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行政-政治の役割

病院経営の自由と緊急時の政府の役割2

病院経営の自由と緊急時の政府の役割」の続きです。2月22日の日経新聞「コロナが問う医療再建(上)」「医療、強すぎる「経営の自由」 患者本位へ政府関与を」から。

・・・こうした医療体制で行政ができるのは診療報酬や補助金などお金で医療機関を誘導するくらいしかない。自由という名の「放任」が現体制の本質だ。
その結果、診療科による医師の偏在、少子高齢化に対応した病床の再編、高齢者に寄り添うためのかかりつけ医機能の強化といった、積年の課題への対応も遅々として進んでいない。

こうした機動力と統制を欠いた医療体制では国民の健康や命を守りきれないという現実を突き付けたのがコロナ禍だ。政府・与党は「経営の自由」にメスを入れ、医療のガバナンスを確立する必要がある。
保険診療を担う病院や診療所は税と保険料を財源とする診療報酬で経営が支えられている。たとえ民間でも高い公益性が求められるはずだ。感染症対応など公共政策上の重要課題を遂行するために厚労相や知事の指揮下に入るように法律で位置づけるのは当然だ。
マイナンバー保険証やオンライン診療といったデジタル対応も任意とするのはやめ、保険医療機関の責務としなければならない。
公的な医療インフラの一角を担う存在として保険医療機関の役割や責務を問い直す。こうした改革が医療再生の第一歩となる・・・

明治以来の日本国政府は、供給者側に立っていました。インフラ整備と産業振興だけでなく、教育や医療もです。生徒や患者を相手にするのではなく、学校や病院を相手にしています。公共サービスを普及するには、その方法が効率的だったのです。しかし、それが行き渡ったら、行政も転換する必要があります。私が、生活者省を提案するのは、そのためです。

病院経営の自由と緊急時の政府の役割

2月22日の日経新聞「コロナが問う医療再建(上)」「医療、強すぎる「経営の自由」 患者本位へ政府関与を」から。
・・・「命と健康を守るため、もう一段の対応が必要だ」。1日夕、後藤茂之厚生労働相は日本医師会の中川俊男会長に発熱外来の拡充を要請した。コロナ感染が疑われる患者が増え、翌日以降まで診察できないケースが続出したためだ。

変異型「オミクロン型」の感染力が強いのは確かだが、日本の外来診療にはもっと診察する能力があるはずだ。診療所は全国に10万施設、内科系に限っても7万施設とコンビニエンスストアの店舗数(約5.6万)をはるかに上回る。
だが実際に発熱外来として登録されたのは3.5万施設。うち1.2万施設は都道府県が公表する発熱外来リストへの掲載を拒んでおり、公表施設に患者が集中してしまう。
「多くの発熱患者がくると一般患者の診察と両立できなくなる」。都内のある診療所は非公表の理由をこう語る。こうした「半身」で構える診療所を除くと、稼働率は全体の2割強。総力戦とはいえない。

厚労相から医療界への要請はコロナ下で何度も繰り返された光景だ。そもそも、国民の医療アクセスが閉ざされる緊急事態なのに、なぜ命令や指示ではなく、要請しかできないのか。
問題の源流は1961年の国民皆保険制度の創設にさかのぼる。皆保険で急増した医療ニーズを引き受ける形で民間の診療所が増え、政府もそれを歓迎した。
82年まで25年間、日医の会長を務めた武見太郎氏は開業医の利益を重視し、政府と対峙した。医師が外部干渉を受けずに活動する「プロフェッショナル・フリーダム」を掲げ、政府の介入をことごとく阻んだ。
診療報酬増額を求めて全国一斉休診に踏み切るなど、歴代の厚相以上に医療政策に影響力を発揮した。開業医を中心とする医療体制はこの時代に確立され、「経営の自由」は民間医療機関の既得権になった・・・
この項続く
参考「保険医療、政府に指揮権を

保険医療、政府に指揮権を

2月21日の日経新聞1面は「保険医療、政府に指揮権を 日経・日経センター緊急提言」でした。

・・・新型コロナウイルス禍が日本の医療体制の脆弱性を浮き彫りにした。日本経済新聞社と日本経済研究センターは医療改革研究会を組織し、有事のみならず平時から患者が真に満足できる医療サービスを受けられるための緊急提言をまとめた。医療機関に政府・地方自治体がガバナンス(統治)を働かせる仕組みや、デジタル技術による医療体制の再構築を促している。
緊急提言は①医療提供体制の再構築②医薬イノベーションの促進③社会保障全般の負担・給付改革――の3つの柱で構成する・・・

