罰則は適用されません。
法令で規制しないことは一見やさしそうに見えますが、このような事情のある人にとっては冷たい方法です。

コロナ対策特別会計案

2022年6月8日   岡本全勝

5月27日の日経新聞に「宙に浮く「コロナ特別会計」構想 増税論想起を警戒」が載っていました。
・・・新型コロナウイルス対策で膨らんだ債務処理の議論が進まない。特別会計で管理する構想も浮かんだが、夏の参院選を前に増税論を想起させかねないとして慎重な意見が根強く、先送りされている。米欧は債務を区分したり、復興基金を創設したりしてコロナ後の財政正常化も見据える。物価高などで歳出圧力が強まる中、透明性を高める取り組みが問われている・・・

・・・関係者が指摘するのは11年の東日本大震災の際との差だ。当時、政府は増税を含む「復興の基本方針」を地震発生からわずか4ヶ月半後に公表した。
約30兆円の復興資金は後から特会で区分した。復興対策をまかなうために発行した国債(復興債)の将来の償還財源を確保するため、13年から25年間、所得税を2.1%上乗せし、国民全体で広く薄く負担することなども決めた・・・
・・・それでも議論すら封じてきた日本を尻目に、米欧はコロナ対策の債務処理や財源を明確にし、具体策を練っている。米国は法人税や富裕層課税の強化を検討。フランスとドイツはコロナ関連の債務を区分し、20年以内に償還すると決定済みだ。
欧州連合(EU)も100兆円規模の復興基金の財源として、国境炭素税やプラスチック税の制度設計を進める。英国は23年4月から法人税を19%から25%に引き上げると決めた。スナク財務相は「次の危機に対応できるよう財政基盤を強化する」と訴える・・・

違いの一つは、当時は野党自民党が、政府と与党民主党に財源見通しを立てるように迫ったことです。野党自民党の主張は、至極まっとうだったのです。参考「非常事後の増税準備