カテゴリー別アーカイブ: 政治の役割

行政-政治の役割

『解(ほど)けていく国家―現代フランスにおける自由化の歴史』

解(ほど)けていく国家―現代フランスにおける自由化の歴史』(2023年、吉田書店)を読みました。
宣伝文には「公共サーヴィスの解体と民衆による抵抗運動…自由化・市場化改革の歴史を新たに描き直す」とあります。巻末についている、訳者である中山洋平教授による解説がわかりやすいです。

フランスにおける、この40年間の経済の自由化・市場化・国際化を解説したものです。第二次世界大戦後のフランスは、「ディリジウム」(国家指導経済)という言葉で表された、経済に対する強力な国家介入で知られていました。鉄道、通信、電力と行った社会インフラだけでなく大きな企業(金融、自動車、製鉄)といった企業も、国有でした。そして、政府とともにそれら企業の幹部を、特定の有名大学出身者(高級官僚)が占めていました。日本より、自由化は強烈な打撃だったのです。

本書では、第Ⅰ部(1945年~1992年)で、介入型国家が成立した過程を描きます。それは政府が一方的に主導したのではなく、人民戦線やレジスタンスの民衆動員(デモ)に基礎をおいていて、平等を求める国民の支持があったのです。これを、社会国家と表現しています。フランスは私たちの思い込みとは異なり、労働組合が弱く、デモがその代わりを務めます。フランス革命以来、民衆が街に出るのです。
しかし介入型国家が行き詰まりを見せ、官僚主導による自由化が徐々に進められます。その過程では1968年の五月事件も起きます。ドゴール政権に対して左翼が蜂起するのですが、総選挙でドゴール派が勝って、逆の結果になったのです。ミッテラン左派政権も、社会主義的な政策を掲げていたのですが、自由化へ転換します。

第Ⅱ部(1993年~)は、自由化、国際化の過程が描かれます。国家の後退、改革する国家から改革される国家へ、規制国家から戦略国家へなどという言葉が使われます。地方分権も含まれます。
この本のもう一つの軸は、民衆動員です。フランスの伝統でしょう。五月事件もその代表例ですが、政府は民衆動員を抑えようとします。規制国家は、秩序維持国家に変身します。それは、大量の移民の増加、社会の治安の悪化も理由として進みます。

サッチャー、レーガン、中曽根首相による新自由主義的改革、1980年以降先進国で進められたニュー・パブリック・マネジメントは、日本でも採用されました。
私は、フランスでどのようなことが起こっていたか、不勉強で知りませんでした。戦前の日本並みの中央集権国家(知事が官選)だったフランスが、ミッテラン政権で大胆な分権に踏み出したことは知っていたのですが、上記のような文脈にあったのですね。勉強になりました。

政治の話はタブーではなくなっている

12月8日の朝日新聞オピニオン欄「政治って遠い存在?」、横山智哉・学習院大学教授の発言から。

・・・「政治の話はタブー」という通説がありますが、政治の話は案外避けられていないことがわかっています。私の研究では、家族や友人などの身近な人と政治の話を交わすことへの抵抗感は、「ほとんど感じない」と「あまり感じない」の間に平均値がありました。スポーツや芸能など他の話題とほとんど差はありません。
また国際調査によれば、友人と政治の話を交わす割合が、日本は約40年間の平均値が約57%で、諸外国の平均値は約66%です。

ある話題をタブーと感じる理由は、意見の相違から対人的な感情摩擦や対立が起きるのを懸念するからです。それは政治の話題に限らず、好きな野球チームが違う場合の会話などでも同じです。一方で、親しい間柄だからこそ政治の話を安心して交わすことができるといった側面もあります。
どのような会話の内容を「政治」の話題と捉えているのか。回答してもらった内容を集約すると、主に政党や外交、税金などの6項目でした。たとえば「消費税やガソリン税などの日常生活に関わる税金の話」「物価の動向」という内容です。人々の政治の話には多様な話題が含まれるのです。人々は、政治をどこか遠い世界の話だと、疎遠に思う一方で、身近な話題を通じて、自分と政治のつながりを認識してもいます・・・