このうち、③社会保障全般の負担・給付改革は、これまでも指摘され、実現していない項目です。①医療提供体制の再構築と②医薬イノベーションの促進は、今回のコロナ感染拡大で見えた問題点です。

・・・過去2年あまりのコロナ禍では、コロナ患者の治療に積極的に取り組む医療機関とコロナ患者を忌避する医療機関との二極化が明らかになった。地域によっては感染の急拡大期に医療人材の不足と病棟・病床の逼迫をもたらし、自宅療養を余儀なくされた患者が死にいたるなど深刻な事態をもたらした。
こうした悲劇を繰り返さないために、提言は「健康保険の適用を受ける医療機関や調剤薬局が得る利益の原資は、健康保険料と税財源を元手とする国・自治体の公費が大半を占める。医療提供体制について政府・自治体が一定のコントロール権をもつのは当然だ」と指摘した。
医療機関が自由開業制と診療科を自由に決められる特権的な扱いを受けていることについても「厚生労働省は医療団体に配慮し、長年にわたり改革を怠ってきた」として政策の不作為を問題視している・・・

社会や組織の問題点は、危機の時に顕在化します。もちろん事前に対応しておけばよいのですが、なかなかそうはいきません。社会と政府が試されるのは、危機の時に見えた問題点を、改善できるかどうかです。自然災害については、阪神・淡路大震災と東日本大震災で、かなり改善されました。

みんなで議論する国

2月16日の朝日新聞オピニオン欄「国民的議論、できるもの?」、ニールセン北村朋子さんの発言「最上の妥協点、探る国なら」から。
・・・私が住むデンマークでは、一昨年、気候変動に適応しようと、CO2排出を2030年までに1990年比で70%削減する法律を作りました。
再生エネルギーを導入するだけでは達成できません。基幹産業の一つで排出量の多い養豚業を減らそう、そのためには肉を食べる量を減らそうと、農業関係者から消費者まですべての利害関係者が参加して、国民的議論が進んでいるという実感があります。
各地で地域のNPOやNGOが主催する議論が行われています。政府は食べ方を変えるキャンペーンを展開し、大臣が全国の市民集会に出向きました。農業団体は討論会を行い、メディアもインタビュー番組を放送しています・・・

・・・「デンマーク人は議論好き」ということもあるでしょう。人々は本音と建前ではなく、本音と本音で話をします。小さい頃から「言ってはいけない」がなく、自分の意見を言うように育てられます。話しやすいし、空気を読まないし、忖度する必要もありません。子どもや周りの人を見ていてもそう感じます。
この国では「最上の妥協点、着地点」という言葉をよく使います。どこがお互いにセカンドベストなのか、それを探り出せるか。議論はこれを得るためのツール、という考え方です。議論のための議論は少ない。しかも結論が出て終わりではなく、おりを見ては議論を続けます。だから議論が尽きません。決めたら終わり、ではないのです。
全会一致には懐疑的です。それが歴史上間違った方向に行ったことがたくさんあるとみんなが知っています。だから、少数意見だからと無視したり笑ったり取り上げなかったりは、ここではありえません。それも良さの一つです。

日常の中で人々が議論する時間は十分あります。仕事は午後4時には終わりますし、金曜日は半日です。多くの人たちが夜や週末に、地域の会合に参加しています。
大事なことを話し合わないと次世代に責任を持てない。子や孫の未来を奪ってしまう。ここではそんな考え方が根付いています。「話し合う時間や余裕がない」などと言ったら、「なぜ議論しないのか、時間をかけないのか、ほかに大事なことがあるのか」と不思議がられるでしょう・・・

民主主義を恐れるロシア指導層

2月16日の朝日新聞国際面、オリシア・ルツェビッチ氏(英王立国際問題研究所特別研究員)の「民主主義 恐れるロシア」から。

・・・北大西洋条約機構(NATO)の拡大が問題の発端だというロシアの主張は、国内向けの言説に過ぎない。冷戦時代にソ連国内で反NATOのプロパガンダが盛んに流された結果、「NATOが拡大してくる」と言えば、今でも通用する。
ロシアが本当に恐れるのは「民主主義」。民主主義が欧米からウクライナを通ってロシアに入るのではないか、と懸念している。でも、そうだとは決して認めない。『ウクライナが怖い』などとは、口が裂けても言えない。

プーチン大統領は19世紀の帝国主義的価値観に染まり、国境周辺の土地にも所有権があると信じている。また、巨大なマーケットであるウクライナを支配することで、地域大国以上の力を持とうとしている。ロシアがウクライナなど周辺諸国を支配しようとするのは、ロシア指導層の不安の表れでもある。攻めの姿勢を取り続けないと、ロシアは求心力を失い、将来解体に向かうかも知れないと恐れるからだ。・・・