政治家が政策議論を戦わせない、安倍首相の責任

12月22日の朝日新聞「政治とカネを問う」に、御厨貴先生の発言「カネでなく、言葉で政治取り戻せ」が載っていました。この記事は自民党の派閥による裏金疑惑に関してですが、少し異なった視点からの発言部分を紹介します。

・・・政治家が政策について意見を戦わせる、本当の意味での議論をやらなくなって久しい。こうした状況を招いた背景として、私は安倍晋三元首相の責任が大きいと思います。後継者を育てず、長期政権の間にスキャンダルが起きても、選挙に勝つことでチャラにしました。野党やメディアが追及しても明確な答えを与えない。その結果、国会審議も空洞化していきました。

カネではなく、言葉によって政治の力を取り戻さなければなりません。右肩上がりの経済が終わり、人口が減っていく中で、10年、20年先のこの国をどうするのか。そういう議論を政治がもっとすべきです・・・

そういえば、国会での党首討論(国家基本政策委員会)も、最近は開かれていません。

公的な私文書

11月13日の朝日新聞夕刊「アナザーノート」に、藤田直央・編集委員の「現代外交史に新たな角度、「公的な私文書」読み込む」が載っていました。

「最近の連載で、日本外交への提言を続けた元外交官の故・岡本行夫氏が残した文書を取り上げた。岡本氏が1990年代後半に橋本龍太郎内閣で、2000年代前半に小泉純一郎内閣で、首相補佐官を務めていた頃のものだ。
こうした「公的な私文書」に出会い、現代史を新たな角度から見つめ直す記事を書くことが最近続いた。政府の外交文書とは違う、入手から記事化に至るまでの醍醐味がある。その話をしたい」
として、三木武夫首相、若泉敬教授、岡本行夫さんの3人の文書が紹介されています。
ここで「公的な私文書」と呼ばれているのは、役所が保管していない文書で、政府の政策や行動に関する記述がある個人の文書です。藤田さんの意見を引用します。

「最後に、「公的な私文書」をどう扱うべきかについて述べたい。
「公的な私文書」という表現は実は政府寄りだ。三木文書の1973年の日ソ首脳会談議事録のように、「極秘 無期限」で作成者として外務省の担当課が記され、明らかに元首相の遺品である文書ですら、外務省は「民間所有の文書にコメントしない」という立場を取る。だから私文書扱いとなり公文書管理法の対象外となる。
それでいいのか。例えば米国では、大統領は退任時に公務に関する文書を全て国立公文書館に渡すよう義務づける法律がある。保秘のためだけでなく、後の開示に備えて管理する公的な制度で、文書を勝手に持ち出していたトランプ前大統領から捜査機関が押収するなど厳格に運用されている。

日本では「公的な私文書」は劣化し、散逸するばかりだ。三木文書では56年の日ソ首脳会談議事録の肝心な部分がかすれ、判読が難しくなっていた。佐藤家では秘密文書の扱いに悩み、燃やそうという声もあったという。こうした文書が失われていくほど、戦後日本外交の選択を検証する際の記録は、外務省の「30年ルール」による開示に頼りがちになる。
しかし、三木文書には30年経っても外務省が出さない文書が含まれ、若泉文書には外務省とは別ルートでひそかに首相の決断を支えた文書があり、岡本文書には首相の「勝負会見」で外務省が準備したのとは別の発言案があった。こうした文書の多様さは歴史的な検証の幅をぐっと広げる。国民の共有財産としてどう保存し継承するか、議論を急ぎたい」

塩野七生さん「政治はまず大目的を掲げよ」

11月25日の日経新聞夕刊に「塩野七生さん「政治はまず大目的を掲げよ」」が載っていました。塩野七生さんが、今年度の文化勲章を受けての共同記者会見を開いた席での発言だそうです。

「いまは世界の指導者のだれひとり、何をやったら良いのかわかっていない。
目の前のことだけやっているのではなく、ひとつ上のことを決めて処していくのが政治です。動乱の時代には、まず大目的を上に掲げること。日本は課題が山積しているが一番大切なのは何かといえば、私は国土と安全保障だと考えます」